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人間の脳は誰でも確実に若返らせることができる!医学博士が語る驚くべき脳の特徴

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年8月15日 11時0分

人間の脳は誰でも確実に若返らせることができる!医学博士が語る驚くべき脳の特徴

(※写真はイメージです/PIXTA)

どうせなら、楽しく年をとりたいですよね。医学博士の大島清氏は著書『“円熟脳”のすすめ 脳を活性化させて健康で長生き』で、「人生の後半は、自分の脳をいかに円熟させるかにかかっているのです」と言います。一体どういうことでしょうか? 詳細を本書から紹介します。

脳が快感を覚えるとき

私は学生時代、数学の問題を解くのが好きでした。かくべつ数学が好きだったわけではなく、また、その才能があったわけでもありません。しかし、論理をねばり強くつみかさねていき、こんがらかった糸をほぐし、そのなかからたったひとつの正解をつかみだす、あのスリリングなおもしろさに強く魅了されていたのです。

たしか幾何学の問題でしたか、何時間考えても、解法の糸口すら見つからない難問にぶつかったことがありました。一度とりかかったら、ついつい熱中してやめられなくなるのが私の生来の性癖です。ついに一日では終わらず、二日、三日とぶっつづけでその問題にとりくむことになってしまいました。わからないまま放り出すのは、どうにも気持ち悪くて、イヤだったのです。

三度の食事もそこそこに、机の前に座りっぱなしで、その問題に取り組みました。風呂にはいっても、トイレに行っても、頭の中はその問題のことだけでした。そして、それは三日目に訪れました。それも徹夜で考えつづけたあとの明け方でした。

机の上に朝日がさしてくると同時に、インスピレーションがひらめき、それまで手こずってきた問題の解法が、パッと頭に浮かんだのです。どんより曇っていた頭のなかが、一気にスーッと晴れ渡っていくような快感でした。このときの脳のなかをすずしい風が吹き抜けていくかのような爽快感は、それから四十年たったいまでも忘れられません。

ひとくちに「快感」といっても、現代社会では、すぐにセックスの快感、食欲を満たす快感、睡眠をむさぼる快感と、動物としての本能を充足させる快感ばかりが連想されがちです。しかし、私たちの脳が快感を得るのは、セックスや食事のときだけではありません。私たち人間の脳は、じつにさまざまな多岐にわたる、高度なレベルの快感を知っており、その実現を求めて飽くことなく活動しているのです。

ちょっと考えただけでも、私たちの周囲には、じつに多くの快感があることに思い当たるはずです。たとえば、がらくた市などで、興味をひかれる骨董品を見つけ、それを手に入れたときの感情はどうでしょう。そこには、新しいもの、未知なるものを発見したときに感じる喜びがあります。これは好奇心が満たされた快感です。

あるいは、会社で大きな仕事をなしとげて、上司や同僚からほめられたときはどうでしょう。他者から賛美されると、人間、だれしも快感を覚えるはずです。カラオケでうまく歌えたときも快感なら、仲間たちから拍手を受けるのも快感です。子どもが親にホメられると、以後、やる気を出すようになるのも、この他者から評価される快感あってのことです。

一人で仕事や勉強をしている場合でも、仕事や勉強がスケジュールどおりにスイスイと進んだときは、とても気持ちがいいでしょう。あるいは先ほどの私の体験のように、長いあいだ悩んでいた困難な問題がすっぱりと解決したときも、素晴らしい快感があります。ふだん顔を合わせている異性に対して、ある日突然、胸がときめくようになりました。

異性にたいしてそこはかとない愛を感じる。これまた素晴らしい快感です。いくつになっても、異性に恋愛感情を抱くということは素晴らしいことです。あるいは深く信頼している友人が、思いがけず訪れてきたときなども、これと似た快感があります。

快感の種類はまだまだ数えきれません。かつて子ども時代に見たことのあるような、懐かしい風景にめぐりあったときはどうでしょう。あるいは、偶然、展覧会などで見た絵画の風景に、底知れず懐かしいものを感じたときはどうでしょう。そういうとき、私たちは思わず涙ぐむことさえあります。そこには郷愁の快感があるからです。

このように私たちが、爽快になったり、陶然としたり、郷愁を感じたりと、快感に浸ることのできる状況はじつにさまざまですが、こうした高度な、きわめて多岐にわたるさまざまな快感は、私たち人間だけに許されたものです。

それらの快感は、私たち人間だけが持つ、高度に発達した脳の活動によって生み出されるものだからです。動物の快感は、本能の充足によってのみ起こります。必要な食べ物があり、子孫を増やすための相手がいて、仲間と群れる喜び。食欲、性欲、集団欲のこの三つの本能の欲求が満たされるとき、つまり「食うて、産んで、群れて」快感するのです。

