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「この出会いなくして画家宣言はなかった」…日本を代表する美術家〈横尾忠則〉の人生に多大なる影響を与え続けている「運命の一冊」とは【名著】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年7月11日 10時0分

「この出会いなくして画家宣言はなかった」…日本を代表する美術家〈横尾忠則〉の人生に多大なる影響を与え続けている「運命の一冊」とは【名著】

(※写真はイメージです/PIXTA)

いくつになっても、その時々で己にとって必要な「学び」の機会を享受することができるのが、読書の最大の魅力かもしれません。『定年後に読む不滅の名著200選』(文藝春秋・編)より、今回は日本を代表する美術家である横尾忠則氏が選ぶ、珠玉の一冊を紹介します。

若き日の横尾忠則氏が「導師」と仰いだ著名作家

『シッダールタ』/ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳・新潮文庫)

1967年夏、ニューヨークは沸騰して泡立っていた。

ロックミュージック、フォークロック、ドラッグ、アシッドトリップ、フラワーチルドレン、ヒッピー・レボルーション、インド超越瞑想、ヨーガ、禅、神秘主義、精神世界、超常現象、オカルティズム、UFOコンタクト、ニューエイジ、占星術、心霊現象、自然食、フリーセックス、ボディランゲッジ、アンダーグラウンド、サイケデリック、ポップアート、グル、アシュラム、ハリクリシュナ、宇宙意識、ネイチャーアメリカン、あゝいちいち挙げていると切りがない。

物凄い勢いと密度と凝縮、そんな混沌としたアメリカのヤング・カルチャー・ムーブメントの真只中にぼくは神武以来の高度成長に浮かれている日本からいきなりベトナム戦争で揺れ動いているニューヨークのど真中に降下したのだった。

この時のニューヨークは善くも悪くもぼくにとっては別天地だった。天国であると同時に地獄でもあった。天使と悪魔によってぼくの体は2つに分断されつつあった。肉体感覚で認識する現実から分離したもうひとつの現実をサイケデリック体験(超越瞑想)によって知覚した驚異の前でぼくの価値観や通念は快感を伴いながら見事に崩落していった。それはぼくにとっては新しい死であった。

その時、ぼくは求めた。グル(導師)を。その人はヒッピーがスイスの聖者と私淑するヘルマン・ヘッセだった。『シッダールタ』や『荒野の狼』は彼等のバイブルだった。ぼくはむさぼるように『シッダールタ』を読んだ。そしてインドに行った。インドの旅は7度続いた。『シッダールタ』の旅でもあった。最初はシッダールタよりも彼の友ゴービンダにぼく自身を投影した。そしてヨーガを習い禅寺に1年ばかり参禅した。結果は一歩前進二歩後退だった。

シッダールタは悟りを求めることから悟りを捨てることを選んだ。ゴービンダは沙門に入り仏陀に帰依した生き方をつらぬこうとした。一見彼の生き方は正道に見える。しかしシッダールタは自己の内なる想念の声に忠実であろうとした。このことはぼくが1980年にニューヨーク近代美術館のピカソ展の会場で突然、何者かに洗脳されたかのように、内なる声に従う生き方を啓示として受けたことと同化する。もし『シッダールタ』を知らなかったらこの時画家宣言をしたかどうかは疑わしかった。

横尾忠則氏が「隠居」を選択したワケ

画家に転向して30年が経とうとしている。そして一昨年古稀を迎え、老境に至った。そこで再びぼくはヘッセと出合うことになる。老境を生きるヘッセが残した人生最後の言葉の数々を著した何冊もの著述は今やニーチェ、キケロ、ゲーテらの著書と共にぼくの親しみの書として座右にある。

ヘッセは『シッダールタ』で彼の85年の人生を先に生きてしまった。あたかも『シッダールタ』をなぞるかのように生きた。あたかも前世で取り決められた約束を宿命であるかのように、敷かれた路線を走るように現世を生きたのではないだろうか。つまり『シッダールタ』が彼の生涯の設計図、あるいは楽譜であるかのように。ヘッセは「人は成熟するにつれて若くなる」と言う。老境こそが自我を滅私する絶好の機会だとでもいいたそうである。シッダールタが成したようにヘッセもその後を追う。

ぼくは一昨年『隠居宣言』(平凡社新書)なる本を出した。この本を書いた動機は小林秀雄が50代で自分を老人と認め、この年になって若者と同じようなものの考え方をして生きるのは老人になった値打ちがないじゃないか、というような言葉を講演で吐いているのを聴いてからと、その頃愛読していたヘッセの老人について語った様々な著書の影響で、ひとつ早いとこ老人になってやろうと思い立ち、そのためには隠居になるのが一番てっとり早く自由を得るための最短距離ではないかと思い、即刻頼まれ仕事のデザインを廃業することに決めた。

ぼくの経済基盤になっているこの仕事を止めることによって肩の重荷が取れたように思えた。従来は他者または外部の時間が主導権を握っていたのを隠居することによって自らが時間の主導者に変った。このことはぼくの生活と人生に大きな変革をもたらした、つまり自分が自分の主人公になることができたからだ。

こんなことならもっと早く隠居宣言をしておればよかったと述懐しきりである。残された時間で如何にヘッセの通った道をなぞることができるか、今後の楽しみのひとつにしたいものだ。考えてみれば随分長期にわたってヘッセという河の流れを流れてきたものだ。ヘッセと対話することは死者と語り合うことでもある。生者ヘッセよりも死者ヘッセの方がより濃密な交流ができるように思えてならない。

文藝春秋・編

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