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自然とのふれあいが円熟した人生への早道!聴覚・嗅覚・味覚・触覚で周囲を見直そう

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年8月17日 11時0分

自然とのふれあいが円熟した人生への早道!聴覚・嗅覚・味覚・触覚で周囲を見直そう

(※写真はイメージです/PIXTA)

どうせなら、楽しく年をとりたいですよね。医学博士の大島清氏は著書『“円熟脳”のすすめ 脳を活性化させて健康で長生き』で、「人生の後半は、自分の脳をいかに円熟させるかにかかっているのです」と言います。一体どういうことでしょうか? 詳細を本書から紹介します。

都会生活から奪われた「遠いまなざし」

多くの人々が自然のなかでの暮らしを求めているのは、現代の都会生活のなかでくたびれ果てた私たちの脳が、懐かしい原風景へとたちかえることを求めているからではないでしょうか。いま、日本人の多くが暮らしている都会の風景は、これまでの日本人の歴史では経験されたことのなかった、かなり特異なものです。都会には地平線、水平線がありません。

視線はすべて、直立する高層建築によって遮断されています。経済効率が最優先された結果、建築は上方へ、上方へと競って伸びていき、その結果、東京には空がなくなってしまいました。東京の山の手線に乗って、一周してみれば、以前は遠くまで見通せた風景が、いまではまったく見通せなくなっています。見えるのは、高層ビル群の窓、窓、窓、それだけです。東京で遠くまで展望できる場所といったら、荒川や多摩川の河川敷と、皇居周辺ぐらいなものです。海を求めて湾岸にいっても、はるか沖まで埋め立てられ、水平線の一部がようやく見える程度です。

いや、これにも例外があります。東京でも遠い地平線を見渡せる場所があります。それは、皮肉にも、私たちから遠いまなざしを奪っている、高層建築の最上階です。私たちは地上四〇階、五〇階という超高層建築の頂上にたってはじめて、遠い山脈や水平線、日の出、日没の光景を望むことが許されるのです。

現代の都市で暮らすということは、かつて私たちが直立歩行することによって、初めて獲得した「遠いまなざし」を喪失してしまうということです。丸の内や東京駅あたりで、歩いている人々を見ていると、それがよく現われています。人々はけっして空を見あげたり、遠くをながめることなく、視線をこころもち自分の足元前方に落として、せかせかと先を急いでいきます。

そこには、遠い未知のものにあこがれるまなざしも、壮大なるものに対する畏敬の念もありません。その目に映っているのはわずか数メートル先、せいぜい十数メートル先のことがらです。この人たちのまなざしには、豊かな感情は映し出されていないように思えてなりません。そうした現代人の都会暮らしに脳が抵抗するのは当然でしょう。

田舎暮らし、自然のなかでの暮らし。これを求める人が増えているのは、都会暮らしで喪失しつつある「遠いまなざし」をもう一度回復したいという、人間として根源的な欲求に発しているように思います。

ほんとうの円熟社会とは

私たち人間は、ヒトである前にまず動物なのです。動物はモノを食べ、排泄し、ホルモンを分泌し、においを出す存在です。しかし、現代社会は、過剰な「清潔志向」に陥り、においや汗を追放しようとしています。その結果、ヌルヌル、ベトベト、といった生物が本来持つ、生命の感触を失いつつあります。

このようなひとりよがりの清潔志向が、ヒトという生き物にとって、きわめてあぶない兆候であることは、いうまでもありません。本来、ヒトという生命体は、細菌やウイルス類とも共生関係を結ぶことによって、その生命を維持しているのですから、細菌やウイルスをすべて遮断しようというのは到底不可能であり、もはや自殺行為でしかありません。一切の菌類やウイルス類を遮断した無菌室でしか生きられない患者になろうとしているのです。人類を襲った“エイズ”、今回の〝コロナ禍〟もその兆候だといえるでしょう。

こうした奇形ともいえる状態を脱して、ヒト本来の生き方をとり戻すには、なにはともあれ、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を、ふたたび活性化して、回復させることです。視覚によってほとんど支配されてしまっている日常生活のなかで、ちょっと立ち止まって、聴覚、嗅覚、味覚、触覚で自分の周囲を見なおしてみてください。

たとえば、近所を散歩するおりでも、風景や景物を目で追うだけではなく、手で触れてみたり、においをかいでみたり、ときには舌で味わってみてたしかめてみてください。花が咲いていたら、「キレイだな」で通りすぎるのではなく、鼻先を近づけてにおいを嗅いでみることです。そして、手先で触れてみることです。

可愛い子犬がいたら、腕にだきあげて、頬ずりしてみてください。そして、犬のにおいというものを嗅いでみるのです。街中におもしろい彫刻があったら、手で触れてみて、その感触をたしかめてください。ただ見るだけとは、またひと味違った鑑賞が得られるはずです。

あるいは公園のベンチにすわって、目をとじてみてください。目をとじて視覚を遮断すると、いままで気がつかなかった木の枝の揺れる音や、ほほをなでる風の感触、太陽の光のぬくもり、あるいは自分が着ているセーターの感触など、じつにさまざまな情報を私たちの体が受けていることに、あらためて驚くはずです。

モノを味わうのでも、たんに甘いとか、塩辛いといった、単純な味ばかりでなく、酸っぱいもの、苦いもの、渋いものを積極的に味わってみることです。グルメブームなどといいながら、現代人は味について、きわめて鈍感です。甘かったり、辛かったりと、口当たりのいいものはいくらでも味わうクセに、苦い、渋い、酸っぱいについては、かんたんにギブ・アップしてしまっています。そのため、現代人は、自然本来の果物や野菜のもつ、微妙な味わいがわからないのです。

いずれにせよ、大脳辺縁系の動物脳を活性化することは、私たち現代人にとっての急務だと思います。これまで、ずいぶん悲観的なことも述べてきましたが、都会生活でも、ちょっと足を止めれば、五感をフルに働かせて動物脳に刺激を与えることができるのです。それが脳を円熟させることにつながると同時に、五感を通じて、人類はこの地球環境のなかにわかちがたく溶け合ってこそ、はじめて生きていけるのだということも、身をもってわかってきます。

自然を排除するのではなく、自然との共生をはかる社会へと、個人だけでなく、社会全体も円熟してこそ、豊かで、多くの人が楽しく生きられる円熟社会を迎えられるでしょう。  

大島清 医学博士

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