「無敵の人」はなぜ生まれるのか?私たちがあえて見ないようにしている「助けたい姿をしていない弱者」という存在
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年11月6日 10時15分
(※写真はイメージです/PIXTA)
更生保護法に基づいて、犯罪者を保護・観察して社会復帰の手助けを無給で行う「保護司」。2024年、保護観察中の人物が自らを担当する保護司を殺害するという事件が起こり、世間を震撼させました。本記事では、御田寺圭氏の著書『フォールン・ブリッジ』(徳間書店)より一部抜粋・再編集し、「助けたい姿をしていない弱者」について考えます。
人物審査が課せられる「無給」の仕事
大津市仰木の里東の自宅で保護司でレストラン経営、新庄博志さん(60)の遺体が見つかった事件で、滋賀県警大津北署捜査本部は8日、殺人容疑で、同市仰木の里の無職、飯塚(いいつか)紘平容疑者(35)を逮捕した。飯塚容疑者は平成30年に強盗事件を起こし、保護観察付きの有罪判決を受けて保護観察中だった。新庄さんが担当の保護司で、逆恨みの可能性もあるとみて捜査本部が犯行動機を調べる。
法務省によると、保護司が保護観察対象者だった人物に殺害される事件は昭和39年に起きて以降、確認されていない。
(産経新聞『担当保護司殺害疑いで保護観察中の35歳男を逮捕、滋賀県警 逆恨みの可能性』2024年6月8日より引用 *1)
保護観察付の有罪判決を受けて保護観察中だった人物が、自身を担当した保護司を殺害した事件が世間を震撼させた。
保護司とは更生保護法にもとづき法務大臣からの委嘱を受ける仕事で、犯罪者を保護・観察しながら更生や社会復帰の支援を総合的に行うことがその役割となっている。非常勤の国家公務員という立場であり、原則としてボランティアで行われる仕事である。その具体的な業務は多岐にわたり、日常的な悩みの相談から就職先の仲介まで幅広い。
まったくもって無給の仕事であり、なおかつ任命にはそれなりの「人物審査」が課せられることから、保護司をやる人というのは地域でもそれなりに人望が厚く、また人格的にもすぐれていると定評のある、公共心に富む人物であることが多い。
「かわいそう」の上澄みの底へと潜る
メディアなどを通じて世間に映し出される「弱者」の多くは、たとえば保護動物とか、戦争難民の子どもたちとか、いずれにしても往々にしてわかりやすく、だれの目から見てもはっきりと「かわいそう」な姿をしている。
……しかしそれは弱者と呼ばれるカテゴリのなかでは、きわめて少数の、いうなれば上澄みであると言わざるを得ない。
上澄みよりも下に大勢いるその他の弱者は、「かわいそう」な姿をしていない。
その姿を見たときに周囲の人びとに「助けてあげたい」という素朴な同情心や慈悲心が喚起されない。いや、喚起されないどころの話ではない。もっといえば「こんな奴は野垂(のた)れ死にすればいい」とか「自業自得だ」と、むしろ冷たく突き放され疎外されるような姿や態度をしていることが多い。
強盗や傷害といった犯罪で刑事罰を受けた者などはその典型だ。世の中の人びとはそのような凶悪事件の加害者たちを見てかわいそうとは一片たりとも思わないだろうし、ましてや自分がそのような人とあえてお近づきになってかれらの再起をしかも無償で支えようなどというのは、それこそ考えるだけでもおぞましいのではないだろうか。たとえ有償であろうがやりたいとは思わないだろう。
保護司はまさにそうした「助けたい姿をしていない弱者」とあえて向き合う仕事だ。
犯罪加害者の社会復帰はきわめて難しく、再就職どころか(頼れる人がいなくなるため)住居すらまともに決められないこともある。こうした疎外や差別が犯罪者の再犯リスクを高めてしまう。その点で保護司というのはきわめて重要で、社会的に意義のある尊い仕事をしている。
「ほらな、助けないほうが正解だったんだよ」
