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【実話】50代で海外駐在から帰任した電通マンが、上司から受けた「まさかの宣告」…高給の再雇用オファーを蹴って〈最低保証年収〉で働く転職を決断した、深いワケ

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年7月18日 11時15分

【実話】50代で海外駐在から帰任した電通マンが、上司から受けた「まさかの宣告」…高給の再雇用オファーを蹴って〈最低保証年収〉で働く転職を決断した、深いワケ

(※写真はイメージです/PIXTA)

50代になってから、実際に「個人事業主」として事業を始めた人は、どのようなきっかけで、また、どのようなステップで、新たなキャリアへと踏み出したのでしょうか? 行政書士でリスタートサポート木村勝事務所代表の木村勝氏の著書『老後のお金に困りたくなければ 今いる会社で「“半”個人事業主」になりなさい』(日本実業出版社)より、サラリーマンから個人事業主へと、再スタートした実例とともに見ていきましょう。

定年間際で「電通マン」から「個人事業主」へキャリアチェンジ

キャリアの概要

新倉昭彦さん(62歳)は、大学卒業後、新卒で電通に入社しました。50代前半までは国内営業や海外赴任を含む海外営業部門の第一線で活躍し、50代前半にフィリピンから帰任後は人材開発・組織開発の領域でキャリアを積みました。

定年直前の59歳(2020年)のときに電通が新しく立ち上げた新たな働き方に関する仕組み「ライフシフトプラットフォーム(LIFE SHIFT PLATFORM)」(以下LSP)にエントリーします。

LSPとは、具体的には次のようなスキームです。

電通社員だった新倉さんは、電通を退職したうえで個人事業主となり、電通の子会社として設立されたニューホライズンコレクティブ(New Horizon Collective)合同会社(以下NH社)という会社と2021年1月より業務委託契約を結びました。

新倉さんをはじめ個人事業主(またはひとり法人社長)となった元電通社員のメンバーは、NH社から一定の安定した報酬を得ながら、その報酬に応じた業務を提案・実施し、個々人で「これまで培った専門性を活かす仕事」「これまでとはまったく別分野だが、ずっとやりたかったこと」や「なかなか踏み出せなかった新しい事業」などに取り組むというスキームです。

新倉さんの独立当初の委託業務の1つは、電通社内の研修事務局業務です。営業局の若手研修の1つとしての越境学習(自社だけではなく他社社員も参加する若手の勉強会)の運営事務局を引き継ぎ、研修企画、参加企業間の調整・連携業務などに従事しています。人事局時代の人脈も利用し、参加メンバー企業の開拓も担当するなど、リリーフマン型の業務委託で個人事業主としての活動をスタートしました。

また、独立1年目は海外営業時代の経験・人脈を活かし、電通営業局からの依頼を受け、外資系企業への営業サポートにも従事。シンガポールの外資系企業との商談セット、商談進行などの営業サポートを担当するなど、こちらもリリーフ型のサポート業務を担いました。

NH社の設立当初(2020年11月頃)から、NH社が業務委託をするNHメンバー約230名を対象に学びの機会を提供する「アカデミー」部門のクルーとして、年間100件近くの研修・ワークショップの企画・運営に従事し、講師としても登壇(スペシャリスト型)しています。

リリーフマン型から開始し、コーチングスキルなども活かしつつスペシャリスト型サポートにも業務領域を拡大して個人事業主として活躍しています。今後も、「人・組織・社会を元気に!」をミッションとして、人材開発(研修・コーチング)・組織開発・社会貢献促進(ファンドレイザー)活動に邁進していきたいとのことです。

“半”個人事業主になったきっかけ・ステップ ※本人談

・直接のきっかけは定年退職直前に電通内に個人事業主制度(上記LSP)が導入されたことです。すでに社内でのフリーエージェント型再雇用(定年後再雇用制度の一種)を選択するつもりでしたが、申し込み上限年齢ギリギリで個人事業主制度へエントリーし、業務委託により仕事を行なう個人事業主として独立することにしました。

