いい加減大人になれよ…若い世代からも強まる氷河期世代へのバッシング。ロスジェネ世代の〈最大の不幸〉とは?
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年11月13日 10時15分
(※写真はイメージです/PIXTA)
1970年から1982年前後に生まれ、1990年代後半から2000年代にかけて高校や大学を卒業して就職を迎えた「就職氷河期世代」あるいは「ロスジェネ世代」。彼らはバブル崩壊後の「時代の不遇」を一身に受けてきました。最近では、社会的支援や救済を求める彼らに対して「いつまでも要求ばかり」「いい加減大人になれ」と言った批判が社会のあちこちからあがり始めています。本記事では、御田寺圭氏の著書『フォールン・ブリッジ』(徳間書店)より一部抜粋・再編集し、就職氷河期世代について、解説します。
「ロスジェネ世代」への逆風
およそ1970年から1982年前後に生まれ、1990年代後半から2000年代にかけて高校や大学を卒業して就職を迎えた人びとのことを「就職氷河期世代」あるいは「ロスジェネ(ロスト・ジェネレーションの略)世代」と呼ぶ。バブル崩壊後の不況によって急激に雇用が落ち込み、派遣労働やフリーターといった不安定な雇用環境で生活することを余儀なくされた人が続出した世代である。
バブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれた長期停滞期のなかで、かれらはまさに「時代の不遇」を一身に受けたにもかかわらず、その苦境は長らく放置され、政治からも行政からも市民社会からも見過ごされたまま今日に至っている。
……いや、見過ごされているという記述は生ぬるいかもしれない。それどころか、いままで以上に厳しいまなざしを向けられるようにさえなってきている。
というのも、就職氷河期世代の人びとが、これまで味わわされてきた苦境や冷遇を世に訴えかけ、社会的支援や救済を求めていることについて「いつまでも要求ばかり。子どものままで成長がない」とか「冷遇だとか不遇だとかぐちぐち言うな。いい加減大人になれよ」などという批判があがりはじめているからだ。
この批判は、かつて就職氷河期世代を見棄てた上の世代からはもちろん、20代や30代の若い世代からも「いい年をした大人なのに、いつまでも社会や他人から助けてもらおうと、子どものように甘えている」といった厳しい意見が出はじめている。
就職氷河期世代への批判的論調にしばしば共通しているのは、かれらの持つある種の「幼さ」についての指弾である。
就職氷河期世代の「幼さ」
就職氷河期世代が「幼い」というのはつまり、「年齢相応の社会的責任を負っているように見えない」といった批判である。これ自体は、たしかにまったく妥当性に欠く言いがかりというわけではないように見える。むろん全部が全部そうであるとまでは言わないが、私の個人的観測ともある程度は一致する。
就職氷河期世代の中核は2024年現在ではおよそ40代後半、先頭は50歳に差し掛かっていて、名実ともに「中高年層」であるのだが、たしかにかれらと話していると「いつまでも若々しいな」という印象をしばしば受ける。
もっとも、断っておくがそれは見た目のことではない。見た目だけを切り取ってみれば、だれだって当たり前だが白髪も増えたり体型も崩れたりして「年相応」に見えることがほとんどだ。そうではなくて、言動やメンタリティーがどこか若々しいのである。近頃の20代の若者と話をすると、むしろかれらの方が就職氷河期世代よりもずっと老成していることもあるように感じるくらいには。
40代後半や50歳という、世間的に見れば立派な中高年層のステージに突入してもなお、かれらがまるで高校生や大学生のような感覚で若々しい──あえて悪しざまにいえば年齢不相応な「幼さ」をまとった──独特の雰囲気を持っているのが散見される。これはなぜなのだろうか。
年を取れば自動的に大人になれる──わけではなかった
思うに、かれら就職氷河期世代には、これまでの世代のように「大人」になるための〝通過点〟を、社会が十分に用意してくれなかったのだろう。
