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お年玉をくれないおばあちゃんなんて嫌でしょ…年金+パート代で月収15.5万円の68歳女性、“普通”を守るための“ハード”な現実【ルポ】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年12月4日 11時15分

お年玉をくれないおばあちゃんなんて嫌でしょ…年金+パート代で月収15.5万円の68歳女性、“普通”を守るための“ハード”な現実【ルポ】

(※写真はイメージです/PIXTA)

夫とともに自営業者として働いていた三村さん(仮名)。順調に商売を続けていましたが、夫の急死により生活が一変します。転職や引っ越しを経て、現在は年金とパートの収入でなんとか生活しているという三村さんの生活を例に、貧困生活の実態をみていきましょう。ルポライター増田明利氏の著書『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)より紹介します。

老体に鞭打って頑張ったが…年間の給与所得はわずか68万円

<登場人物>

三村昭子(68歳・仮名)

出身地:神奈川県川崎市/現住所:東京都調布市/最終学歴:高校卒

職業:クリーニング取次店受付/雇用形態:非正規(パートタイマー)

収入:月収5万5,000円前後、他に年金あり

住居形態:都営アパート/家賃:約1万8,000円

家族構成:独身、夫とは死別。長男、長女は独立/支持政党:特になし

最近の大きな出費:炊飯器の買い換え(6,780円)

12月の給料(11月16日~12月15日まで)は出勤日数がいつもの月より4日多かったので6万4,000円ほど。先週末にはボーナス代わりに餅代として5,000円の寸志も出たので12月分の収入は合計すると約6万9,000円。

「老体に鞭売って頑張ったのですが、今年1年の給与収入は70万円に届かない。働いているといっても4時間パートで1日置きの出勤ですから」

12月分の明細書と一緒に源泉徴収票も渡されたのだが、記載されていた給与収入は約68万円だった。

「今は年金とクリーニング取次店のパート収入でどうにか暮らしています。余裕なんてありゃしませんよ。持病、生活習慣病はなく至って健康です。あっちが痛い、こっちが痛いということもありません。使ってくれるならもう少し働きたいのですが、この年齢では難しいですね」

高校を卒業して社会人になったのは72年(昭和47年)。就職したのは化学メーカーで、工場の庶務課で働いていた。

「結婚したのは28歳のときでした。相手は高校の同窓生で2歳上の人です。実家が寿司割烹店を営んでいて夫も寿司職人でした」

結婚した翌々年に独立。葛飾区内に自分の店を持って夫婦2人で懸命に働いてきた。

「商いは順調でした。夫は人付き合いも良く、新参者でしたが町内会や商店会の皆さんともいい関係で役員をやったりしていました」

商売はまあまあ。息子と娘も生まれ、それなりに充実した生活を送っていたが一気に暗転してしまった。

夫の急死で生活が一変

「89年(平成9年)の年末に夫が急死してしまいましてね。急性心筋梗塞だったのよ。元々が太り気味で血圧も高かった、だけど病院嫌いで定期的に通院して状態をチェックしたり必要な薬を飲んだりしてはいなかったんです。それが悪かったんでしょうね」

今で言う突然死で享年は46歳。これで生活が一変した。

「わたしには寿司は握れませんからね。それで業態を変えて定食屋を始めたんです。近所には中小企業、町工場がたくさんあって盛況でしたよ」

営業はランチタイムの11時から14時までと、夜6時から9時までの2部制。お酒を出して夜11時までやれば稼ぎは多くなるだろうが、1人ですべてを切り盛りするのは体力的に無理だった。

「ご飯屋は11年やりましたね。大きな儲けはなかったけど親子3人が暮らしていけるだけの収入はありました。ところがお店を閉めなきゃならなくなりまして」

店舗兼住まいは賃借だったが立ち退きを求められたということだ。

「自分の所と両隣の土地所有者が亡くなったということで、相続税を払うために売らなきゃならないということでした。管理会社経由で地主さんから連絡があり、2ヵ月後には買ったデベロッパーの人が来て6ヵ月以内に退去してくれと言われました」

デベロッパーの言うことは半年前通告というもので法的に問題なし。預けていた敷金と僅かな立退き料で出ていかざるを得なくなった。

生活にかかるお金は10万円を超えないように…年金生活のリアル

「閉店して墨田区に引っ越したのは08年の秋です。働かなきゃ食べていけないから初めてハローワークに行きましたよ」

時代はリーマンショック直後で失業率が悪化していたが、調理技能があることが助けになって給食サービス会社に入ることができた。

配属されたのは大手町にある某大手企業の社員食堂、賃金は日給月給制。月収は時間外分と若干の手当を合わせて平均すると18万円ほど。

「6月と12月には慰労金も出ました。だけど年収はずっと240万円~250万円というレベルでした。それでも社会保険に加入できたのはありがたかったですよ、自営業者は社会保障が薄かったから」

この給食サービス会社の定年は60歳だったが65歳まで契約社員で働き、その後の2年2ヵ月も1日4時間勤務のパートで働き続けた。

「パートのときは時給1,100円という条件でした。だけど新しく入ってきてもすぐに辞める人がいたり、本人の病気やケガ、家族の介護などで休む人が多かった。その穴埋めがかなりあったので月収は10万円前後になる月もありました」

