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人事「降格になりますけど、良いですか?」→「全然問題ないです!降格してください」…損保営業一筋の57歳サラリーマンが、出世を諦めても譲れなかった“念願”【インタビュー】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年8月5日 11時15分

人事「降格になりますけど、良いですか?」→「全然問題ないです!降格してください」…損保営業一筋の57歳サラリーマンが、出世を諦めても譲れなかった“念願”【インタビュー】

(※写真はイメージです/PIXTA)

老後年金だけでは暮らせない時代となったいま、「定年後のキャリア」をどのように考えるべきか……金澤美冬氏の著書『おじさんの定年前の準備、定年後のスタート 今こそプロティアン・ライフキャリア実践!』(総合法令出版)より、現役世代の“生の声”をみていきましょう。

「小中6つの転校」で、あらゆる環境への順応力が培われた

定年退職2年前より準備をし、定年後1年半で仕事につながった――三井宏文さん(62歳/定年から2年)

<略歴>

1959年大分県生まれ。父親が生命保険会社に勤務していたため転勤が多く小学校を4つ、中学校を2つ転校しながら大分、鳥取、宮崎県などで幼少期を過ごす。

大学時代に京都で1人暮らしを始め、家庭教師、映画のエキストラ、中学校の修学旅行の添乗員など様々なアルバイトを経験。

大学卒業後、大手損害保険会社に就職。途中、関連会社に出向・転籍するも、基本的には損保営業一筋。その間は仙台、静岡、東京、大阪、名古屋、福岡とたびたび転勤があった。

定年退職する2年ほど前より、セカンドキャリアの方向性を考え「定年退職」や「専業主夫」に関する本を60冊以上を読み、実践に取り組む。

現在は、個人事業主として人材紹介業、おじさん向けセミナー講師、結婚相談業などを行っている。また、35歳から始めたマラソンはこれまでに315大会に参加している。

<資格・取り組み>

キャリアコンサルタント資格を取得。これを武器に大学のキャリアセンターでアドバイスを行う講師を目指したが、60歳という年齢から書類選考で落とされていた。また、企業向けに研修を行う会社にも講師として数社応募をしたものの、やはり書類選考で落とされた。そういった就職応募の中で、当時人材紹介事業を行っていたプロティアン株式会社の金澤美冬と出会う。のちにビジネスパートナーとなった。

――お父さまが生命保険会社にお勤めだった関係で、小さい頃は転校することが多かったようですね。

三井:小学校を4つ、中学校を2つ経験しました。転校が多かったことは宿命でした。ただ辛かった記憶はなく、むしろ自分なりには楽しんでいました。

例えば、4月1日に転勤があるとします。家族にはその2ヶ月前に会社から内示があります。これは内密にしておかなければいけないことで、3月1日まで誰にも喋っちゃいけないんです。

もちろん、学校の友達にもずっと伝えるのを我慢しなければいけないのですが、「寂しい」という思いは意外となくて、「再来月にはこの学校から自分はいなくなる」「新しい学校はどんなところだろうか」みたいな、楽しむ気持ちのほうが強かったです。

おそらくですが、こういった育ち方をしているので、営業の仕事もスンナリできたし、あらゆる環境に順応する力が培われたかもしれません(笑)。

――後に京都の大学に入学し、新卒で大手損害保険会社に就職されます。

三井:入社後すぐに急性肝炎で入院して、3ヶ月半休職するという新入社員でした(笑)。

クビにならなくて良かったですけど、それからずっと損保営業をしていました。やはり転勤は多かったですけど、でも仕事自体は楽しかったし、社会的貢献度も高いし、あと給料も良かったので転職を考えたことはありませんでした。

継続雇用の条件に「それはないだろう」…57歳で迎えた「転換期」

――定年退職後のセカンドキャリアを意識され始めたのはいつ頃だったのですか?

三井:会社の定年は60歳なのですが、57歳のときに方向性を定めなくちゃいけないなと思いました。

今思うと遅いですけど、それまでは「60歳がゴールだ」と思っているだけでした。もちろん、当初は継続雇用も視野に入れていたのですが、人事に聞いてみると「それはないだろう」という雇用条件でした。

「継続雇用の間、副業をして新しいことにチャレンジしたい」と考えていましたが、人事部からの回答は「副業はいっさい認めない」と。しかも、継続雇用後は研修も必須ではなく、評価制度もない。さらに、報酬も下がると。

会社によっても条件は異なるとは思いますし、継続雇用を選択する人を否定するわけではありません。ちゃんと中身を理解して自分に合うのであれば、そういう選択も当然あると思います。

しかし、私の知る限り「ただ何となく継続雇用を選ぶ」というケースが多いように思います。

ということは「別に評価されなくてもいいや」という人だけが残っていくわけですね。これは企業にとっても良くないことですし、私自身もそういう環境に身を置くのはイヤだなと思いました。