たとえば働き口だ。1990年代に突如として就職氷河期がやってくるその直前まで、だれもが正社員で働き口を見つけられると素朴に信じられるくらいの社会的状況が整っていた。だがご存じのとおり、かれらは社会人として世に出る目前にしてその梯子を外された。幸運にも正社員の働き口にありつけた者もいたが、しかしそうした雇用のイスが用意されず、非正規やフリーターで食いつなぐことを余儀なくされた人も少なくはなかった。
日本の企業社会における「会社組織のメンバーとして年功序列的にステップアップし、30代や40代でそれなりに責任のあるリーダー的な立場を任される」──というロールモデルを得るには、やはり正社員であることが前提となっている。そしてこの「責任ある立場」というロールモデルこそが、ある人を世間でいうところの「大人」として成長させていた。逆にいえば、正社員としてキャリアを積み上げて「責任ある立場」を得るチャンスが十分に提供されなかったことで、かれら就職氷河期世代は「大人」になる機会を逃してしまった。
さらにいえば、その後も数十年間にわたって景気は回復することがなかったせいで氷河期以前の水準まで採用枠が持ち直すこともなかったばかりか、かれらの後進世代からは急速に少子化が始まっていた。その結果として、苛烈な就職難をなんとかかいくぐって企業に正社員として雇われた人でさえも、なかなか「自分を慕う後輩」がやってこなかったのだ。何年働いても、自分がいつまでも「フレッシュな若手」として扱われる日々が、それこそ30代半ば、場合によっては40代に入っても続いていた。
つまりかれらは、そもそも正社員の雇用のパイが絶対的に乏しくなったせいで「責任ある立場」に進める門戸が狭かったばかりか、運よく正社員になったとしても「頼りにされる先輩」というポジションや自認も得られないという二重苦に陥っていた。そのような情況では、ひと昔前(高度成長期やバブル期)に30代半ばになっていた人びとが醸し出していたようなある種の「貫禄」をかれらが同じように持つのは土台無理な話だ。
人間はだれもが年を重ねれば自動的に大人になれるわけではない。この身も蓋もない事実を、しかし日本社会は長年において認識できなかった。かつての時代には「大人になるイベントがだれに対しても適切適時に用意されていた」からだ。あたかも年を取った人がみな自動的に大人になっていたように見えてしまっていた。そのような「大人になるイベント」が根こそぎ失われてしまえば、年齢的には大人なのに、内面的には幼いままの人が増えるのは必至だった。
逆に近頃の若者たちが妙に老成しているのは、かれらが「企業社会に入り、そこでコツコツと上を目指す」ではなく「自分たちの小さなグループをやりくりしていく」という小さな共同体主義的なライフスタイルに傾いているからだ。そこでなら自分たちが「コミュニティを切り盛りする」という立場で責任を負うし、後輩の世話をする役割も生じていく。かれらはかれらで、若い時間をエンジョイできず、強制的に大人になることを強いられているようにも見える。
就職氷河期世代は、いまの若年世代と比べて、そうしたコミュニティ的な「横のつながり」も希薄だ。なぜなら「正社員の座をつかみ取った勝ち組/ずっと非正規を渡り歩いた負け組」では、所得面はもちろん、社会観や政治観にも大きな分断構造があるからだ。世代内における「勝ち組」側は、対岸にいる「負け組」に対しては必ずしも同情的ではなく、かといって「負け組」も同じ境遇の者同士で連帯して共同体をつくることもなかった。
サブカルチャーが、かれらを「永遠の若者」にする
また、かれら就職氷河期世代について特筆すべきもうひとつの重要な点は、かれらがいまもなおサブカルチャー・コンテンツ産業にとっては「上客」であり続けていることだ。
マンガにせよアニメにせよゲームにせよ、ここ最近の日本のサブカルチャー・コンテンツ業界は就職氷河期世代が多感な青春時代に熱中したであろう往年の名作の「復刻(リメイク)」を連発している(*1)。
それはかれらが、この国で急激な少子化が起こる前夜に生まれた「最後のまとまった人口ボリュームのある世代」だからでもある。コンテンツ産業にとっては、かれらの就職氷河期世代のノスタルジーを刺激する作品を現代に復刻することは、潜在的な顧客の規模が大きくコマーシャル的な期待値が高いことから、まったくの新規タイトルをゼロから開発するよりも商業的に優先されやすい。
しかしこのような「ノスタルジックなコンテンツのリバイバル」を提供する側の大人の事情が、コンテンツを消費する側の就職氷河期世代にとって「いつまでも自分が先端カルチャーの主役だ」という自意識の醸成に意図せず寄与してしまった。
マンガやアニメやゲームのトレンドが(年を重ねるごとに)自分の好みとはズレていき──ようするに、ついていけなくなって──人はそうしたコンテンツから「卒業」していくのが世の一般的な流れだ。しかし就職氷河期世代はつねに「リメイク」や「リバイバル」と称して自分たち好みの作品を一定量供給されていた。業界からはずっと自分たち向けのコンテンツが提供され続けているからこそ、かれらはマンガやアニメやゲームを「子どもが楽しむものにすぎない」と距離をとって卒業する機会がなかったのだ。
もちろん就職氷河期世代内(主として勝ち組側の人びと)では、年相応に結婚や子育ての話題に主たる関心がうつっている人もいる。しかしそうした「家庭人」としてのロールモデルを得られなかった人は、コンテンツ産業によって「終わらない青春時代」を擬似的に体感させられ、今日も「コンテンツ・カルチャーを全力で楽しむ人」のようなフレッシュで若々しい雰囲気を醸し出している。つまりライフステージの二極化が著しくなっているのだ。
かれらは「大人になることを拒否した」のではない
冒頭でも述べたとおり、昨今の世の中では、就職氷河期世代の「幼さ」「社会的責任感の希薄さ」に対する批判が起こり始めている。
だが、ここではっきり断っておかなければならないのは、かれらは「大人になるのを拒否した」のではなくて「大人になる機会を与えてもらえなかった」のである。ゆえに、かれらの「幼さ」をピーターパン症候群とか青い鳥症候群などと呼び蔑さげすむことは妥当ではない。
人間は年を重ねれば自動的に「大人」になるわけではない。社会が相応のステップと役割を用意しなければ、だれだって「肉体的には大人だが、精神的には子どものまま」になる。たまたまそのような時代の不運に遭遇してしまったかどうかの違いでしかない。
1970年から1982年ごろに生まれただけの人びとを「永遠の若者」にしてしまったのは、そうした社会的なステップと役割をなんの前触れもなく奪ってしまった社会の側だった。
日本社会は、バブル崩壊直後の不況によって生じた損失の埋め合わせのために就職氷河期世代のキャリアを犠牲に捧げ、大人になる機会をまんべんなく配ることを放棄して、そうしてなんとか失われた20年を耐え抜いた。そしてその後は「人口的に多く、まとまった利益が期待できるから」と、かれら就職氷河期世代に刺さる作品をつねに提供しつづけている。それはいうなれば、社会の都合で「あなた方にはぜひ、子どものままでいてほしい」と要望された結果としての「幼さ」なのだ。
<脚注>
*1「復刻(リメイク)」:
漫画『SLAMDUNK』(1990~1996年に連載)が映画『THEFIRSTSLUMDUNK』(2022年公開。2024年再上映)。
漫画『るろうに剣心』(1994~1999年に連載)が再アニメ化『るろうに剣心─明治健脚浪漫譚─京都動乱』(2023年放映。2024年10月、2期スタート)。
漫画『魔法騎士レイアース』(1993~1995年)は2024年に新アニメ化プロジェクトを始動。
RPG『FINALFANTASYⅦ』(1997年発売)が『FINALFANTASYⅦREMAKE』として2020年発売。
同『ドラゴンクエストⅢそして伝説へ…』(1988年発売)のリメイク版が2024年11月発売予定。
御田寺 圭
文筆家
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