・定年後再雇用制度に乗れば、金額は減るものの安定した収入・雇用と社会的地位が保証されます(フリーエージェント型再雇用であれば、それなりの年収も確保される。新倉氏は、フリーエージェント型でもオファーがすでにあった)。そうした中でそれをはるかに下回る60歳以降の最低保証の年収となる個人事業主制度に踏み出すにはやはりかなり勇気が必要でした。

・50代前半でフィリピンでの海外駐在から戻ったあと、担当役員から「これからのキャリアは自分で探してくれ」という宣告を受けたことから60歳以降のキャリアの方向性について考えはじめ、60歳以降も“自力で食っていけるキャリア”を模索しはじめました。

・国家資格(社労士・中小企業診断士)の勉強など、さまざまなチャレンジをしたうえで、「営業×人材開発、組織開発」の掛け算を自分のキャリアの軸にしていくことを決め、定年前から周辺領域での積極的な勉強を開始しました。50代半ばにキャリアコンサルタントやビジネスコーチの資格を取得して、その資格を使った副業も始めていました。

定年間際で「個人事業主」になった電通マンが手にした“やりがい”

これからチャレンジする人へのアドバイスなど ※本人談

・今までの経験を「見える化」して「何が商売の武器になるか」を突き詰める。武器がなければ今から学んで獲得していく気持ちが必要です。

・初めは、リリーフマン型から始めて領域を自社だけでなく外部に広げていく。いつまでも元の会社に依存する完全リリーフマン型はリスクがあることを理解しておきます(相手先の窓口が変わるなど、環境変化でいつ契約終了になるかわかりません)。

・たまたま元会社に個人事業主応募のスキームができたことは追い風でした。こうした条件があったからかもしれませんが、独立してからの率直な感想は、「もっと早くから独立準備を始めておけばよかった」というものです。

時間が自由になることが個人事業主になっての最大のメリットです(自分で時間をコントロールできる)。また、ちょうどコロナ禍でオンライン中心での業務になっていたため、時間・場所にこだわらずに仕事ができるようになったこともよかったです。

いい意味で公私の区別がつかなくなりました。どちらが大事という意識がなくなりました(どちらも大事)。

・やったことが収入に反映されます。特に、人生後半で勉強したコーチングや人材開発・組織開発の勉強がお金に変わり、実績として積み上がっていく感覚は、シニア世代のサラリーマンでは得られないやりがいになっています。

・家族からは大きな反対はありませんでした。私がサラリーマンとして悩む姿を見てきており、子どもの教育費も目処がつきはじめてきていたことも大きな反対を受けなかった理由です。

・収入の変化としては、正社員時代の収入に対して独立1年目で50%くらい、独立2年目に70%を超え、独立5年以内(年金をもらえる年齢になるまで)に100%を超えたいという目標を立てています。

解説

新倉さんが勤務していた電通の個人事業主募集のニュースは、その当時(2021年)は大きな話題になりました。その制度に定年直前でエントリーした1人が新倉さんですが、名前の通った大企業に長年勤務されたサラリーマンゆえの踏み出しの難しさを話されています。

定年間際になると、どうしても行動は保守的になりがちです。「電通にこうした制度ができたから転身できたのだろう」と思いがちですが、実際に電通の大看板を捨てて個人事業主へ踏み出した方は、約6,000人の従業員の中でわずか230人弱です(募集条件があるので、全従業員が応募できたわけではありません)。

新倉さんの場合も、50代に海外赴任から戻ったときから自分でキャリアを考える必要性を痛感し、準備を始めています。こうした準備なくしては、制度にタイミングよくエントリーはできません。プランドハップンスタンス理論(キャリアというものは偶然の要素によって8割が左右される。偶然に対してポジティブなスタンスでいるほうがキャリアアップにつながるという理論)でいう偶然を活かすためにはこうした事前準備が必要です。

なお、新倉さんが関与している「ライフシフトプラットフォーム」では、個人事業主的な活躍推進のために電通以外の企業との連携や、(トライアル段階ですが)電通だけではなく他企業出身の個人事業主へもプラットフォームを導入するなど、新たな取り組みを始めています。個人事業主的な働き方に興味を持つ方は、一度ニューホライズンコレクティブ合同会社のホームページ(https://newhorizoncollective.com/)をご覧になるとよいでしょう。

木村 勝

行政書士

リスタートサポート木村勝事務所 代表

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