最期の時を安らかに過ごすか、苦しみながら過ごすか…難病患者を通して考える「病気を受け入れることの大切さ」【医師の実体験】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年7月28日 8時0分
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病気になって初めて気づく健康のありがたさ。日々健康に感謝することが、病との向き合い方にも関わるかもしれません。医師であり小説家でもある久坂部羊氏は、難病を抱えた患者さんのケースから「心の持ちよう」の大切さを述べます。本記事では、久坂部氏の著書『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』(KADOKAWA)から一部抜粋し、病に対する考え方についてご紹介します。
感謝は足りていますか
健康を失ってはじめてわかること、それは健康のありがたさであるというのは、それまで健康のありがたさが十分にわかっていない人の言葉でしょう。
親のありがたさ、配偶者のありがたさ、仕事があることのありがたさ、お金のありがたさ、平和のありがたさ、空気や水のありがたさ、いずれもみな同じです。それがわかっていればふだんから不平や不満は出ないはずです。
幸い、今のところ私は取り敢えず健康ですが、健康のありがたみは十分、学ばせてもらっています。たとえば、慢性閉塞性呼吸器疾患(肺気腫や慢性気管支炎)の患者さんを診察すると、ふつうに呼吸できることが、どれほどありがたいのかが実感されます。
在宅医療をしていたとき、脊髄小脳変性症の患者さんを三人受け持ちましたが、その生活の困難は想像を絶するものでした。 小脳機能が衰えることで、手が思い通りに動かず、食事のときでも、先割れスプーンでおかずをすくうのに手を何度も行ったり来たりさせ、ようやくすくうと、今度はそれを口に運ぶのにもまた首と手をゆらゆらさせて、一口食べるのに多大の苦労を要していました。
そんな姿を見ると、ふつうに食事ができることのありがたさを思い知らされます。 長年、高齢者医療に携わっていると、ふつうに歩けること、話せること、飲み込めること、排泄できること、入浴できること、立ち上がれること、ぐっすり眠れることなどのありがたみが身にしみます。
最近は老眼が進み、耳も聞こえにくくなってきましたが、それでも新聞や文庫本が読め、音楽や落語が聴けることにいつも感謝しています。 そして、これがいつまでも続かないことも覚悟しています。すると、今の状態がこの上もなくありがたいと思えてきます。
「感謝」と「足るを知る心」は、欲望と執着の対極にあるものです。それが苦を取り除く近道だということは、すでに2600年ほど前にお釈迦さんや老子が唱えていることです。
同じ難病でも心の持ちようで大差
医療が万能でないことは、だれしも知っているでしょうが、自分が病気になったとき、それが治らないという事実を受け入れるのは簡単ではないはずです。いわゆる難病がそれに当たりますが、中でもALS(筋萎縮性側索硬化症)は、ひじょうな困難を強いられる疾患です。
この病気になると、全身の筋肉が徐々に萎縮して、動けなくなり、話せなくなり、飲み込めなくなって、最後は呼吸ができなくなります。そうなる前に人工呼吸器をつけると、命は助かります。しかし、飲み込めないので胃ろうをつけなければならず、口から食べる喜びは失われます。
筋力低下と人工呼吸器のせいで、話すこともできず、寝たきりで寝返りも打てず、うなずくことすらできなくなって、動くのは眼球のみという状態になります。意識はクリアなので、すべての苦痛をリアルに認識しなければなりません。
介護はいわゆる全介助で、床ずれ予防の体位変換から全身の清拭、おむつの交換、陰部洗浄、口腔ケア、洗髪、爪切り、耳掃除などを、24時間、365日ずっとしてもらわなければなりません。そのつらさから、安楽死を求める患者さんもいて、人工呼吸器をつけるか否(つまり、そのまま死を迎える)かが悩ましい問題となります。
私の知人の同僚がこの病気になり、専門性の高い病院で治療を受けはじめたけれど、主治医が絶望的なことばかり言うので、もっといい病院を紹介してもらえないかと、知人から相談を受けました。
話を聞くと、主治医の対応は特段、問題とは思えず、患者さん本人はもっと希望が持てる話が聞きたいようでしたが、安易な励ましやなまじの希望はあとで絶望を深めるだけなのはわかっていることです。
噓でもいいから希望を持ちたいという気持ちもわかりますが、それは目先をごまかしているだけで、現実の受け入れを遅くするばかりです。そうなると、せっかくの残り時間も無駄になりかねません。私は、「病院を替わっても同じと思うよ」としか答えられませんでした。
私は在宅医療をやっていたときにALSの患者さんを一人受け持ちました。60代の女性で、専門の病院で治療を受けていましたが、いよいよ終末期に入ったので、あとは治療をせず、家で家族とすごしたいということで在宅医療に移ってきました。
彼女の場合は呼吸筋も萎縮していましたが、まだ人工呼吸は必要なく、補助呼吸器(マスクタイプで、自発呼吸を補助してくれるもの)をつけていました。声はかすれていましたが、話すこともできました。
初診のとき、完全に寝たきりのことについてこう言いました。
「身体は動かんでも、心は自由やから」
それからの診療は私にはつらいものでしたが、患者さん自身はいつも笑顔を忘れず、病気の不満も言わず、むかしの思い出や夫との生活のことなどを話してくれました。
呼吸筋の萎縮が進み、いよいよ人工呼吸器が必要になりかけたとき、その女性はこう言いました。
「わたしたち夫婦には子どもがいませんから、楽しみは主人との会話だけなんです。人工呼吸器をつけたら話せなくなるのでしょう。そうしたら生きてる意味がなくなるので、このままでけっこうです」
それで人工呼吸器はつけないまま亡くなりました。知人の同僚は病気を受け入れていないので、おそらく長い期間、苦しまなければならないでしょう。私が在宅医療で受け持った患者さんは、病気の苦しみはあったでしょうが、最後の時間を夫婦ですごす安らぎはあったと思います。
久坂部 羊 小説家・医師
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