今やっているクリーニング取次店のパートに転職したのは再度引っ越したから。

三村さんに訪れた奇跡…家賃がこれまでの3分の1ほどに

「運良く都営住宅の抽選に当選しまして。それで転居したんです」

都営住宅は募集があるたびに単身も可という区分に申し込みを続けていた。10年以上も落選続きだったが昨年の春の募集で奇跡的に当選したということだ。

「墨田区から調布市への転居でまったく知らなかった所だけど、家賃が格段に安いのが魅力でした」

都営アパートの家賃は1万8,000円ほど。以前住んでいた墨田区のアパートは1DKで5万3,000円だったから3分の1ほどで済む。これで楽になった。

「だけど土地勘がまったくない所だから半年ぐらいは戸惑いましたね。迷子になっちゃったこともあるのよ。でも物価は安いし静かな所だから暮らしやすいですよ」

その一方で通勤は無理だった。まず私鉄で新宿まで出る、次に地下鉄に乗り換えて大手町へだと1時間20分ぐらいかかる。それにパートの交通費は1出勤500円が上限なので定期券を買っても足が出てしまうというわけだ。

「コロナの影響で在宅勤務する人が増えたから社員食堂を利用する人も少なくなり、そんなに人はいらないという話も耳に入ってきました。アルバイトやパートから切られるのは目に見えていたから辞めることにしたんです」

今のパート仕事は高齢者事業団のような団体が斡旋・紹介してくれたもの。厨房で調理器具を使って立ち仕事をやるより身体は楽だ。

「今はパート収入と年金で細々と暮らしています。でも年金は少ないのよ、厚生年金と国民年金ですけど、厚生年金は現役時代の収入に連動しているでしょ。そんなに賃金の高い仕事じゃなかったし、加入期間の6割以上が国民年金だから仕方ないわよね」

生命保険会社や郵便局から個人年金の勧誘が来ていたが、保険料を払い続ける自信がなくためらってしまった。もしも月2万円、年間24万円ぐらい受給できるコースに入っていたらと思うと後悔する。

「具体的な年金額は約10万2,000円です。これにパートの5万5,000円ぐらいを加えた15万6~7,000円が1ヵ月の全収入ということになります。余裕はありませんよ、だけどこれで暮らしていくしかありませんものね」

家賃と水道光熱費、その他食費など生活にかかるお金の合計が10万円を超えないようにやり繰りしているということだ。

“普通のこと”をするためにどんどんお金がなくなっていく現実

「パートでもらうお給金はほとんど手を付けないで蓄えに回しています。使わざるを得ないことってあるでしょ、そのときに恥をかかないようにしたいですから」

息子、娘とも都内在住で行き来は頻繁。正月には孫を連れてやって来る。ここで必要なのがお年玉。

「お年玉をくれないおばあちゃんなんて嫌でしょ。わたしだって孫たちにお年玉のひとつもあげられないのは惨めですよ」

息子のところの長女が小学校に入ったときは、奥さんの親がランドセルをプレゼントしてくれたと聞いたので学習机を贈ってやった。

「去年の秋に娘が男の子を出産しましてね。今年の端午の節句に合わせて五月人形を贈っておきました。それぐらいのことはしてあげたいんです」

ホームセンターで売っていた格安品だったが、自身の体面は保たれるし娘も喜んでくれた。これが大事だと思っている。

「親類縁者との交際にだってお金は必要ですよ。出せなかったらみっともないことがある。甥っ子、姪っ子の結婚式にお呼ばれしたら3万円は包まなきゃ格好がつかないでしょ」

弟妹には夫の周年忌で御仏前を頂戴したり、お花代を包んでもらったことがある。自分は厚意を受けているのにお返しのひとつもしなかったら罰が当たる。祝儀、不祝儀、お見舞いなどの付き合いは欠かせないものだと思う。

「近所付き合いでもお金はかかりますね。団地で暮らしていると親しくなった人から、田舎から送ってきたからとリンゴや栗をお裾分けしてもらうことがある。もらいっぱなしじゃ悪いからクッキーやどら焼きを持っていく。これって交際費だと思うのよ、いくらでもないけど」

家にいるときは地味目な衣服でいるが、仕事に行くときやショッピングセンターへ行くとき、病院に通うときは華美でなくとも清潔感のあるようにしている。いい歳をしたおばさんが毛玉だらけのセーターを着ていたり、ヨレヨレで色褪せしたズボンじゃ恥ずかしい。だから、ある程度の被服費は絶対に必要だ。

息子家族、娘家族と会ったら少しは贅沢な食事もしたいし、孫にお願いされたら映画ぐらい連れていってあげたい。

「これって普通のことだと思うのよ。普通のことをするのだってお金が必要、これが現実ですよね」

とにかく子どもたちの負担になりたくない…三村さんの“心配ごと”

このところ心配になってきたのが、自分の終わりと後始末にいくら必要なのかということ。孤独死は嫌だけど長患いも困る。

「お葬式もお金がかかるみたいですね。たまに新聞の折り込みで葬儀屋さんのチラシが入っているのですが、中程度の祭壇でも50万円ぐらいでした。火葬の費用も千差万別で、夫は都営の火葬工場でお骨にしたのでいくらもしなかったけど、民間の火葬場は部屋のランクが分かれていて料金が違うって話です。お坊さんだって30万円ぐらいのお布施を包まないと寝言みたいなお経しかあげてくれないらしい」

通夜振る舞いの料理やお酒がみすぼらしかったら恥ずかしい。そんなことにならないよう80歳まで加入できて葬儀代を賄える小口の生命保険に加入した。

「保証額は100万円。それだけあれば人並みのお弔いができるでしょ。受取人は息子で後始末はよろしくって頼んであるんです。息子も娘も縁起の悪いことをって嫌な顔をしていたけど、そのときになってあたふたしたりお金で迷惑かけたくないですから」

働けるうちは働いて収入を得る。無駄使いは避けて残せるものは残す。

「とにかく子どもたちの負担になることは避けたいんです」

慎ましくてもきれいに人生を終わりにしたいだけなのだ。

増田 明利 ルポライター

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