ジョブ型雇用で年収2,400万円の45歳サラリーマン、「転職前の年収450万円だったころ」に戻りたいと嘆く理由…正規社員・解雇規制緩和の「皮肉な処方箋」【FPが解説】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年9月19日 10時45分
(※画像はイメージです/PIXTA)
自民党総裁選で小泉進次郎氏が打ち出した解雇規制の見直しを巡り、各所で盛んに議論が繰り広げられています。その際、ひとつのキーワードとしてあがる「ジョブ型雇用」。一部の大手企業などですでに導入されている雇用制度です。本記事ではSさんの事例とともに、正規社員の解雇規制緩和によって想定されることについて、長岡FP事務所代表の長岡理知氏が解説します。
正規社員の解雇規制緩和
「正規社員の解雇規制緩和」という言葉が最近話題です。これはいま初めて生まれた言葉ではなく、この20年ほど定期的に話題となっています。
わかりやすく簡単にまとめると、「正社員を解雇しやすくしましょう」という意味になります。「正社員を簡単に解雇できるようになると、労働力の流動化が起き、企業の生産性が上がり景気回復に繋がる」ということです。正社員を解雇しやすくすることと景気回復が結びつかないという人もいるかもしれません。
「正社員を解雇したら景気回復に繋がる」とは……。なぜそのような議論がいま起きているのでしょうか。
解雇規制緩和論の背景
日本においては企業が正社員を解雇するためには非常に厳しいハードルがあります。解雇には4つの種類があります。「整理解雇」「懲戒解雇」「普通解雇」「退職勧奨」です。このうち整理解雇、つまり会社業績の悪化を理由に人員を削減するための解雇は、「整理解雇の四要件」と呼ばれる厳しい条件をクリアしなければなりません。
・人員削減の必要性 ・解雇回避努力義務の履行 ・人員選定の合理性 ・解雇手続の妥当性整理解雇するためには役員報酬のカットや新規採用の停止、内定者の取り消し、配置転換などの努力が見られない限り、解雇は認められません。普通解雇においては、労働者の能力不足、素行を理由に解雇するものですが、こちらもやはり配置転換や降格、教育などの努力を企業が行い回避努力をすることが前提となっています。営業職などに対して個人成績の不振だけを理由に解雇するのは許されないとされています。
これらは労働者の権利を守るためのルールですが、一方で、これが非正規雇用を生み出した最大の原因ともいわれています。
雇用の調整弁として利用される「非正規雇用」と「新卒採用」
企業の採用においては失敗がつきものです。厳格なプロセスを踏んで採用したものの、素行に問題があったり能力が欠如していたりして、言葉は悪いものの「お荷物」となってしまうケースがあります。しかし現状では、解雇は基本的にできません。いわゆる「負債人材」として人件費という固定費を定年退職まで抱えてしまうことになります。
そのようなときのための調整弁として、非正規雇用が生まれたというわけです。非正規雇用労働者は、業績悪化のときに真っ先に解雇できる便利な存在になります。しかし非正規の労働者は、正規雇用と比べ所得格差が大きく、その立場から脱出できないという社会問題が続いています。
また非正規雇用だけではなく、新卒の学生も雇用の調整弁として利用されています。たとえば2000年~2003年の就職氷河期では新卒求人倍率が0.9倍まで落ち込みました。業績が悪化した際に、新卒採用を抑え正社員の雇用を守らざるをえなくなるのです。
このような問題が正規社員の解雇規制緩和によって改善されると考えられています。解雇規制を緩和すれば、能力や適性のアンマッチが発生したときに解雇しやすくなるため、非正規労働者を雇うようなリスク回避をしなくてもすみます。同時に企業の採用活動も活発になるため、一定以上のスキルを身につけた労働者は新しい職場に転職もしやすくなります。
このように労働力が流動化することで、企業は攻めの採用活動ができるため、適性のある人材を採用しやすくなり、結果的に業績が上がり、日本経済の景気も回復するだろうという、夢のような将来が描かれているようです。
これを聞いてどう思ったでしょうか。なるほどと思えたでしょうか。
実際には筆者を含め「この話題はどこを切り取っても不自然さが漂う」と感じる労働者の方が多いと思います。非正規雇用が減るのではなく、正規雇用の非正規化になるだけではないかという懸念があります。大企業なら別かもしれませんが、全企業の99.7%を占めるという中小企業では解雇規制緩和による生産性向上は難しいと思われます。
国際労働機関(ILO)のレイモンド・トレス国際労働問題研究所長(当時)は、2013年10月19日の朝日新聞において、「労働者を解雇しやすくする規制緩和が、雇用を生み出したと裏付けるデータはない」と述べたことがあります。トレス氏は安易な解雇を抑えることで、むしろ非正規雇用の増加が抑えられるとしています。
