1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

40代で1億円貯めて退職&夢のFIRE達成…自由に生きるために〈新入社員〉のときから意識し続けてきたこと

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年6月15日 11時45分

写真

日系企業に17年勤務→外資系企業に転職→在職中に執筆活動を開始→1億円を貯めてFIRE達成。今は執筆や講演活動で生きている…。これだけを聞くと順風満帆に人生が進んだのだなと感じるかもしれません。しかし、実は新入社員で働きだしたころからずっと「不労所得」を意識し、試行錯誤の上たどり着いたのだと言います。本記事では、実際にFIREを達成した寺澤伸洋氏による著書『ぶっちゃけFIRE 手取り25万円で子育てしながら1億円ためる方法教えます』(主婦と生活社)より一部を抜粋して、不労所得への意識や挑戦と失敗を繰り返した日々を紹介します。

新入社員当時から持ち続けた「不労所得にかける思い」

「外資系で仕事をしながら、執筆活動で副収入を得られるようになった」と書くと順風満帆のように見えるかもしれませんが、ここに至るまでは本当に長い道のりで、いろいろなチャレンジと失敗がありました。

僕は大学卒業後、新入社員で働きだした20代のころからずっと「不労所得」に憧れていました。「不労所得」とは、読んで字のごとく働かずに得られる所得のこと。これさえ得られれば、毎日満員電車に揺られて通勤することもなければ、必死に営業して商品を売る必要もない……。

思えば大学生のころは、本当に自由な生活を送っていました。ときには友だちと朝までオールでバカ騒ぎして、ときには誰かの家で朝まで飲みながら語り合い、気が向いたら学校にいく。いうならば24時間がすべて自分のものだったわけです。

しかし大学を卒業して企業に就職すると、途端に1日8〜12時間くらいは会社に拘束されるようになるわけです。ですから社会人1〜2年目のころは働くのがイヤだとか仕事が嫌いという気持ちよりも、1日の時間をすべて自分のものにしたいという気持ちのほうが強かったのを覚えています。

当時から僕が求めていたのは次のような生活でした。

・「生きるため」に働かなくてもいい生活

・自分の時間の大半を会社のために使わなくてもいい生活

・自分の好きなことを好きなだけできる生活

「不労所得さえあればこれらがすべて叶うんじゃないか? 勝手にお金が入ってくる仕組みを作り上げれば、そうした暮らしができるんじゃないか?」

こう考えたことが、僕が不労所得に憧れたスタートだったのです。とはいえ、そう簡単に不労所得など生み出せるわけがありません。ですから、若いころから可能性を追い求めていろいろなことに手を出してきました。その一部始終をご紹介しましょう。

1. 株式投資(短期のギャンブル投資)

2004年、社会人5年目から株式投資をはじめました。スタートにあたり、まずは虎の子の100万円を元手に個別株の取引をおこないました。

しかし素人がそう簡単に利益を出せるわけもなく、鳴かず飛ばず。日経新聞を一生懸命読んだり、ヤフーの掲示板を見たりしては、「この株が決算がいいらしい、あの株は好材料が出そうだ」など、多くの情報に振り回され、飛びついては損、飛びついては損を繰り返していました。

あのころは本当に面白いくらいトレードするたびに損を出していましたね。今振り返ってみると、少し利益が出たら売りたくなってしまうし、逆に損失が出たら見なかったことにしようと封印してしまっていたわけですから、「利は小さく、損は大きく」という、株をはじめたての人がおちいる悪循環に見事にハマってしまっていたわけです。

最終的に何十万円もの金額を溶かしてしまったわけですが、今あらためて考えると「若くてお金がなかったがゆえに、どれだけ損をしても100万円以内に収まる」といった状況でこうした経験をできたことは、本当にラッキーだったと思います。もしその経験がなければ、お金がある程度貯まった30〜40代あたりでいきなり500万円や1,000万円を突っ込んで、下手したら5倍、10倍の損失を出していたかもしれません。

退職金ではじめて株に手を出した人が、取り返しがつかないくらい大きな損を出してしまうことがあるという話をよく聞きますが、まさに20代の僕が100万円で経験したことと同じ失敗を、定年後に数千万円という金額でやらかしてしまったということなのでしょう。

何事も、小さく失敗するということからスタートすることが大切だとあらためて感じます。

2. ブログアフィリエイト

また、ブログにアフィリエイトのリンクを貼ることで不労所得を得ようと思い立ち、2005年には趣味と実益を兼ねてブログを開始しました。

当時はまだスマホもSNSもなかったため、コツコツとブログランキングや相互リンク、トラックバックなどでアクセスを伸ばすのが主流。今となってはありえないくらい不便な世界ですが、SEO(検索エンジン最適化)などさまざまな努力の結果、アクセスはどんどん増え、1か月40万PV、カテゴリランキングでも5本の指に入るくらいの人気ブログになっていきました。