もちろん、人間もこうした欲求が満たされると快感を味わいますが、それに加えて、私たち人間は、奥深い精神世界をもっており、その精神世界が、快感をきわめて多種多様、かつ豊かなものに育てあげているのです。

人間だけに許された、複雑で深い快感

動物もヒトも、生きていくうえで、できるかぎり不快を避け、快感を求めようとする点ではまったく同じです。これがいわゆる「快感原則」というものです。いわばヒトや動物の日常は、この快感を求めるためにあるといっていいでしょう。しかし、人間と動物が違うのは、動物の快感は本能の欲求を満足させることによってのみ得られるのにたいし、人間の快感は本能の充足以外にも、さまざまな状況、手段によって生まれてくるということです。

私たちヒトは、快感を追求していく過程で、食欲、性欲、集団欲の充足だけにとどまらず、文化的、精神的な充足を求めることによって、しだいに脳を発達させてきました。なかでも、大脳新皮質(人間脳)の発達がいちじるしいわけですが、こうしてヒトは「脳の動物」として進化を遂げ、精神世界の領域を大きく広げていったのです。

私たちの快感が、精神世界に大きく依存している証拠のひとつに、私たち人間は「笑い」というものを持つということがあげられます。私たち人間は、「いい気持ちである」「満足している」「うれしい」など、なんらかの快感を得ているとき、たいてい笑顔を浮かべます。笑顔は私たち人間の〝快感の証明〟です。

しかし、動物はこの笑いを持ちません。霊長類の仲間のなかには、笑いに近い表情を持つものもあります。いや、サルといわずイヌにも一種の笑顔に近い表現はあります。イヌがシッポを振るのは、イヌの脳が快感を得たとき、脳からの指令でシッポが動いているのですから、イヌがシッポを振るのは一種の笑いというわけです。

しかし、これは私たちが表情で表現する笑いとは、だいぶ遠く離れた世界の話です。哺乳類で笑いらしきものが顔に出てくるのは、ようやくサルに進化してからです。そのサルでも、キツネザルやメガネザルのような、脳がさほど進化していないサルではまだ笑っているのか、怒っているのか、さっぱりわかりません。キツネザルやメガネザルのような大脳新皮質の発達のとぼしい下等な霊長類では、本能の欲求が満たされたときの素朴な心の喜びも顔面にはほとんどあらわれません。

人間ほど快感を表現できる動物はない

ここで快感と関係の深い「笑い」についてすこしふれておきます。私たちはうれしいとき、楽しいときに、笑うのは当然と思っていますが、笑いは高度に発達した脳の複雑な働きによっておこるものなのです。

笑いの表情と深く関係しているのは、「大脳基底核」というところです。ここが冒されると、パーキンソン氏病のように、体の動きや顔の表情のバランスがくずれ、かたい動き、かたい表情になります。人間は、この脳の発達が悪いと、この基底核も未熟なままです。ですから、下等な霊長類の場合、基底核もあまり発達していないので、笑いが出ないのです。

では、キツネザルやメガネザルよりも脳が発達しているニホンザルやアカゲザル、ヒヒなどの場合はどうでしょう。これらの霊長類の脳の大きさは、まだヒトの五分の一程度にすぎません。前頭葉のなかでも、そのソフトウェア(前頭連合野)の広さは、さらに人間の十分の一程度にしかすぎません。彼らもまだ、笑いを獲得していないのです。

ニホンザルやアカゲザルは、顔の筋肉の発達がいまひとつなので、快感を得て、満たされるという素朴な心の動きがあっても、口がうまく動いてくれません。むしろ、それよりわかりやすいのは、彼らがセックスするとき、オーガズムに達したときの口の動きです。オスは口を四角に開いてギャーとひと声叫び、メスは口を丸めて「ホウ!」とひと吹きします。まあ、これは笑いというより、交感神経系の高まった一瞬の叫びのようなものでしょう。

では、それらのサルより高等な類人猿ではどうでしょう。一説には、笑い顔は人間とチンパンジーのみが作れるものであると言われています。実際、チンパンジーは口を大きく開き、口角を斜め上方に引き上げて、笑い顔を作ることができます。

チンパンジーは脳の大きさも人間の三分の一、前頭連合野の広さは、全大脳皮質の十一パーセントも占めているのですから、笑うことができるようになったのも、当然といえば当然でしょう。しかし、それでもチンパンジーの笑いは人間の笑いにはとうていかないません。彼らは目で笑うことはできませんし、クスクス笑いもできません。ほくそ笑むなどという高級な笑いは問題外です。なぜなら、目というものは、大脳新皮質系の表現器官だからです。

