ああ、この人、本当に存在するんだ…N響のコンマスが憧れた現代の「偉大なマエストロ」
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年10月13日 8時0分
(※写真はイメージです/PIXTA)
ピアニスト兼指揮者として世界的に活躍していた、元NHK交響楽団の音楽監督であるウラディーミル・アシュケナージ氏。彼のことを、N響のコンサートマスターである篠崎史紀氏は文句なしのヒーローだったと語ります。篠崎氏の著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)より、N響を愛した指揮者であるアシュケナージ氏について詳しくみていきましょう。
まるで“ヒーロー”の指揮者…アシュケナージのN響への想い
●ウラディーミル・アシュケナージ(1937年7月6日~) 旧ソヴィエト連邦出身の指揮者、ピアニスト。モスクワ音楽院で学び、1962年のチャイコフスキー国際コンクール等で優勝後、ピアニストとして活躍。膨大な録音を行うなど、20世紀後半を代表する存在となった。 1970年代からは指揮活動にも取り組み、ロイヤル・フィル、ベルリン・ドイツ響、チェコ・フィル等のポストを歴任。N響では、2004~07年に音楽監督を務め、退任後は桂冠指揮者となった。2020年1月、演奏活動からの引退を発表。我々の時代のアシュケナージは、文句なしのヒーローだった。ベートーヴェンのソナタをはじめ、あのピアノ演奏はやはり凄い。私は全盛期を同時に体験していたし、ウィーンにいた頃も、彼のピアノを聴いていた。だからN響で最初にお会いしたときは、まさに「ヒーローが目の前に現れた」といった感じで、「ああ、この人、本当に存在するんだ」とさえ思った。
彼は、海外に出ていこうとしていた当時のN響に相応しい音楽家でもあった。世界でデュトワを知らない人はいても、アシュケナージを知らない人はほとんどいないし、ピアニスト時代に培った人脈も幅広い。
N響がアメリカ演奏旅行に行ったときなど、普段はなかなか動いてくれないカーネギーホールのスタッフも、アシュケナージが頼めば要求通りに動いてくれた。それほどリスペクトされていたし、ウィーンやスペインのコンサートを新たにセッティングするといった交渉術も見事だった。そうした手腕はデュトワとは異なるものだ。
彼の望みはシンプルに「みんなと一緒に音楽がしたい」だったと思う。楽員には丁寧に接するし、ランチも近くのコンビニに行って自分のお金で買っていた。こんな指揮者はまずいない。
よく「(指揮するときの)棒がわかりにくい」と言われていたが、私から見れば十分だった。例えば現代曲では、彼の頭の中で想像している音が、棒で表現できない次元に達していた。棒が理解しづらいときも、一緒に指揮者室に行ってその箇所をピアノで弾いてくれると、どの声部がどうなっていて、彼がどういう演奏をしたいかということがたちどころにわかる。
もはや彼の頭の中では、作曲家が書いたものを超えていて、どうすればその曲がもっと良くなるかということまで知っていた。
言い換えれば、アシュケナージは「作曲家に近い指揮者」だった。「作曲者が書いたことを自分の中に取り込んで、それを探ろうとした人」とも言えるだろうか。彼が、作曲家を物凄くリスペクトして、作品の全ての内容を細かく理解し、自分の中で消化した上でそれを表現しようとしていたのは間違いない。だからある意味、彼の見えない部分を見ないと理解できないかもしれない。
年間20枚のレコードを制作…まだまだあるアシュケナージ氏の“逸話”
話は逸れるが、私がヨーロッパにいたときリハーサルを見学したことのあるジュゼッペ・パターネ、セルジュ・チェリビダッケ、カルロス・クライバーといった指揮者は凄かった。もう言っていることが神次元。
彼らは「作曲家がこの楽譜に込めたであろう、しかし実際の楽譜には書かれていないこと」を話す。
そうした「作曲家と向き合うことを知っている指揮者」という意味では、アシュケナージも同様だ。彼はピアノの世界的名手だから、根底では完全にできている。だからスコアを見てピアノを弾き始めると物凄い音楽が生まれる。ウィーンでリハーサルを見学したときも、彼がピアノを弾くと、楽員たちはその音楽の真意を即座に理解した。
アシュケナージは、そうした楽譜から滲み出る何かを感じ取る能力が素晴らしく、情報量も豊富だった。
何しろ彼は、ラフマニノフのピアノ協奏曲全4曲と「パガニーニの主題による狂詩曲」を2日で録音してしまうし、1年間に20枚のレコードを制作することができるピアニストだった。
「一体どういうことだ? どんなレパートリーの持ち方をしたらそんなことができるのだろうか?」と思う。だが本人から聞いた話によると、「学生時代は1日に2時間しかピアノが弾けなかった」という。
母国であるソヴィエト連邦の方針で、ピアノを弾く時間が2時間しか与えてもらえない。それ以外の時間は「ひたすら楽譜を見て、その中から重要なエッセンスを探していたし、それが面白かった」と語っていた。
詰まるところアシュケナージは、ピアニストや指揮者という以前に「音楽家」なのだと思う。そこを見ればとても尊敬できる人なのだ。それに人間性が素晴らしい。とにかくいい人。
しかも彼は「N響は素晴らしい」とずっと言い続けていた。N響の後にオーストラリアのシドニー交響楽団の首席指揮者(2009〜13年)に就任したとき、最初に楽員に向かって、「私はこの前までN響という素晴らしいオーケストラを指揮していた」と話して皆を啞然とさせたという。彼はそのくらいN響を愛してくれていた。
篠崎 史紀 NHK交響楽団特別コンサートマスター/九州交響楽団ミュージックアドバイザー
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