「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」
解雇規制の緩和の問題を語るとき、ジョブ型雇用という言葉も出てきます。これは労働契約において、職務が特定される雇用関係のことをさします。たとえばマーケティング、経理、管理職、営業など企業によって多種多様の職務を、それぞれ専門に行うという労働契約のことです。
欧米では一般的なこの雇用関係は、日本ではごく一部の大手企業(のさらに一部の職種)にのみ導入されています。ジョブ型雇用は、従業員の年齢構成が変わり従来型の年功序列型の賃金体系が維持できなくなったことや、従業員の適性に応じて業務をアサインできることが導入理由として挙げられます。職務に対して賃金を支払うという労働契約を結ぶため、経験を積んだ専門性の高い人材を新たに採用することも容易となります。
一方で解雇という側面から見ると、「当該職務が不要になった」「能力が不足している」という理由を持って解雇しやすくなるともいえます。
日本企業では、長年「メンバーシップ型雇用」を行ってきました。新卒者を一括採用し、社内のさまざまな職種をローテーションで異動させながら、企業のメンバーとして終身雇用を目指すというありかたです。担当の職務が不要となっても配置転換をしてほかの職務に就くことが可能で、解雇はよほどの不祥事や深刻な人員整理がない限り行われません。ただし、このメンバーシップ型雇用は人件費がかさむ一方で、従業員の専門性が育ちにくいというデメリットがあります。
ただしメンバーシップ型雇用のメリットは、「能力面で多少劣っていても安定した雇用を保証してもらえる」という点です。誰もが能力とモチベーションが高いわけでもないし、いつまでも健康ではないのです。能力的な点でハードルがあっても企業という組織のメンバーでいつづけられるのは人生設計において非常に重要です。
ライフプラン、特に住宅ローン計画へ大きな影響を与えるジョブ型雇用
社員個人のライフプランから考えてみると、メンバーシップ型雇用のほうが、メリットが大きいのはいうまでもありません。住宅ローンなど大きな債務を負っている場合は、5年後、10年後の職の安定と賃金の見通しがなければ不安が強くなります。ましてや解雇規制が緩和され、いつでも解雇される危険があるとしたらどう感じるでしょうか。「住宅ローンなど危なくて借りたくない」と思うのが自然です。
ジョブ型雇用と解雇規制緩和が結びつくと、職場の雰囲気が変わる可能性があります。中小企業に勤務する労働者にとってどんな影響があるでしょうか。すでに中小企業においても実質的なジョブ型雇用と解雇制度を備えた業種、職種が存在します。そこでの事例をご紹介します。
苦節の末、3回目の転職で最高年収3,000万円に
<事例>
Sさん 45歳 ハウスメーカー勤務
年収2,400万円
独身(離婚歴あり)
過去に転職2回、3社目
Sさんはハウスメーカーの営業マンです。現在45歳。大学を卒業して就職したのがハウスメーカーで、それから23年、住宅営業を専門に行ってきました。現在の業績は年間契約数32棟で、勤務先ではダントツのトップセールスです。年収は2,400万円で、数年前には3,000万円を超えたこともあるほどです。
そんなSさんですが、新卒で就職した大手ハウスメーカーではまったく売れず2年間ゼロでした。その会社には明確な解雇基準はなかったものの、店長にやんわりと退職勧奨をされ、実質的に解雇となりました。店長からは「今日の午後から有給扱いにするのでもう出勤しなくていい、私物は定休日に取りにくればいい」と言われ、24歳だったSさんはショックを受けました。
クビになったなど実家の両親に言えず、失業手当をもらって丸2ヵ月アパートの部屋に引きこもったことを覚えています。
転職した先もハウスメーカーでした。一社目よりもはるかに小さい会社で研修体制が整っているわけではなかったものの、水があったのか突然年間12棟売れるようになり、自信もつきました。
しかしこの会社は社長が歩合給制度を嫌う人だったのです。いくら売っても歩合給はありません。全員で利益を上げ、全員が昇給していくのが理想だと何度も言っていました。
若かったSさんはそれが不満に。前の会社ではトップセールスは輸入車に乗って出勤するなどスター扱いでした。年間12棟を売っても年収は450万円。年間1棟しか売れない営業も、12棟売る営業も基本的には固定給のみです。解雇制度はなく、退職する社員はほとんどいない会社でしたが、Sさんは30歳となったときにこの会社を辞めました。