しかし一方で、アフィリエイトとは相性が悪いジャンルの内容だったため、記事を書くのに相当時間を費やしたものの、収益という観点ではほとんど結果が出なかったのです。

それでもブログを書くこと自体は苦にならなかったのですが、当時はWi-Fi環境などない時代。週末になると出張が多く入るという状況が続いて家にいられなくなり、ブログの更新がままならなくなってしまい、2005年の年末で手を引くことにしたのです。

3. FX投資

次いで2006年ごろから手を出したのが、当時流行りだしたFX。株式市場と違って24時間取引ができることから時間の制約がなく、会社員の僕にとっては魅力的でした。

FXは株式の信用取引の何十倍ものレバレッジをきかせられるという(うた)い文句ではありましたが、ビビりな僕はレバレッジをきかせることなく1倍で1万通貨のみの取引を続けていました。

しかし、取引が株からFXに代わっても相変わらず「利は小さく、損は大きく」のスタイルとなってしまい、トレード結果は損失寄り。株よりも動かす金額が小さかったことから数百円〜数千円の勝ち負けを繰り返すイメージで、時間をとられる割に資産総額へのインパクトはほとんどありませんでした。

ところが、2007年を境に相場が急変します。それまでは日本円が一方的に円安になり、多くの人が利益を上げられる相場でしたが、サブプライムローン問題に端を発するパリバショック、リーマンショックが起こったのです。

当時は、「海に入って子どもと遊ぶ前に何百万円のプラスであるのを確認したのに、海から出てきたらポジションがすべてロスカットされて何百万円のマイナスになっていた」という話があったほどの、急激な円高で多くの人が退場。まったくレバレッジをきかせずにトレードしていた僕でさえ30万円ほどの損失をくらいました。

とはいえ当時のネットを見るかぎり、リーマンショックの打撃が30万円程度で済んだのは、幸運といえるレベルでしたけれど。これを機にしばらくFXからは離れたのですが、2015年にスイスフランショックが起きた際、FX会社のロスカット機能がきかず、証拠金数百万円に対して何千万円ものマイナスが出てしまったという人たちの話を聞いてからは、一生FXには手を出さないことを決め、そこから一切取引をしていません。

投資の基本として、システムトラブルなどで証拠金以上の借金を背負わされるリスクがある投資は避けるべきです。子どもたちにも「株は積極的にやれ、でもFXだけは絶対に手を出すな」と教えています。

4. 電子書籍、商業出版

こうして新入社員のころから20年ほどずっと不労所得を夢見てチャレンジしてきましたが、どれも上手くいきませんでした。

しかし外資系企業に転職し、順調に仕事をこなしていたころ、大きな転機が訪れたのです。2020年のコロナ禍で一気に世界情勢が変わり、仕事が完全在宅勤務に変更になりました。

僕は片道1時間半ほどかけて会社に通っていたので、往復で1日3時間も時間が浮くことになりました。そこでふと頭に浮かんだのが20年前の上司との約束、そして電子書籍の執筆だったのです。

僕が20代で日系メーカーの経営企画室に所属していたころ、当時の本部長からロジカルシンキングや仕事の進め方について教えていただいたことで、劇的にスキルが伸びた時期がありました。その上司の考え方・指導にあまりに感動し、「僕はこの教えを必ず本にします!」と、その上司と約束をしたのです。

とはいえ当時は本を出そうとしても自費出版で100万円くらいする時代でしたから、そう簡単には実現できませんでした。ところが時代が変わり、個人でもまったくお金をかけずに電子書籍を出せるようになったと知り、コロナ禍で生まれた時間を利用して出版をしたのです。

もちろんこの本は上司との約束を守るために書いたもので、利益のことなどあまり考えてはいなかったのですが、ありがたいことに3万冊近くもダウンロードされ、それがきっかけで半年間に3冊も商業出版をすることになりました。そしてこれらの本のおかげで、メディアでの連載記事やオンライン講義などのお話もいただくようになりました。

さまざまな経緯を経た結果、自由な生活を手に入れた

こうした経緯もあり、外資系企業に転職してからちょうど4年後、資産額が1億1,000万円に到達した段階で、「これからは会社にとらわれず、好きで得意な執筆で自由に生きていこう」と考え、退職に踏み切ったのです。

若いころからずっと不労所得を得たいと考えて行動し続けていたからこそ、電子書籍出版にも挑戦でき、執筆という天職に出合えたのかもしれません。人生すべてのことがつながっていて、無駄なことなんてないなと感じます。

寺澤伸洋

作家/講演家

※本記事は『ぶっちゃけFIRE 手取り25万円で子育てしながら1億円ためる方法教えます』(主婦と生活社)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください