なんだか懐かしい…父からもらった100万円を手に「単身渡欧」した16歳の夏休み、オーストリアに感じた故郷・北九州との共通点【N響コンマス・マロの実体験】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年9月15日 8時0分
(※写真はイメージです/PIXTA)
オーストリアを中心に、ヨーロッパでは偉大な音楽家が数多く生まれました。そんなヨーロッパに、ヴァイオリニストである篠崎史紀氏は、高校2年の夏に単身で渡ったといいます。モーツァルト生誕の地であるオーストリア・ザルツブルクでの体験を、篠崎氏の著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)で詳しくみていきましょう。
16歳、目の前に積まれた100万円でヨーロッパに
1979年、高校2年生の春、父が私の目の前に100万円の札束をポンと置いた。
「おまえ、海外に行ってみたいだろう。これを持って遊びに行ってこい」
父はにやっと笑って、目を丸くしている私に言った。後述するが、両親は地元、北九州で篠崎バイオリンスクール(現・篠崎ミュージックアカデミー)を主宰。父はヴァイオリンとチェロの講師を務めている。
母は幼児教育の専門家で、子どもたちにヴァイオリンを教えている。私は両親からヴァイオリンの指導を受け、中学、高校と、地元のアマチュアオーケストラで活動していた。
その頃の私といえば好奇心いっぱいの16歳。広い世界を見てみたい。答えはもちろん「行く」。出発は夏休み。行き先は未定だ。
翌朝には、家のあちこちにヨーロッパの写真集などが置いてあった。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の写真集をめくると、舞台となったオーストリアのザルツブルクやアルプスの山々や中世から残る古い街並みが目に飛び込んできた。
ザルツブルクはモーツァルト生誕の地で、夏には音楽祭が開催される。そのほかにも夏季にヨーロッパ各地で開催される音楽講習会のパンフレットや、体験談を書いた本が置いてあった。
クラシック音楽をやっているのだから、偉大な音楽家が生まれたヨーロッパの国々にもちろん興味はある。だが、それよりもまず先に頭に浮かんだのは映画「007」の世界だった。小学生の頃、地元の映画館で観た007シリーズのジェームズ・ボンドに憧れて「008」を目指していた時期もある。
家にはベネチアの写真集も置いてあって、そこには「007/ムーンレイカー」の予告編で見たサン・マルコ広場や運河をわたるゴンドラが写っていた。
すっかりその気になり、いろいろ調べてみた結果、音楽講習会を受けるツアーに参加することになった。結局は父のてのひらで転がされたというのか、まんまとひっかかったというのか。完全にはめられたというわけだ。
でも選んだのは自分。せっかく行くことにしたのだから、何かを得てこようと思ってしまうのも、私の持って生まれた性分だ。
両親が子どもに教えるときはいつも、一人ひとりをよく観察して、その子に合ったやり方を見つけていた。得意なものを伸ばしていた。
私の場合、大人になった今でもそうなのだが、自分がワクワクすることしかやらない子どもだった。そんな私に、最初から「夏休みはヨーロッパで音楽の勉強をしてこい」と言っても素直に首を縦に振るわけがない。父はすべてお見通しだったのだ。
それにしても私が留学したのは半世紀近く前。ヨーロッパは今よりずっと遠かった。インターネットがあるわけじゃないから連絡はすぐに取れない。国際電話の料金は当時1分で1,700円くらいしたので、しょっちゅうかけるわけにはいかない。
スマートフォンがない世界なんて若い人は想像できないかもしれないけれど、スマートフォンが翻訳してくれるわけじゃない。わからない言葉があったら辞書で調べる。行きたい場所があったら紙の地図を見て行く。
そんな場所に、うちの父は「行ってらっしゃーい」と、まるで近所に遊びに行くようなノリで送りだした。今思うと信じがたい。
ワクワクすることが大好きな私の性分は、父譲りなのかもしれない。
コミュニケーションはパントマイムで
高校2年生の夏休みに渡欧。オーストリア、フランス、スイス、ハンガリーなどを周った。
講習会を受けたのはオーストリアのザルツブルク。モーツァルトの生家を見に行ったり、モーツァルトが散歩した道を辿ったり、半分は観光客気分だった。宿舎は修道院。朝食は食堂で出してもらえるが、宿舎内のキッチンで自炊もできた。
あたりまえだが言葉が通じない。でも、それすらも私の好奇心をくすぐった。不安よりも、誰にも監視されていないという開放感の方がずっと大きかった。
自炊するために卵を買おうとスーパーマーケットに行っても、英語が通じない。こうなったらボディランゲージしかないと、ニワトリの真似をした。「コケーコッコ……」とやって、卵を産むところまで、店の中でパントマイムを演じてみた。最後は人差し指を口に入れてポンッと鳴らす。卵を産んだ音だ。どうやら通じたようで、店員は笑いながら、卵の売り場に連れて行ってくれた。
「これ何?」と日本語で聞くと「Ei(アイア)」。なるほど、卵はEiかと覚えた。私の語学上達術は、あくまで暮らしながら、ボディランゲージを駆使しながら。
ツアーで一緒だった大学生たちは、いつも日本人どうしで固まっていた。言葉が通じないからと、街に出るときは辞書を片手に出かけていた。
「大丈夫だよ。日本語でしゃべりながらニワトリの真似したら通じたよ」と言うと、きょとんとしていた。大学生ともなると体裁というものがあるのかもしれないが、高校生の私はまったく平気だったのだ。
当時は、現地には英語を話せない人が多かった。アメリカに対する複雑な感情もあったのだろう。ジーンズをはいていると「アメリカの作業着を着てくるな」と顔をしかめる先生もいたぐらいだ。今思うと、人種差別的な発言だけれど、当時は第二次世界大戦を体験した人たちが多くいたので無理もないだろう。
とはいえ、基本的に親切な人が多かった。困っていると近づいてきて、どうしたのかと尋ねてくる。そこにさらに、「どうしたの?」と人が集まってきて、私をそっちのけで井戸端会議が始まってしまったこともある。
この感覚、なんだか懐かしい。肌で知っている。私が生まれ育った北九州の小倉もおせっかいな大人たちが多かった。道に子どもがいると、なんやかんやと声をかけてくれた。おかげで私は子どもの頃から大人と自然な距離で話ができた。
異国のおせっかいな大人たちと臆せず話ができたのも、故郷で培った経験のおかげだろう。子どもの頃、近所を歩いていて、誰とも話さないで帰ってくることはほとんどなかった。周りの大人たちと話をすることが自然だったし、お年寄りが子どもだった私を相手に戦争体験の話をしてくることなどもよくあった。
篠崎 史紀 NHK交響楽団特別コンサートマスター/九州交響楽団ミュージックアドバイザー
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