こんなやりとりをしているとき、私は大阪に単身赴任で行っていたのですが、黙っていれば同じポジションのまま60歳まで過ごすこともできました。

しかし、様々な現実を知るうちに「まず東京に戻ろう」と思いました。人事に「東京に戻りたい」という話をしたら「降格になりますけど、良いですか?」と言われました。「全然問題ないです! 降格してください」と言って、念願叶って東京に戻りました。

キャリアコンサルタントの資格をとるも、立ちはだかった「年齢」の壁

東京に戻ってからは、関連本を60冊読破

東京に戻ってからは「定年」「専業主夫」関連の本を60冊くらい読みました。それらの中には「マイカーを手放そう」「年賀状もやめよう」という、社会を狭めていくことをすすめる本もありましたが、これは収入の問題を解消するためのもの。

定年退職後は収入が減ることが普通ですから、「今までと同じ生活じゃダメよ」というもので参考にはなりましたが、直接的な定年後のプランのイメージは湧きませんでした。

そんな中『あゝ定年かぁ・クライシス』原沢修一(ボイジャー)という本に出会いました。この本は定年前に思い描いていたことと、定年後のギャップを綴ったもので興味深く読みました。

著者の原沢さんは58歳で早期退職され、キャリアコンサルタントの資格を取られたそうです。この本を読むまでは、キャリアコンサルタントの中身もよく分からなく、そんな資格があることも知りませんでした。

それで、まず私も真似をしてキャリアコンサルタントの資格を取ってみたのですが、この資格を持って定年後の就職活動をしてもうまくいきませんでした。何十社あるいは大学のキャリアセンターなどを受けても、年齢を理由に書類だけで「ごめんなさい」と断られるんです。

正直辛いものがありましたが、「会社には残らない!」という宣言をした以上、後戻りはできません。「もし仕事が見つからなければ、派遣でもパートでもバイトでも良い」と、そういった求人に応募することもありました。

救いとなった「退職金」と「ローンの終わり」

ただ、それでもまだ救いだったのは「まとまった退職金がもらえる」「住宅ローンもそろそろ終わる」の2つです。

それから、自分で積み立てた個人年金もありました。金銭的にすぐに仕事をしなくても良かったのは、長年サラリーマンをやってきたおかげです。ですので、もちろん会社に感謝もしていますし、それまでの自分の経験も良いことだったと自負しています。

でも、それはそれ。「定年はゴールではなくスタートである」ということを、書類で落とされるたびに痛感する次第でした。

行動したことで掴めた仕事

――「専業主夫」という選択もありましたか?

三井:妻が35年間、国際交流の仕事に関わっていて、幼児から大学生までの子どもたちに英語劇を作ったり、発表に向けての合宿、海外へのホームステイのお手伝いや引率業務をしていました。また、海外の子どもたちやシャペロン(引率者)のホームステイ受け入れのお手伝いなどもやっていました。

こういった事務処理を全て1人で行っているため、この際、〝専業主夫〟として妻のサポートに専念することも考えました。

しかし、やはり収入が全くなくなるという問題と、せっかく勉強して取得した国家資格「キャリアコンサルタント」が活かせないということで、決心には至りませんでした。

――ほかにもBNI(世界的異業種交流会)に初めて参加された日に、「人材紹介」の仕事をいただいたそうですね。

三井:就職活動をしてもダメなので、キャリアコンサルタントの資格を活かし「人材紹介」の仕事を起業することにしたのですが、BNIでは初めて参加したその日に、初のリファーラル(メンバー同士の顧客の紹介)として内装会社の紹介をいただきました。

BNIというのは「与える者は与えられる」の精神に基づくアメリカ発祥の世界的な異業種交流会です。会員数は1万人を超えており、人と人とが会うと「私はあなたのために何を紹介したら良いですか」といきなり聞き合うというものです。

毎週定例ミーティングを行い、人間関係を築き合いながらビジネスを提供し、またビジネスを享受する。個人事業主との接触という意味でもとても意義深いです。

サラリーマン時代は、「社会→会社→自分」だったのが、「社会→自分」とダイレクトに社会に接することになるからです。

個人事業主がどのように稼いでいるのかを目の当たりにすることで、「こんなことでも稼げるのか」「これなら自分もできそう」「これはできそうにない」などと考えるきっかけになるからです。

またBNIに加入した後、「結婚相談業」をしている池津和子さんと出会い、この仕事もスタートさせました。

それまでは「結婚をした人から報酬として何十万円ももらうなんて……」と思うところもありましたが、実際にやってみると、お見合いの申込みや日程と場所のセッティングなどかなり神経を使う仕事だということが分かってきました。

それだけに結婚が決まった場合には、本人から「お世話になりました」ということで気持ち良く成婚料をいただけるように頑張っていきたいと思っています。

金澤 美冬 おじさん未来研究所 理事長/プロティアン株式会社 代表 株式会社YEデジタル 社外取締役

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