……だが、世の中のだれもがあえて助けようとは思わない、むしろ自分から遠ざけようとする「助けたくない姿をしている弱者」にあえて手を差し伸べようとしたまさにその人が、その相手から恨みを買って傷つけられたり、最悪の場合は命を奪われたりする事件がしばしば起こってしまう。
それは今回のケースだけではない。最近だけでもいくつかそうした事件はあった。2022年の「埼玉県ふじみ野市立てこもり事件」(*2)、2021年の「大阪北新地雑居ビル放火殺人事件」(*3)、2019年の「渋谷区児童養護施設長刺殺事件」(*4)などがその例だ。かれらはみな、就いている職業は違えども、世間から「助けたい」と思ってもらえないタイプの弱者に寄り添う営みのさなか、まさに寄り添っていたその相手に殺された。
世間はこうした凄惨な事件に胸を痛めつつも、あらためて納得する。「ほらな、やっぱり、あんな奴らを助けようとするのがそもそもの間違いだったんだ」──と。
私たち一人ひとりにとっては「助けたい姿をしていない弱者」を遠ざけて疎外したからといって、それでなんのリスクもない。リスクもないどころか、下手に関わり合いを持ってしまう方がリスクだと認識させられる事件や事故ばかりが伝えられているのだから、むしろ合理的な行動だとすらいえる。だれだって自分の生活、自分の人生が大切なのだから。
世の中のだれからも拒絶された人は、社会的にも経済的にも人間関係的にも孤立していく。そうして窮した果てに、失うものを持たず、ただ復讐心だけをたぎらせた「無敵の人」になろうとも、そうなったところで私たちがその人から実害を受ける可能性はきわめて低い。世間から疎外され拒絶されつくした人の復讐のターゲットになることより、交通事故に遭う方がよほど私たちにとって確率が高い。
「助けたい姿をしていない弱者」を遠ざけたくなるのは自然な感情だろう。自分たちにとってはお近づきになる方がリスクやデメリットが大きいのだから、だれだってそうする。悪意や害意ではない。人間の良心、あるいは素朴な人情というものだ。
けれども、人びとのそういう「小さな拒絶」が積もり積もって大きな歪(ひず)みになり、あえて拒絶せず向き合うことを選んだ人に大きなリスクやデメリットを背負わせていることも事実だ。私たちは、そのことを忘れてはならないだろう。
私たちは、自分たちの平和で安全で快適で清潔で穏やかな暮らしを守ろうとするとき、必ずだれかを疎外している。疎外された人は、だからといって世界から消えてなくなるわけではない。
私たちの視界に入らなくなっただけで、それでもどこかで生きている。苦しみながら。
私たちが疎外した人すべてが、だからといって世間や他者に恨みを募らせ、自暴自棄になって凶行に奔(はし)る「無敵の人」になるわけではないのは言うまでもない。
しかしながら「わかりやすい弱者」には明確な同情を示して自らの思慮深さや慈悲深さをアピールしつつ、「助けたい姿をしていない弱者」には掌を返して冷酷に疎外する私たちの合理的な態度は、この世のどこかに「復讐者」を生み出す営みに加担していることは否定しようもない。
一人ひとりが「復讐者」の誕生に加担している度合いは目に見えないほど小さいかもしれないが、それでもだ。
小さな「疎外」と小さな「包摂」
何度目かの逮捕で、2度目の保護観察中だった。18歳の頃、変わりたいとも思っていなかった。
新しい保護司には、うそばかりついた。
それでも、自分のような人間も否定しない人だった。いろいろな言葉をくれた。
その人は今年5月、殺害された。
(朝日新聞『「もう悪さ、すんなよ」僕を変えた手紙 保護司との9年、突然の別れ』2024年6月22日より引用 *5)
こうした凄惨なニュースが起きると、世の中の人は異口同音にこう語る。「このような事件が二度と起きないよう、私たちも考えなければ」と。
しかしながら、率直に認めなければならないだろう。私たちは「復讐者」を間接的に世に生み出す行為と引き換えに、平穏無事で快適な日常生活を享受していると。
