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豊かな人生を送るためには?五感でフルに快感を味わい動物脳を鍛えることが重要なワケ

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年8月16日 11時0分

豊かな人生を送るためには?五感でフルに快感を味わい動物脳を鍛えることが重要なワケ

(※写真はイメージです/PIXTA)

どうせなら、楽しく年をとりたいですよね。医学博士の大島清氏は著書『“円熟脳”のすすめ 脳を活性化させて健康で長生き』で、「人生の後半は、自分の脳をいかに円熟させるかにかかっているのです」と言います。一体どういうことでしょうか? 詳細を本書から紹介します。

脳を鍛えるとは、動物脳を鍛えること

円熟した豊かな人生をおくるためには、脳を鍛えて、円熟脳をつくらなければなりません。では、円熟脳をつくるためには、どういう鍛え方をしたらいいのでしょうか。その方法は、いろいろありますが、脳を鍛えるといっても、受験勉強のように暗記したり、論理性を訓練したりすることではありません。

健康で、気持ちよく生きることのできる脳を育てるには、「見る」「聞く」「味わう」「嗅ぐ」「皮膚で感じる」という、本来、動物としての私たちにそなわっている「五感」を思いっきり働かせるようにすることが、なによりも必要なことなのです。

かといって、けしてむずかしいことではありません。ふだん私たちが行っていることを少し意識して実行してください。山野や海辺に出かけていって、気持ちのよい日ざしを浴びたり、さまざまな匂いを運んでくれる風につつまれて一日をすごします。「わぁ! 気持ちいい~!」と大きな声で感動してください。

愛しあっている恋人同士であれば、意識して手をつないだり、抱きあったり、時と場所によっては、キスしあったり、のびのびとセックスする。趣味の野菜作りに汗を流したり、草木染にチャレンジしたりするなど、ヒトに本来そなわっている動物としての手足と、さらには五感を、フルに働かせて、心地よく、楽しい日常生活を心がけることです。

脳を円熟化しなさいといっても、それは特殊なことは必要としません。日常的に私たちが体験している快感を意識するだけでいいのです。人間としてごくあたりまえの、気持ちよさの追求こそが、もっともだいじなことなのです。

その理由としては、私たち人間の持つ、脳の構造に大きくかかわっています。私たちの脳は、私たちがまだ動物だったころに形成された古い脳の上を、「前頭葉」を中心とした新しい脳がぐるりと包みこむように形づくられています。この前頭葉は、言語活動を行ない、ものごとを認知したり、類推したりするなどの、精神活動をつかさどっています。そのうえ、考えたり、計画したり、判断したり、創造したり、恋愛したり、石にかじりついてでもやり遂げる、といった人間でしかやりえない行動をプログラムし、ゴーサインを出してくれるところです。「前頭葉」こそ、私たちを人間らしい生き物にするための脳の重要な部分になります。

しかし、だからといって、前頭葉がすべてというわけではないのです。脳全体がバランスよく機能するには、前頭葉の下部組織である動物脳、すなわち「大脳辺縁系」がいきいきと活動していることが欠かせません。なぜなら大脳辺縁系は、私たちにとってたいせつな、快、不快、安心、恐れ、怒り、といった原初的な感情(情動)をつかさどるセンターだからです。

ここがしっかり機能しないことには、私たちはいつも不安で、落ちつきのない状態におちいります。よく偏差値秀才のなかに、頭はいいのだけれど、豊かな感情・生命力に乏しく、人間的魅力に欠ける人がいます。こういうタイプの人は、この大脳辺縁系の働きが弱く、脳がトータルにその機能を発揮していないといえましょう。

大脳辺縁系は、かつて私たちが哺乳動物だったころに、「嗅脳」と呼ばれていたところが進化したものです。ここには、人間にとってきわめてたいせつな「海馬」、「扁桃核」、そして、それらとつながりを持つ「視床下部」が存在しています。

なお、視床下部とは、親指の頭ぐらいの大きさで重さも五グラムぐらいしかありませんが、体温やホルモン、水分の調節、食欲、性欲、体内時計など、人間が生きていくうえでの重要な機能をコントロールしているところです。

「嗅脳」という言葉からも想像できるように、嗅覚や味覚は、この大脳辺縁系が処理するたいせつな感覚です。この味覚、嗅覚の情報を入力するところが扁桃核です。扁桃核は、自分自身を守る防衛行動や、逆に相手を攻撃する行動にかかわっています。

