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以前は東大合格“常連校”がメダルを独占していたが…東大の“推薦入試解禁”が「国際科学オリンピック」に与えた意外な影響【東大元総長×SAPIX代表の対談】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月28日 9時15分

以前は東大合格“常連校”がメダルを独占していたが…東大の“推薦入試解禁”が「国際科学オリンピック」に与えた意外な影響【東大元総長×SAPIX代表の対談】

(※写真はイメージです/PIXTA)

長年にわたり、日本のトップレベルの大学として、多様な分野で活躍する人材を輩出してきた東大。しかし、その「多様性」の様相は時代とともに変化している。本記事では、高宮敏郎氏の著書『「考える力」を育てるためにSAPIXが大切にしていること』(総合法令出版)より一部を抜粋・再編集し、東大における多様性の変遷と、推薦入試導入がもたらした影響史について、高宮氏と濱田氏との対談を紹介する。

対談者:東京大学名誉教授・濱田純一氏

1950年生まれ。灘高等学校、東京大学法学部卒。同大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門分野はメディア法、情報法、情報政策など。1995年東京大学社会情報研究所所長、2000年東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長、2005年理事(副学長)を経て、2009年4月から2015年3月まで東京大学総長(第29代)。

初の戦後生まれの東大総長として、秋入学をはじめ、さまざまな改革に取り組む。現在は放送文化基金の理事長、映画倫理機構の代表理事などを務める。主な著書に『東京大学知の森が動く』(東京大学出版会)、『東大はなぜ秋入学を目指したか』(朝日新聞出版)など。

「多様性」の時代における東大

髙宮

東京大学が「多様性」を強く意識されたのはいつ頃からでしょうか?

濱田

私が多様性を正面から意識し始めたのは、総長として着任した2009年ごろからです。入ってくる学生の多様性だけではなく、「学生の育て方の多様性」にも力を注いだつもりです。授業やカリキュラムの工夫のほか、体験活動や海外留学などの強化にも力を入れました。また、推薦入試の場合には、入学した時点で進学する学部が決まっており、このような育て方の多様性を取り入れることが大切だと思っていました。

多様性が大切なことは、自分自身の信念や経験、また研究や教育を通じて痛感していたことですが、時代の動向もあり、大学もしっかりとそれに向き合う必要があると考えました。

髙宮

多様な学生、さまざまな経験を重ねてきた学生たちが、東大のキャンパスに集まることの意味を、濱田先生はどのようにお考えですか?

濱田

自分とは「異なる考え方を持っている」「異なる生活経験を重ねてきている」「異なる知識を身につけている」など、さまざまな「異なる」を持った学生たちが一つの場所に集まることで、お互いに刺激を受け切磋琢磨し、成長することができます。そこに大きな意味があると考えています。

学生でいる間は気楽に触れ合うことができます。しかし社会に出るとそれぞれの砦(とりで)ができますから、なかなか心の中で思っていること全てを打ち明けるわけにはいきません。簡単に胸襟(きょうきん)を開くことは難しくなります。異なったことへの挑戦もしにくくなる。ですが、学生時代ならば、心を開いてお互いの違いを受け入れることができます。

東大生を1968年ごろと2009年~2015年で比較すると

髙宮

濱田先生が関西から上京された頃の東大と、先生が在任中の東大を比較したとき、多様性の点で違いを感じられたことはありますか?

濱田

以前のほうが学生の多様性はあったと思います。私が大学に入った1968年ごろは、地方の国立/公立高校の出身者がたくさんいました。しかし他方で、「東大」という枠を今以上に意識していた気がします。「東大生はこうあるべきだ」という思い込みが強く、自らを枠にはめてしまっていたように思います。

髙宮

さまざまなバックグラウンドを持って地方から出てきても、「東大」という枠の中に収まらなければいけない。そんな感覚があったということでしょうか? その点についてもう少し詳しくお聞きしたいです。

濱田

多様なバックグラウンドを持っているにもかかわらず、自分の個性、自分の地域性などを出すのではなく、東大生らしくしているべきと考える学生が多かった。「東大生らしさ」が何を意味するのかは別として、社会的に期待される枠があって、東大生の基準とはどのようなものかを探る感覚が、当時はかなり強くあった気がします。

髙宮

当時の社会の風潮の中で、大学生としての「ある種の成功のモノサシ」に近寄っていく。そんな感覚があったということでしょうか?

濱田

その通りです。入学した後にクラス写真を撮るのですが、約半数の学生が、高校時代の詰め襟の制服を着ていました。そして誰もが真面目な顔をしていました。東京に来て、東大生であることの緊張感にとらわれていたのでしょう。その意味で、本来の多様性が十分に発揮できていなかったと感じます。

自分らしさを出せるようになった東大生

髙宮

それが、濱田先生の在任中の時期になると、多くの学生たちが自分らしさを出せるようになってきた。そういうことになりますか?

濱田

私が在任していたころ、それぞれが自分の個性を大事にするようになっている傾向を感じました。もちろん、時代の雰囲気などの変化が大きく影響していたと考えています。

東大の推薦入試が「数学・情報の国際大会」に与えた影響

髙宮

例えば、東大の推薦入試の推薦要件の一つとして、国際科学オリンピックなどへの出場経験といったことが記載されています。私はどの学校の生徒たちが国際大会でメダル取っているのかを常に確認しています。

東大が推薦入試をスタートするアナウンスメントがあったとき、世界的な大会に出ている生徒たちの多くは、すでに東大合格者を多く輩出している高校の所属でした。「数学」や「情報」の大会では、筑波大学附属駒場高校、開成高校、そして灘高校の3校が、毎年のようにメダルを独占している状況でした。しかし、東大で推薦入試がスタートすると同時に変化が生まれました。国際大会でメダルを取る学校が、実に多様になってきたのです。

国際科学オリンピックには日本から年間で30名ほどが出場していて、大きなデータではないため確定的なことは言えませんが、おそらく今まで大会でメダルを取っていた生徒たちは、一般入試でも合格できる実力を持っていたのだろうと想像します。国際大会などのイベントに余裕を持って参加し、結果を残して東大にも合格していたのでしょう。

しかし、「入試以外の実績も評価します」と変わったとき、「自分が好きなことを頑張ればそこでも評価してもらえる。そんな入試が東大にもある」ことが分かって、「思い切ってチャレンジしよう」と考える生徒が増えたのではないでしょうか。

推薦入試の制度ができるまでは、大学入試があるから、受験期に国際科学オリンピックの準備に励んでいる余裕はない。そんな思いがあったのかもしれません。国際大会でのメダル獲得によって多様性が生まれた。それも東大の入試が変わったと言える、一つの大きな理由になっているかもしれません。子どもたちの学び方が変わったことは、とても良い傾向だと思います。

高宮 敏郎

SAPIX YOZEMI GROUP共同代表

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