そのことは、大脳新皮質系の未熟な乳幼児の笑い顔によく現われています。彼らは快・不快、不安、怒りといった、ごく素朴な心しか持っていませんが、目で感情を表現せず、もっぱら口を使って感情表現します。悲しいときは大声をあげて泣き、またうれしいときも同様、口で笑います。

この口の動きを演出するのは、「大脳辺縁系」といわれているところです。本能や、快不快、怒り、恐れなどの素朴な心(情動)を生み出す源で、「動物脳」ともいわれます。イヌやサルが心の表現として吠えたり、唸ったりと、もっぱら口を使うのは大脳辺縁系によるものです。逆にいえば、彼らは口でしか“心”を表現できないわけです。

いずれにしても、チンパンジーが笑えるといっても、その笑いはきわめて単純です。人間のように、精神活動によってもたらされる深い複雑な快感によってもたらされる笑み、たとえば仏に見られるような笑みとは、彼らはまったく無縁なのです。

セックスによる快感にしても、人間ほど深い快感を味わっている動物はないといえるでしょう。チンパンジーは逆立ちしたって、人間の言葉をしゃべることはできません。厳しい学習をさせて、簡単な文字や絵を理解させることはできますが、言葉を発することはないのです。オス・メス、男・女と決めるのは言語によってですから、チンパンジーは自分をオスとかメスと認識できようはずがありません。

したがって、チンパンジーにセックスの快感があったにしても、そこにはオスとしての快感とか、メスとしての快感といったものは、まったく存在する余地がないはずです。おそらくそこにあるのは、動物的本能の充足と、小さな大脳新皮質がつくり出す、乏しい知恵の快感だけでしょう。

言葉のかもしだすユーモアなど、わかるはずがないのです。ですから、私たち人間のようなさまざまな笑いも、当然、欠如しているのです。結局、目で笑うことができるのは、脳の視覚の受け皿が大発達を遂げ、さまざまな仕組みの連絡が密になり、高等な精神と体の動きのキャッチボールが複雑化してきた私たち人間だけに許された特権なのです。

あるときは微笑み、ときには呵々大笑し、またあるときにはほくそえんだり、皮肉な笑いを浮かべたりと、じつにさまざまな笑いの種類を持っている私たち人間は、それだけ快感の種類も豊富にかかえているということなのです。

脳は、年をとってからでも鍛えられる

生き物としてのヒトは、年をとると諸器官が老化していくことからまぬがれることはできません。肺、心臓、肝臓、腎臓、筋肉等々、どんな器官も年をへるにしたがってしだいに老化し、その機能を低下させていきます。人間の体にとって不老長寿の妙薬というのは、いまだ存在していません。

ただ、そうした人間の体のなかで、二つだけ、若返りが可能という例外があります。一つは血管です。血管は、日常生活を注意深く過ごしていけば、いつまでも若い状態に保てます。油ものを摂りすぎないようにし、多すぎる塩分にも気をつけ、かつ、年齢そうおうの運動を毎日続けていけば、血管が衰えるようなことはまず起きません。

また、血管がある程度老化してもろくなっても、毎日の食事に気をつけ、持続的に適度な運動を行なえば、血管を若返らせることができます。循環器系の病気を防ぐには、食事と運動が大事だといわれるのはそのためです。

もう一つ、若返ることができるのが脳です。ヒトの脳というものは、条件さえ調えれば、だれでも確実に若返らせることができるのです。私たちの脳は、オギャーとこの世に生まれたときに、1000億個の神経細胞を持っています。この神経細胞はその後、増えることはありませんが、もう一つの脳の細胞であるグリア細胞は、さかんに新陳代謝もするし、増えもするのです。そのようにして神経回路網を発達させることによって、脳は大きくなり、かつ活性化されていきます。

また神経細胞は、つねに変化している環境からの刺激を受けながら、シナプス(接合点)を発芽させ、他の神経細胞とのつながりを作っていくのです。ヒトの場合、六歳ごろに大脳皮質の多くの回路網ができあがり、九~一〇歳ごろまでには、人間行動のプログラミングセンターである前頭葉の回路網がほぼ完成するといわれています。

ただし、生まれたときのまま放っておき、何の刺激も与えないでいると、脳は発達していくことができません。未熟のままに終わってしまいます。生まれたときに、すでに神経細胞が用意されていても、そこに視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五感を通じて、外界からの情報によって刺激されないと、神経細胞は成長せず、その構造を作り上げていくことができません。