個体維持のほかに動物にとって重要なことは種族維持です。性行動や社会行動などがそれにあたりますが、ここにかかわっているのが海馬です。海馬は視床下部とつながっていて、私たちのまろやかな感情をつくってくれています。霊長類にとって原始的な情動である、快、不快、恐れ、怒りの感情はここで演出されるのです。このように大脳辺縁系には、個体の維持、種族の保存という生命活動と、人間の三大本能である食欲、性欲、集団欲が宿っています。そして、その欲求をよりよく満たすための快・不快、怒り、恐れといった、人間の基本的な心が息づいているのです。

動物脳を満足させないと、心も荒れてくる

こうした動物的本能の大脳辺縁系に対して、言葉をつかさどる大脳新皮質では、人間の行動を律する理性・知性がやどり、喜びや悲しみや妬みの心が働くわけですが、ヒトの行動は、この二つの新旧の脳、大脳辺縁系と大脳新皮質の、おたがいのかけひきによって決まってくるのです。これはひじょうにたいせつなことです。大脳辺縁系をたいせつにしないと、しだいに心が荒れてくるから不思議です。

古い脳と新しい脳は、つねにキャッチボールをしており、おぎないあっています。言葉の世界と、原初的な感覚がせめぎあうことで、私たちの精神は成立しているといってもいいでしょう。すなわち、私たちの精神世界は、味覚、嗅覚、触覚などの原始感覚によって、その活動を支えられているともいえるのです。ですから、この感覚をないがしろにしたら、前頭葉は発達しませんし、十分に機能することもありません。

たとえば人間の赤ん坊は、まず口でものを感じるところからスタートします。口腔は原始感覚の宝庫です。赤ん坊は、おっぱいを吸うことによって、お母さんが何を食べたかを知覚し、外の世界を知ります。お母さんが変なものを食べて、それがおっぱいに出ると、そのおっぱいを拒否します。また、赤ん坊は何でもしゃぶって、そのモノと自分との距離や、大きさなどを知ります。この感触なしに育った赤ん坊は、脳の発達にアンバランスを生じます。

嗅覚もたいせつです。小さいときから蓄膿症で、においがわからない子どもは、学習能力が遅れると報告されています。またアルツハイマー症になると、嗅覚がシャットアウトされ、脳の機能に不全が生じます。ネズミの鼻に栓をして育てると、迷路を抜け出させる学習をさせてもまったくできず、交尾も不能となります。嗅覚が損なわれると、たいせつな脳の働きが遅れてしまうのです。深刻なアルツハイマー患者の多くが嗅覚を失っていることに気づいてください。

動物脳の危機は、人類の危機

現代のように、すべてがモノで囲まれた環境になってくると、こうした原始感覚はどうしても損なわれやすくなります。人間だけでなく、地球上の生物のリズムは太陽の明暗、寒暖のリズムにしたがっており、それは遺伝子にしっかり刷り込まれています。

月経、性交、出産をふくむ生殖のリズム、体温や血圧のはたらき、ホルモンの分泌も遺伝子にセットされた体内時計によって変化します。ところが、現代の都市に生きる私たちは、ほんとうの闇というものを失ってしまいました。昔の夜はまっくらで、おばけごっこもできたのに、いまはそんなことは不可能です。自然環境もさんたんたるもので、小川のせせらぎも、野の花のかおりも、ほほを撫でる風のそよぎも、感じとることができません。

昔は広い原っぱもたくさんあって、路地や裏通りもありました。そこには語り部がいて、子ども同士、あるいは子どもと大人が交流するたいせつな場所でした。しかし、いまや人と人のあいだには、スマホによるSNSなどがわりこんで、人間同士が直接的な交流をすることは少なくなりました。そして、子どもたちは外部から遮断された、エアコンをきかせた密室でスマホアプリに支配されてしまうのです。

自然との接触、人と人の直接の触れ合いが少なくなったその結果、原始感覚をフルに回転させて味わい、そこからさまざまな思いをめぐらせるという世界がきわめて狭くなってしまっています。こういう時代だからこそ、意識して動物脳に刺激をおくるようにして、脳全体のバランスをとりもどしていく必要があるのです。

視覚だけが肥大化した現代人

五感を刺激するということで考える必要があるのが、すでに述べましたが、現代は「視覚偏重」社会だということです。もともと現代人の脳が外界から受け取る情報のうち、八〇パーセント以上が視覚からくる情報だといわれています。実際、私たちの日常生活における行動は視覚にたよっています。暗闇でも行動できるネコなどとちがって、私たち人間は、真っ暗で何も見えないと家の中でさえ自由に動けないのです。