3社目、現在の勤務先はスカウトによる転職でした。高価格帯の注文住宅を販売するハウスメーカーです。前職と異なり、歩合制がメインの会社です。強い販売モチベーションを持つ営業社員が多いのが特徴。大声で社訓を連呼するような朝礼があるものの、営業力のある会社です。しかし、解雇制度がしっかりとありました。年間契約数4棟を下回ったら解雇です。
Sさんは解雇制度の詳細を見て、かつて自分が解雇になったときの惨めさを思い返してしまいました。この時点でSさんは結婚していて子供もいたため、解雇制度に少し恐怖心を持ちました。
「売れっ子営業マンだし心配しなくていいよ」と妻が励ましますが、Sさんは嫌な予感がします。
しかしSさんはこの会社で大きく業績を伸ばし、33歳を超えるころから30棟前後を契約できるようになりました。住宅業界でも決して少なくはない棟数です。商品力とSさんの営業スタイルがマッチしたのでしょう。年収は業界のマイルストーンである1,000万円を軽く超え、2,000万円の大台に。
一般的な会社であればSさんは支店長など管理職に抜擢され、職種変更していくルートかもしれませんが、この会社とは実質的なジョブ型雇用の契約でした。Sさんは定年退職まで営業マンを続ける契約です。
「自分のことだけ考えていればいいから楽だな」とSさんは考えていたものの、次第にモヤモヤしたものが心に広がるように。
その原因はこの会社に蔓延する個人主義と無関心のこと、そして次々と解雇されていく新卒社員たちのことです。
雇用関係がある場所でのプロ意識
Sさんが言います「新卒の子に能力的にちょっと心配な子がいて、お母さんがよろしくお願いしますと職場に挨拶に来たことがありました。責任を持って育てて一人前にしなきゃなと思っていましたが、店長を含め、先輩社員たちも親身にはならず、叱りもしない。あっという間に成績ゼロで2年が過ぎ、その子は解雇されてしまいました。事務的に解雇を言い渡されたのでしょう、会議室から出てきた彼は泣いていました。その日のうちにいなくなったのですが、きっと家ではお母さんも泣いたんじゃないかと想像しました……」。
自分が解雇されたときのことを強く思い出したのです「当時の僕は惨めで、世の中から必要とされないなら死にたいとさえ思ったものです」。
ジョブ型のような雇用契約では、基本的に自分のことを優先してしまうのは当然です。自分も結果を出さなければすぐに解雇されてしまいます。隣の同僚の手伝いをする気にはなれず、苦戦している新人に個人的なノウハウを教える余裕など生まれません。
そのことを役員と話し合ったことがありました。「僕もケガや病気になって売れなくなったら解雇なのでしょう」とSさんが言うと、それにたいして役員は「それがプロの世界だ」と言うのです。Sさんはその言葉に驚いてしまいました。
プロ? プロ野球選手じゃあるまいし、雇用関係がある場所でプロという言葉で社員の生活に対する責任を誤魔化しているだけではないのか。「プロではなく、経営者でもなく、労働者ですよ僕たちは」Sさんはそう言うものの、役員は素知らぬ顔です。
このような社風の中で、自分のことをプロだと言い、解雇される人たちを見下す後輩社員まで現れていました。「ダメなら退場するのがプロの掟。仕方ないよ、会社に必要ないんだから」などと。Sさんは我慢できず、その社員を強く叱責しました。「なぜ君のような労働者が経営者側に立つのか。明日は我が身とは思わないのか」と言い、後輩と口論になってしまいました。
しかしSさんは立場上、家を売ることを職務として雇用契約をしています。それ以外のことは求められてなく、管理職や経営者の役割に口を出すことは許されません。Sさんもまた自分のことだけ考え、機会を見てまた次の企業へと移籍することを計画しなければなりません。自分もいつ解雇されるかわからないのです。役員たちからは煙たく思われているはずで、法律さえ変わればすぐに解雇されるのでしょう。
解雇規制緩和の処方箋とは
いま思うと、前職の社長が歩合制や解雇制度を嫌っていた理由がなんとなくわかるようになりました。当時のSさんはそれを負け犬の論理などと揶揄していたのですが、その会社はコロナ禍も業績を伸ばし続けていました。「あの場所にいつづけたら、ほかにもできることがあっただろう」とつぶやきます。
解雇規制の緩和が中小企業にまでに広がったら、同じことが全国で起きるかもしれません。年齢、キャリア関係なくコスパが悪いとされたら簡単に解雇されてしまう。そんな毎日でいまと同じマインドで仕事ができるかというと疑問です。解雇されて次の仕事がすぐに見つかるのは、能力が高く大手企業の経歴がある人だけかもしれません。
解雇規制の緩和が始まったら、個人のライフプランニングにはより一層のリスクヘッジが必要となります。その処方箋が「無関心と個人主義」だとしたら、労働者にとって生きづらいだけの社会となるかもしれません。
長岡 理知
長岡FP事務所
代表
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