そしてこれが重要なことですが、その与えられる刺激しだいで、いかようなかたちにでも、脳は生育、発展していくのです。これを「脳の可塑性」と呼んでいます。生まれたての脳は、たいへん柔らかな粘土のかたまりのようなもので、どのような形にもなりうるのです。この脳の可塑性は年齢の若いときほどいちじるしく、若年期にバランスのとれた適当な刺激を受けることが、脳の発達にとっては不可欠です。

とはいえ、若年期をすぎても、脳の可塑性は失われません。環境からの刺激をたえず受けながら、脳は依然として活性を保って回路をつくっていきます。もちろん、若いときにくらべると、時間もかかるし、相応の努力も必要になってきますが、新しい刺激を受けることで新しい回路をつくるという脳の働きは死ぬまで失われないのです。

脳梗塞など、脳のどこかに損傷が生じて、下半身不随などの障害を受けても、リハビリで回復することができるのは、この脳の可塑性という性質あってのことなのです。損傷によってそれまでの回路が役に立たなくなれば、新しい回路をつくってそれを補おうとするのが、人間の脳です。コンピューターによるAI(人工知能)が盛んに研究されていますが、AIはどこか一箇所でも故障が起きると、すべてがダメになってしまいます。故障した回路を自ら修復しながら、機能を回復してしまう脳の可塑性は、天才たちがいくら知恵を絞っても真似ることなどとうていできない、脳の素晴らしい〝能力〟です。

脳には可塑性があるから、素晴らしい可能性もある

人間の脳の可塑性の素晴らしさをあらわす、たくさんのエピソードがあります。そのなかでも、私の心を動かしたのがこれです。アメリカの科学雑誌『サイエンス』に載った記事ですが、小さいころ水頭症という、脳に脳脊髄液がたまる病気にかかった男の子がいました。この子の脳は、このため通常人のように、正常に発育できませんでした。ところが、彼は、のちに成人してから大学に進み、数学で賞をとるほどの秀才となりました。IQも一二六と高く、普通の人とまったく同じ社会生活をおくることができたのです。

水頭症で発育不全だった彼が、どうしてここまで回復できたのか。専門家たちは、当時ようやく登場してきたCTスキャンで彼の脳を調べてみました。すると、なんと彼の大脳皮質は紙のように薄くなっており、ほとんどないに等しいことがわかりました。大脳皮質がほとんどない人間が、通常人と同じように暮らし、しかも数学の素晴らしい才能を発揮する。これは常識では考えられないことです。

おそらく、彼が幼少時に外部環境から受けた刺激は、とてもよくバランスされた、理想的なものであったにちがいありません。彼の脳は外部――おそらくは母親でしょう――から理想的な刺激を受け、大脳皮質以外の脳や小脳などを、大脳皮質の働きを代行するように発達させていったのです。脳には驚くほどの柔軟さがあります。この水頭症の青年のように、たとえ大きな部分がごっそり欠落していても、残った部分が新しい働きを獲得するのです。まことに驚くべきことといわざるをえません。

この大脳皮質のない天才と対照的なのが、一八世紀末、フランスのアヴェロン県で発見された野性児ヴィクトールです。狼の群れのなかで育った彼が保護されたときの推定年齢はおよそ一二歳、原則としては二足歩行ですが、疲れるとすぐに四足歩行に移ってしまったそうです。嗅覚はきわめて敏感ですが、通常の人間ほど視覚は発達していなかったといいます。彼の唯一の楽しみは、食べることと休むことで、寒さにはまったく頓着せず、全裸で平気でした。

ヴィクトールを保護したイタールという医師は、彼にフランス語を懸命に教えましたが、結局、ヴィクトールはついに一言も発することなく、四〇歳でその生涯を終えたそうです。このアヴェロンの野性児でわかることは、幼少時に人間文明から隔絶されたヒトの脳、とりわけ人生のごく初期の一〇歳ぐらいまでの脳は、言語獲得に致命的な障害を受けるということです。人間の脳の正常な発達には、人間社会とのたゆまぬ接触、刺激が欠かせないことがわかります。

この二つの例が示しているのは、私たち人間の脳は、外部環境からさまざまなバランスのとれた刺激を受けることによって、まともに発達していくということです。脳が可塑性をもっているというのは、そういう意味なのです。

私が脳を円熟させようというのも、この脳の可塑性あってのことです。人間、二〇歳を過ぎたら、脳細胞はどんどん死んでしまうとか、記憶力が豊かなのは若いうちだけだなどと、脳というものを、修理不能な精密機械であるかのように固定化して考える必要はありません。脳は成人してからは衰えるだけと思ったら、とんでもない間違いです。脳は年をとってからでも日々、自らを更新し、より豊かに複雑に円熟していく可能性をもった、驚くべき存在なのです。  

大島清 医学博士

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