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無意識で発してしまうその言葉が相手を困らせている…「コミュニケーション上手」になりたいなら、決して言ってはいけない〈NG構文〉

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年9月20日 11時30分

無意識で発してしまうその言葉が相手を困らせている…「コミュニケーション上手」になりたいなら、決して言ってはいけない〈NG構文〉

職場での人付き合いがうまくいかなかったり、話が相手に伝わらなかったりと、「対話」に関する悩みを抱えている人も多いのではないでしょうか。フリーランスでキャスターや社外役員などを行っている木場弘子氏は「無意識で使っている言葉を見直してみることが大切」といいます。木場氏の著書『次につながる対話力~「伝える」のプロがフリーランスで30年間やってきたこと~』(SDP)より、詳しく見ていきましょう。

マウントと会話泥棒は嫌われる

マウンティングという言葉も、今ではすっかりお馴染みになりましたが、これはもともとはお猿さんの世界で、強い立場の個体が相手の背中にのしかかり、「オレのほうがエラい」ということを示すデモンストレーションのことでした。ところが、同じ霊長類の仲間だから、というわけでもないのでしょうが、ヒト科の中にもこれが大好きで、隙あらばのしかかろうとするヒトがいらっしゃいます。

こうしたヒトは、たとえば――

「夫は取締役になってから家にいないんです」

「このバッグ、○○の新作で限定品なんです」

「自宅は鎌倉、別荘は軽井沢なので、住民税が高くって」

などと、自分自身のことより、肩書きや持ち物、住んでいる場所を引き合いに出して、「こっちのほうが上」だとアピールするのがお好きなよう。まあ、ここまであからさまな会話はドラマの中だけのようにも思いますが、匂わす方はいらっしゃいますよね。

男性の友人によると、こういうタイプに属するヒト科の男性は、パーティーなどで初対面の相手と最初は腹の探り合いをしつつ、いざ名刺に書かれた会社や役職を見たり、出身大学をさりげなく聞き出して、「こちらのほうが上だな」と、ようやく落ち着ける方もいるそうです。これでは本当に猿山そのものですね(笑)。

こうしたヒトビトは、いったんマウントを取ったとなると、自慢のオンパレードがどこまでも続き、聞いて差し上げるのにも忍耐が要りますよね。兎にも角にも「すごいでしょう?」の連発には、仮にこちらがそれより上の物を持っていたり、詳しい事情を知っていたとしても、知らないフリで「スゴーイ!」「羨ましい!」と驚いて見せるしかありません。

当然ながら、そこには共感はまるで生まれず、対話も成立しないまま。

こうした、傍から見て少し恥ずかしい感じにならないよう、常に意識しておくべきは「世の中、上には上がある」という当たり前の事実。それがあれば、たとえば自分のお気に入りを話す際にも「私はここが好きなんですけど、○○さんはもっといいお店をご存じでしょう?」という風に、ちょっとした可愛らしさと共に、情報共有をし「共感の種」を蒔けるのではないでしょうか。

そしてもう一つ、マウンティングとよく似て、しかもより乱暴な「会話泥棒」という亜種もいます。こちらは前触れも無く、いきなり人の話に被せて自分の話を始めたり、相手がまだ話しているのに待ちきれず強引に話を取って自説を展開したりします。やはり共感とはほど遠いやり方と言えるでしょう。

政治家が参加するテレビ討論の中には、まさに“会話泥棒天国”が展開されることも多く、仕切りもルールも無いまま我先にと話す無法状態に唖然とすることもしばしば。私の息子が小学生の頃、その様子を見て「人の話は最後まで聴かないといけないんだよねー。みんな人の話の途中で取っちゃってるから、学校だったら先生に怒られちゃうよ!」と言ってきましたが、実にごもっともでございました。

どこの世界にも生息している、マウンティングと会話泥棒。対話はまず尊敬心を持って、しっかりと耳を傾けることから始まります。自分は今、楽しく話しているなぁ~という時ほど、俯瞰した目で自分自身を見て戒める必要があるかもしれません。私も気をつけなくっちゃ!(笑)

