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「タイパ」重視の〈現代人〉が見落としている「無駄な時間」が、何十年ともたらす<永続的なメリット>とは【明治大学文学部教授・齋藤孝が解説】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年7月26日 8時0分

「タイパ」重視の〈現代人〉が見落としている「無駄な時間」が、何十年ともたらす<永続的なメリット>とは【明治大学文学部教授・齋藤孝が解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

現代は「タイパ」という言葉の台頭が表す通り、無駄をどれだけ省けるか? を重視する傾向があるように思います。ですが「人間関係」においては「ともに無駄な時間を多く過ごすことで、絆の強さや永続性が高まる」と明治大学文学部教授の齋藤孝氏は説きます。本記事では癒されて、元気になる――心地よい「人間関係」を構築するコツに迫ります。

現代の大学生は「忙しく」「真面目」…「無駄な時間を過ごす」すすめ

夫婦、親子、恋人、親友は、長時間どっぷり浸からざるを得ない関係で、人間関係のコアにあたります。その周辺にたくさんの淡交の友がいるのが、もっとも豊かな人間関係だと言えます。

今の大学生たちは、私の学生時代に比べるとだいぶ忙しく、真面目になったこと自体は良いのですが、友達同士で無意味に過ごす時間が取れなくなってしまっている点が気になります。

生活のためのアルバイトもあり、なおさら余裕がないのでしょう。私は中学高校時代、よく父親と夕食後、将棋を指しました。お互い下手なのですが、 気が向いた時に共に時間を過ごすことで、親子関係が安定するのです。

家族関係がぎくしゃくしてうまくいかない、親子でコミュニケーションが取れないという悩みは、親子で「無駄な時間を過ごす」機会がなくなってきていることも一因ではないかと思います。

一緒に食事をし、テレビを見たり、ゲームをしたり、散歩や旅行をするなど、できるだけ同じ時間を共有することで、人間関係というものは安定し、ほどよい距離感が生まれるものです。

私が学生の頃は、来る日も来る日も同じ仲間で酒を飲んだり、麻雀をしたりしながら、延々と話をして、日々を過ごしました。一見「無駄な時間」を経たことで、何十年経っても変わらない、良い友達関係を築くことができたのです。

親密な友、淡交の友、距離を置く知人と色分けし、適切な距離を取る

多くの人とつながっていると「誰とでも親しくしなくては」という気持ちになりますが、自分のキャパシティをオーバーして人づきあいをすると、大きなストレスになります。馬が合わない人と、無理に友達づきあいをする必要はありません。

特に、会うと喧嘩になりそうな人やどうしても親しみを持てない人とは、意図的に距離を置くことも必要でしょう。無駄な争いをしてエネルギーを浪費するのは、もったいないことです。

友人・知人を、親密な友、淡交の友、距離を置く知人とある程度色分けし、それぞれの友人・知人と適切な距離を取りながら、自分に心地よい人間関係を築いていけばよいのです。

友人関係で大事なのは、心の交流によって癒され、元気になり、新しい発想が生まれ、自分のエネルギーが高められることです。交わりの頻度が低く 、心の交流もできなければ、もはや友達とはいえません。

雑多な人づきあいの中で疲弊し、家族関係までぎくしゃくしてしまう、という悩みを抱える人が多いのが、現代という時代です。

複雑で雑多な人間関係の中で自我を守るだけでなく、強くてしなやかな自我へと鍛えていく具体的な方法について考えてみたいと思います。

交流頻度を減らすことで良くなる関係がある

地方出身者が、たまに地元に帰り旧友と会うのも、淡交の一種です。私は地元の静岡に帰省した際にはよく、旧友と会いますが、会うたびに心が癒されますし、自分にとってなくてはならない関係です。

学生時代には、「月一の読書会」を一緒に開く友達がいました。月一がバランス的に良かったのです。確かに、交流の頻度や間の長さは人間関係の親密さを決める大きな要素ですが、逆に頻度が高いことで疲弊し、心をすり減らしてしまうことも少なくありません。

あえて間を空けることで、良くなる関係もあるのです。今の十代、二十代の人たちは友達同士が始終連絡を取り合うことが当たり前になっていますが、交流頻度を落とすことを意識してはいかがでしょうか。

コミュニケーションをとるうえでの自分ルールを確立しよう

生活環境が変わり物理的に距離ができた友達とは、どうしても交流頻度が低くなりますが、その時は「いまは淡交の時期なのだな」と考えればよいのです。人との交流は、本来とても楽しいものです。様々な人と良い交流ができれば、豊かで心地よい日々が送れるはずです。

にもかかわらず、現代人がコミュニケーションにストレスを感じてしまうことが多いのはなぜでしょうか。それは距離感という「作法」が自分の中で確立されておらず、身に付いていないからです。作法は、物事をスムーズに行うための決まった手順で、長年培われてきた行動様式です。

他者との付き合い方の中に、自分なりの「作法」を確立すると、悩みの多くは解決します。作法は、細かいルールの蓄積です。たとえば私は、下記のことを自分に課しています。

・仕事のやりとりは 、基本メールで

・相手や案件ごとに 、やりとりの間隔を決める

・やりとりを切り上げるための文言を用意する

・毎日ネット断ちする時間帯を決める 

・気持ちがざわついたら呼吸を数える

・笑いへの意識を常に持つ

・相手がジョークを言ったら必ず笑う

・感動体験を素直に言葉にする

ここに挙げたのは大まかな枠組みです。試行錯誤しながら、守れそうなルールを自分なりにカスタマイズしてゆくのがよいでしょう。

1960年代以降、家族内でも距離を取ることが可能に

1930年代や戦後日本がまだ貧しい時代は、子ども部屋などありませんでした。子ども部屋にドアがつけられたのは、60〜70年代で、子どもの、家族内の独立宣言でもありました。家族内でも距離を取ることが、家の構造から可能になりました。成長期の子どもにとっては、大切な変化です。家族の空間はリビング中心と、関係性が変わってゆきました。

2020年代現在、夫婦のカタチもさまざまに

2020年代の現在、さらに家庭内独立空間の意識が進んで、家族であっても、そんなに深く交わらない、別居婚を望む人も増えています。私の知り合いでも、三十代後半で婚活はしているものの、他人と一緒に生活するのが苦手だという女性がいます。

週末だけ会う、夫婦であってもそれくらいの距離感を望む人が増えているのかもしれません。家族だからといって、全人格的な交わりが必要な時代ではありません。ライフスタイルや自我はそれぞれのものです。ある部分では濃く、他は薄い、そんな新たな家族観があってよいのです。

齋藤 孝

明治大学文学部教授

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