極言すれば、私たちの代わりに「助けたい姿をしていない弱者」に手を差し伸べ、寄り添って生きることを選んだ人に負担を丸投げし、ときに最悪の形で〝しわ寄せ〟が行くようなシステムを、私たち一人ひとりがつくっていて、それを支持している。
自分たちのエゴの代償を、顔も名前も知らなかっただれかがこれ以上ないくらいにグロテスクな形で支払わされているのを、私たちは画面越しに突き付けられているのだ。
私はしばしば犯罪被害者やその遺族を支援するネットワークに寄付しているが、その一方で犯罪加害者の社会復帰プログラムにも寄付している。あるいは、非行少年の再教育やリスキリングも支持・支援している。元とはいえ加害者側を応援するなど度し難い行為だと、ともすれば社会的な非難を受けてしまうかもしれないが、私は今後もやめるつもりはない。
なぜならそれは、どこかで私たちの「快適な暮らし」の代償を一身に受け、ときに傷つけられている人のために、自分がせめて行える罪滅ぼしだと思っているからだ。もちろん、多少のお金を出したからといって、それで帳消しになるようなものではないことは十分わかっている。それだけで自分のエゴがなかったことになるわけではない。
しかしそれでも、私たちが日々行使する目に見えないくらい「小さな疎外」が積もり積もって大きな歪みになるというならば、その逆もありえるはずだ。
私たち一人ひとりが「小さな包摂」のために力を尽くせば、問題は完全になくなるとは言わないまでも、やさしさを分け隔てなく配ろうとしたがために悲惨な結末を迎えてしまう人を減らせるのではないだろうか。
脚注
*1 https://www.sankei.com/article/20240608-6GVLASM6IVJ6BMKP7JPVS2GEYA/(リンク切れ)
*2 埼玉県ふじみ野市立てこもり事件:2022年1月27日、埼玉県ふじみ野市の住宅で発生した立てこもり事件。母親(92=当時)が死亡したことで訪問診療医を逆恨みしていた渡邊宏被告(66=当時)は、担当医師ほか6名を「線香を上げてほしい」と自宅に呼び出し、散弾銃と催涙スプレーで襲撃し、1人の医師(44=当時)を人質に11時間立てこもった。その医師は胸を撃たれ死亡。埼玉県警特殊戦術班は閃光弾を使って渡邊被告を逮捕。2023年12月12日、さいたま地裁は渡邊被告に無期懲役を言い渡した。
*3 大阪北新地雑居ビル放火殺人事件:2021年12月17日、大阪市の北新地の雑居ビルに入る心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」内で発生した放火殺人事件。同院の患者だった谷本盛雄容疑者(61=当時)は院内の入口と非常口付近にガソリンを撒き、逃げ道をふさぐようにして火をつけた。院長、スタッフ、患者の26人が死亡。谷本容疑者は意識が回復しないまま事件から約2週間後に死亡。谷本容疑者は以前にも殺人未遂容疑で実刑判決を受けた過去があった。離婚、失業など孤立無援の環境に加え、預貯金もほとんどない貧困状態で、不眠に悩み同院にかかっていた。発生から3か月後、大阪地検は容疑者死亡で不起訴として捜査は終結。
*4 渋谷区児童養護施設長刺殺事件:2019年2月25日、東京都渋谷区の児童養護施設「若草寮」施設長の男性(46=当時)が元入所者に首や胸など十数か所を刺され、殺害された事件。犯行を行ったA(22=当時)は「施設に恨みがあった。施設関係者なら誰でもよかった」と犯行動機を語った。心神喪失を理由に不起訴となっている。施設長の男性は20年以上にわたって養護施設に勤務。Aの退所後も4年にもわたって連絡を取り続けていた。
*5 https://digital.asahi.com/articles/ASS6P21T5S6PPTJB008M.html
御田寺 圭
文筆家
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