自分の常識が万人の常識とは限らず

共感を阻む“壁”となるもの、その二番目は無意識の「カテゴライズ」です。それはしばしば、次のような言い方でひょっこりと顔を出します。

「女性はフツー、甘い物が好きでしょ」

「外国人ならフツー、京都へ行きたがるんじゃない」

しかし、本当にそうでしょうか? 私の知人や友人を思い浮かべただけでも、激辛好き、お酒好きでスイーツが苦手な女子は何人もいますし、インバウンド客についても、SNSの拡散で思いもよらぬ場所に人気が集まっている例をよく見聞きします。にもかかわらず、女性なら甘い物、外国の方なら京都、という決めつけになってしまう。そこでの“決めつけ話法”によく使われるのが「フツー」であり、それはしばしば「フツー~だよね」「フツー~でしょ」という構文で用いられます。

これこそ、より良いコミュニケーションのための共感を邪魔する曲者です。この構文に当てはめて、物事を自分なりに整理することは否定しません。ただ、そう決めつけられた側はいい気はしないと思うのです。先ほどの言い方で決めつけられた側の立場から、考えてみましょう。

「いえ、私どちらかと言うと甘い物は苦手なんです」

「いえ、私はアキバのフクロウカフェで、本物のフクロウと戯れてみたいです」

――と、はっきり主張できる人ならともかく、少し気の弱い方の場合、相手の決めつけに押し切られてしまうかもしれません。この、決めつけ話法としての「フツー~だよね」の根底にあるのが、最初に挙げた無意識の「カテゴライズ」です。

ここでは、こうしたカテゴライズを避けるため、「自分の常識が万人の常識とは限らず」という点を肝に銘じておくことをご提案します。常に謙虚な視点を持っておくことによって、対話におけるトラブルを避けることができると考えます。

そもそも常識というのは、時代と共に変化し、コミュニケーションのツールひとつ取っても、固定電話、インターネット、携帯、スマホと、主役が変わるごとに情報や知識、ものの見方、考え方……は、どんどん変わっていくものでしょう。多様性という点でも、住んでいる町内だけの人との交流から、インターネットやスマホを通じて世界規模のやり取りが当たり前の今とでは、広さと深さにおいて全くの別次元。

では、そうしたカテゴライズから離れ、共感を阻む壁をぶち壊すには、どんな点を心掛けるべきか? 長年に渡り染みついた感覚なので、この習慣となった見方・考え方を変えるのは簡単ではありませんが、誰でもすぐできるのが“投げかけ話法”の実践です。

「女性は、総じて甘い物が好きだと言うけど、あなたはどう?」

「外国人なら、大体、京都へ行きたいと捉えがちだけど、最近どうなんだろう?」

こんな風に、相手に対して自分の「フツー」を投げかけ、そこに当てはまらない新しい視点を教えてもらうのです。

私はこういったやり取りで「目からウロコ」と感じたことが何度もありました。自分の想定範囲を超えた答えが返ってきた時に、驚きと共に、「これは新たな情報、視点を得て、正に得した!」と思えるからです。

誰しも日常的には“透明なメガネ”をかけていますが、「フツーは」という固定観念のために“色眼鏡”で人を見てしまうところがあります。インタビューなどでも「……なんですよね?」と答えを決めつけた質問をされると、聞き手を立てて、その期待に応えようと否定できなくなるようです。結果、本当の気持ちを引き出せなければ、インタビューとしては失敗でしょう。だからこそ、いかに自分の「フツーは」を捨てて、ニュートラルな気持ちで人と向き合えるかが重要となります。

それによって、無意識のカテゴライズや狭い常識を手放せたら、会話は弾み共感も深まるはず。むしろ、自分の常識がアップデートできたことに喜びを見出せればハッピーになれそうな気がします。

木場弘子

フリーキャスター

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