はじめて直立した私たちの祖先は、いざ、立ち上がってみると、大きく世界が変わりました。それまで目先のものを鼻でにおいをかぎ、舌でたしかめていたものが、視点が高くなったことで、遠近、濃淡、色調、動きなどのすべてを、遠感覚でとらえることができるようになりました。いきおい、視覚系は猛烈に進化しはじめました。そしてヒトは、いま私たちが暮らしている、高度に発達した文明にまでいきついたといえましょう。

しかし、それでも、ついこのまえまで、私たちは視覚以外の四感をかなり使ってきたはずです。なかでも嗅覚は幅をきかせていました。それが証拠に、においは人間の記憶に、大きく関わっているのです。「母親のにおい」という言葉があります。

久しぶりに帰郷して、昔のままの実家に足を踏み入れると、忘れていた子どものころの記憶がどっとよみがえってくるのも、昔のにおいが残っているからでしょう。肉まんのにおいをかぐと子ども時代を思い出すという人もいますが、こうした体験は多くの人にあると思います。嗅覚記憶は、視覚記憶を側面からサポートしているのです。

つまり、視覚以外の四感は、二本足で立ち上がって以後、どうしても視覚偏重になりがちな私たち人間に、嗅覚や味覚の記憶をよみがえらせては、脳がロボット化しないようにしてきたのです。ところがどうでしょう。現代文明では、本を読んだり、テレビ、ビデオを見たり、クルマの運転をしたり、パソコンやスマホを操作したりなど、ますます視覚情報が生活の大きな部分を占めるようになっています。

子どもたちを見てください。彼らの周囲には視覚メディアがはんらんしています。マンガ、アニメ、ファミコン、スマホ……と視覚情報があふれかえり、彼らを24時間捕らえて放しません。視覚情報だけで快楽するようになった子どもたちの脳の回路は、大人になってからも、洪水のごとく溢れる視覚攻勢にさらされています。

たとえば、たった一人の部屋で、アダルトビデオを見てマスターベーションする若者。相手のにおいも、やわらかい(あるいはたくましい)身体の感触も、肌ざわりもなく、舌で味わう感覚も、そしてペニスを挿入し、粘膜を通じて得る、あのすばらしい融合感もない、ヴァーチャル・セックス。視聴覚刺激だけでエクスタシーらしきものに達する「脳内射精」。そこから行き着くのは、セックスレス夫婦、いや、もはや男女が触れ合うことのない、セックスレス社会でしかないでしょう。

皮膚感覚を刺激すれば、植物人間の脳も回復する

触覚は、私たちヒトが、人間であるうえで、きわめて重要な働きをしています。それは私たちの脳が、発生期の初期に、皮膚が中にへこんで発達したものであることをみても明らかです。お母さんのお腹のなかで、赤ちゃんが生育するプロセスを見てみましょう。動物でも、植物でもそうですが、生物が生育するときは、まず最初に、内側を保護する外側の皮や膜ができます。人間も同じで、胎児は外側に膜ができ、その膜の中に内臓が浮かんでいる形になります。やがて、この膜は内側にめりこんでいき、前後に長く伸びていきます。

それが脳です。前に伸びたところは膨らんで脳の本体になり、後ろに伸びたところは、脊髄神経系になります。こうしてみると、皮膚と脳はいわば兄弟のような関係にあることがわかります。皮膚を刺激すれば脳が刺激され、刺激を受けた脳から命令が出されると、ホルモンの関係で、皮膚がつややかになります。いい恋をすれば、女性は顔や肌の色つやがよくなり美人になると言われるのは、まんざらウソでもないのです。

やがて胎児の皮膚には、目二つ、耳二つ、鼻二つ、口の七つの穴が開きます。これは見たり、聞いたり、嗅いだり、食べたりして、自分をとりかこむ環境と直接に交流する場所です。つまり、人間にとってきわめてたいせつな感覚器は、皮膚から発生しているのです。皮膚感覚がいかに人間にとってたいせつか、ここにもその理由があるのです。

