101歳の化粧品販売員が伝授!仕事へのモチベーションを高める方法
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年9月15日 11時0分
(※写真はイメージです/PIXTA)
一生楽しく働きたいですよね。最高齢のビューティーアドバイザーとしてギネス世界記録認定された堀野智子氏は、著書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』の中でそのための知恵を伝授しています。それは一体どんなものでしょうか? 本書から詳しく紹介します。
あり余る体力と気力から本業以外でも自分の〝腕試し〟
電話局の仕事は、「早番」と「遅番」の2交代制でした。遅番の日は、夕方4時半から翌朝8時までの勤務です。夜勤ですが、交代で眠ることができましたし、夜中は日中ほど電話交換の件数が多くないので、つらいと思ったことはありません。
むしろ朝8時半には仕事が終わり、そのあとは自由に時間が使えるのでありがたかったくらいです。何も遊びに行けるから、ありがたかったのではありません。母親が病弱だったので、家の仕事には、私の手が必要だったからです。
下の妹は、まだ幼かったので、その世話もしなければなりませんでした。とりわけ、私にとってこの勤務形態がありがたかったのは、空いた時間で仕立て物の内職ができることでした。私は子どものころから手仕事が大好きなんです。お裁縫であれ、編み物であれ、得意だという自覚がありました。
まだ20歳かそこらで、体力も気力もあり余っていたので、自分の腕試しもかねて「どれくらいやれるかやってみたい」と思っていたのです。それに内職で得た副収入なら、心おきなく自分で使えるという思いもありました。
給料は全額実家に入れる
電話局で仕事をしているとき、私は家を空けることになります。その間、すでに健康を損なっていた母親に、家の仕事を任せなければなりません。当時は家事において、長女の果たす役割は大きかったので、それを病弱な母に任せきりになることで、「私は十分なことができていない」「母に申し訳ない」と思っていたのです。
そこで、せめてお金のことでは不自由させたくないと思い、電話局でもらうお給料全額を家に入れるようにしていました。
時代背景として、「長子は家族を養うために働くもの」という価値観が強く残っていました。長男・長女は家の犠牲になるのが当たり前という時代だったんです。もっとも私には「家族の犠牲になっている」という思いは、これっぽっちもありませんでした。
父がまだ郵便局で働いていたこともあり、母は私に「そんなにお金に困っているわけじゃないから、給料を全部入れてくれなくてもいいよ。まず自分のお小遣いを抜いて、その残りを家に入れてくれれば十分だから」と言ってくれてはいました。でも、それでは私の気がすまなかったんです。
自分が働くことで誰かが喜んでくれるのは心底ありがたいこと
私が内職をする仕立て物は、母が親しくしていた染物屋さんが持ってきてくれました。最初に「お試し」があって、男性用の「袷」という着物を縫う課題を与えられました。それにパスしたら、正式に仕事を回してもらえる仕組みです。
私は腕に自信がありましたから、この〝試験〞に落ちるわけがないと思っていました。幸いなことに、「とても上手に仕上げてもらえてよかった」と言っていただくことができたので、次々と仕事を回してもらえるようになりました。
夜勤明けの日は、朝8時半に仕事を終えたら、走るように家に帰ったものです。帰宅したら、まずは朝ご飯を食べます。お腹ペコペコで帰ってくるので、お釡の中の白いご飯がうれしくてたまりませんでした。
若かったこともあり、食欲旺盛で何膳でもご飯のお代わりをしたものです。今では考えられませんね。父がそんな私の姿を見て、「飯はなんぼでも食っていいけど、釡までは食うなよ。ちゃんと釡は残しておけよ」なんて冗談を言っていたことを懐かしく思い出します。
喜ぶ人がいることが働くモチベーション
朝ご飯を食べたら早速、仕立て物に取りかかります。人様が聞いたら、「よくそんなに働けるね」なんて思うかもしれませんが、私は少しも苦にならなかったんです。
会社でもらったお給料を母に渡すたびに、喜んでくれるのもうれしかったです。仕立て物を頼んでくださる染物屋さんも、私が縫い上げた着物を受け取りにくるたびに「こんなにきれいに縫ってもらって」と、うれしそうにしてくださるのです。
いつの間にか私は、自分が働くことで誰かが喜んでくれるのは心底ありがたいことと思うようになっていました。それに後年、人付き合いのよすぎる主人と結婚して、生活費にこと欠くようになったとき、主人に恨みつらみをぶつけ続けるのではなく、「じゃあ、私が生活費を稼ごう」と考え方を変えることができたのも、このときの経験があったからだと思います。もっとも、主人を甘やかすことになってしまったのかもしれませんけれど……。
早過ぎる母親の旅立ち
電話局の仕事と仕立て物の内職とで忙しいながらも、充実した毎日を送っていた私ですが、22歳のときに母を見送るという悲しい経験をしました。45歳の早過ぎる死でした。当時、いちばん下の妹は9歳。まだ母親に甘えたい年ごろです。
この妹が不憫でならず、母亡きあとは、私がずいぶんと面倒を見るようになりました。かつては今ほど平均寿命が長くなかったので、早くに親を亡くす子は多かったと思います。子どもの数が多く、きょうだいの上と下で10歳以上の年齢差があるのは、ごく一般的でした。わが家のように母親が早くに亡くなり、姉が母親に代わって下の子を育てるというのも、よくあることでした。
私にしてみれば、きょうだいのいちばん上に生まれて、母親と長く一緒にいられた自分が妹の世話をするのは、当然すぎるほど当然のことだったんです。でも、妹にしてみると、ことさらやさしくしてもらった、丁寧に扱ってもらったという思いがあるようです。
その記憶が、今でも強烈に妹の心に残っているらしく、「私にとって姉ちゃんはお母さんみたいなものだから、いつまでも長生きしてね」と1人暮らしの私を気にかけて、しょっちゅうおいしいものを送ってくれるんです。
堀野智子 ビューティーアドバイザー
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