私たち現代に暮らしている人間は、一見、健康に何の支障もなく活動しているように見えて、そのじつ、脳のほうは、ある意味で植物人間状態にあるのではないでしょうか。視覚刺激ばかりを追求し、見たものだけで脳を快感させ、視覚以外の四感をどんどん切り捨ててしまっているのが現代人なのです。実際、高度成長の波は、私たちに、くさいものやザラザラヌルヌルしたものや、酸っぱいもの、苦いものを切り捨てさせてきたのです。そんな私たちの脳をリハビリするには、たゆまず、あきらめず、皮膚感覚を刺激していく以外に方法はないとさえいえるのです。

ほんとうの快感は、身体性をともなう

このような皮膚感覚と脳の関係でいえば、精神的円熟には、身体的な喜びがついてまわります。つまり、身体性をともなって、精神的な喜びを感じるということが、脳の活性化にはもっともたいせつなポイントなのです。その典型的な例がセックスです。

セックスは、人間の幻想に大きく依拠していますが、同時に、人間と人間の身体の勝負ともいえましょう。相手の身体を抱き、そのにおいを嗅ぎ、手の感触で確かめ合い、皮膚と皮膚を接し、最後には粘膜を融合させながら、二つの肉体がひとつになる行為です。

セックスならずとも、手を触れ合ってお互いの体温を確かめ合い、心を通して信頼と愛を感じるだけで、私たちは無上の喜びに達することができます。これに対して、アダルトビデオなどの、視覚情報だけで性的に興奮し、オーガズムを得るマスターベーションも、前頭葉を発達させた人間にとって、たしかにセックスの一ジャンルであることはたしかでしょう。しかし、ホンモノのセックスが与えてくれる、より深く、豊かで、心からの快楽とはくらべ物になりません。

ヒトの脳は、何かの目的を達するために行動を起こして身体を動かしたり、運動したりしたときに、その働きかける対象とのかかわりのなかで、五感を通じて爽快感、達成感、解放感、郷愁などの「すばらしい」という感覚を得ます。

この「すばらしい」=「気持ちよかった」という感覚は、ふたたび身体のなかで、つぎなる行動を誘発します。つまり感覚がまた、運動を仕掛けるのです。つまり、運動→感覚→快感→運動→感覚→快感という、前頭葉と大脳辺縁系のキャッチボールが行なわれます。

こうしたキャッチボールが数かぎりなく続くうちに、それがやがて、上位の精神的な快楽につながっていきます。そして、脳はしだいに活性化していきます。同時に身体も運動によって活性化していきます。その結果、少々老化したとはいえ、その年齢相応の快感、あるいはそれ以上の快感を得るわけです。脳を円熟させるには、快感がだいじといっても、たんに心のなかで快感を叫ぶだけでなく、そこに身体的動作がついて回ることがたいせつなのです。それこそが、ほんとうに円熟した姿ではないかと思います。

どんな運動が脳にいいのか

ここで誤解してもらっては困るのは、意味もなく激しく身体を動かして汗をかけば、脳が活性化するわけではないということです。健康ブーム、ダイエットブームの昨今、どんなところにもスポーツクラブがあり、多くの人が、高いお金を払って一心不乱に身体を鍛えています。しかし、そうした人たちの表情を見ると、あまり楽しそうではないのが気になります。

失礼ながら私には、スポーツクラブで汗を流している人たちの多くは、回転する環のなかをグルグル回るネズミのように、時間がくるまで、苦痛にたえながら必死にやっているイメージが多い気がします。ノルマを達成することだけを考え体を動かし、それが終わるとシャワーを浴びてさようなら、です。たしかに運動はしていますが、それは、たんなるカロリー消費と、筋肉強化でしかありません。なかには、その後ビールを飲むためのエクササイズと割り切っている人もいるようです。

こうした「運動」は、たとえば農作業や趣味の園芸、あるいは俳句の吟行といった、前頭葉を活発に使う、精神性の高い運動とは基本的にちがいます。ご当人たちは、そうしていれば健康でいられると錯覚しているようですが、こうした運動は、脳の円熟化とは無関係といえます。たんに肉体を鍛える、健康管理をする、ということだけにとらわれていては、ほんとうの目的を見失ってしまいます。かんじんなのは、精神性と身体性の、よりよきバランスということです。

その意味で、スポーツクラブで苦しい思いをして肉体トレーニングをするより、散歩をしながら俳句をひねったり、バードウォッチングをしたり、あるいは家じゅうの床をピカピカに磨きあげるといった「気持ちのよい」身体トレーニングのほうが、脳を円熟させていくうえでは、はるかに効果的であり、ひいては体の健康を保つことにもなると知っておいてください。  

大島清 医学博士

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