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マグロ漁船に乗ってくれ…ハンバーガーを買いに行くだけで絡まれる〈治安最悪〉の街。家族想いな“喧嘩自慢の17歳”が「マグロ漁船員」となった理由【実話】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月18日 11時15分

マグロ漁船に乗ってくれ…ハンバーガーを買いに行くだけで絡まれる〈治安最悪〉の街。家族想いな“喧嘩自慢の17歳”が「マグロ漁船員」となった理由【実話】

(※写真はイメージです/PIXTA)

中学時代から短ラン、ドカン、リーゼント。治安の悪い街で育った筆者は、高校に入っても悪さばかりし、幾度も停学処分をくらいます。そんな筆者は、ひょんなことから17歳にして「マグロ漁船」に乗ることに……。菊地誠壱氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、筆者の実体験をみていきましょう。

――台風でアワビが流されてから、物凄い借金ができた。  

台風被害によりアワビの養殖が失敗したことで、5,000万円の借金を背負った菊地家。毎日借金取りからの催促の電話が鳴り止まず、気が短く、怒るたびに周囲のものを破壊する荒っぽい父は、「うるせー!」と電話まで玄関に投げつけます。

こうしたなか、治安の悪い街で育った筆者は、高校中退を機に「マグロ漁船員」になることを決意したのでした。

中学から不良とタイマン、喫煙…高校をわずか1年で中退した筆者

私が住んでいたところはヤンキーも多く、治安の悪い街でした。私も小6のときに剃り込みを入れた中学生数人から袋にされたり、いとこの安広くんも大人になってからヤンキーと揉めて袋にされて病院送りになったりしています。安広くんの弟の秀樹ちゃんは不良でしたが、袋にした頭の弟にヤキを入れたりもしています。

小6で街にハンバーガーを買いに行っただけで絡まれる。夜のコンビニはチンピラやらヤンキーやらのたまり場。そんな環境で育った私もまた不良になり、中学の時に地元の高校生と5対5のタイマンとか喧嘩とかをしていました。

そんな事情もあって、地元の高校には行くに行けない状態でした。そして、あえて地元から離れた農林高校を選んだのです。農林高校もヤンキーが多くて共学だったので楽しかったです。

私も中学時代から短ラン、ドカン、リーゼントというスタイルでいろいろと悪さをしていたのですが、それは農林高校に入ってからも変わらず続いていました。

この頃の私は高校に行ってはいましたが、悪さばかりして停学を食らい、たびたび親が呼び出されているような状態でした。タバコが何度も見つかって、そのたびに坊主頭にされていました。

1度目は女子トイレで女の子とタバコを吸って現行犯で捕まり、坊主になって停学、自宅謹慎。2度目は水産高校の友達と電車のトイレでタバコを吸っているのを、電車で張り込みしていた水産の暴力教師に見られて連行されました。それでまた坊主で停学です。

「またオヤジに怒られる……」そんなことを考えているうちに、高校を退学しようと思い立ちました。

学校に謝りに来させてもオヤジは納得しないし、坊主頭にされるのも嫌だし、学校に行っても早弁して寝ているだけで勉強なんかしなかったので、高校なんか辞めても問題ないと勝手に思っていました。

怒ったオヤジは何よりも怖いし、オヤジを納得させるには高校を中退して働くしかないと覚悟を決めたのです。

「バカヤロー! 何度も何度も、何しに学校行ってんだ! もう辞めちまえ!」

「ああ、俺、もう高校辞めて働くから」

「……わかった」

そう言ってオヤジは私を睨みつけました。とりあえず自分なりに急場はしのいだと思いました。

マグロ漁船乗ってくれ!…17歳にして「マグロ漁船員」に

この後の展開は早かったです。高校を中退してすぐ、オヤジが仕事を持ちかけてきました。

「マグロ漁船乗ってくれ!」オヤジはニコニコしながら言いました。高校は辞めたけれど立派に働き口も決まってよかったな! という気持ちでいてくれていたのだと思います。それに、借金を返すのにこんなに稼ぎのいい仕事は他にありませんから。

オヤジのお兄さんに、たかしおんちゃんという人がいます。頭は禿げ上がっていて、酒焼けで顔の黒くなったおじさんです。うちに来るといつも、アワビとかをつまみにリザーブか何かのウイスキーをロックで飲んでいます。なんでこの人に酒を出すのだろう? といつも不思議に思っていました。

「おう! 小遣いだ!」たかしおんちゃんは酒焼けした顔でそう言ってお小遣いをくれるので、私の中ではいい人でした。マグロ漁船の仕事が決まった日もうちにいて、5,000円もらいました。

というのも、マグロ漁船の仕事を持ってきたのはおんちゃんです。実はおんちゃんの職業は近海マグロ延縄(はえなわ)漁船の漁師でした。だからお金を持っているんだ! 私はやっと理解しました。

ただ、独り者のおんちゃんはスナックとかにお金を溶かしていて、たびたびうちのお袋からお金を借りるというどうしようもない一面もありました。「よし! マグロ漁船行くか!」おんちゃんはリザーブをロックで飲みながら、私にそう言いました。

マグロ漁船がどんなものかはあまり深く考えていませんでしたが、おんちゃんの言うとおりに仕込み屋に行き、漁船で働くにあたって必要なものを買いそろえることになりました。オヤジはお袋と一緒にわざわざ車で2時間かけて港まで来てくれました。

大きな港の近くには仕込み屋が並んでいて、仕込み金(道具代)としてもらった10万円でいろいろなものを買いました。

揚げ縄用のエプロン型カッパ、投縄用のズボン型カッパ、厚めの上着と薄めの上着を1着ずつ、ゴム手袋、軍手、インナー、厚手の靴下、大量のタバコ、大量のカップラーメン、大量のジュース、洗濯用洗剤、物干し……とにかく言われるがままに10万円分を購入しました。

“もう逃げられない”…船員たちと顔を合わせ、初めての仕事へ

初めての仕事は、マグロ漁船への餌積みです。その日港に呼ばれて向かうと、たかしおんちゃんはもう着いていました。

「おはよう」おんちゃんにそう挨拶した後、船員さんたちと顔合わせすることになりました。

「おはようございます」「おはよう!」

みんないかにも漁師といった感じの出で立ちです。

甲板長(こうはんちょう)は「ボースン」と呼ばれ、船の甲板(こうはん)の上でのさまざまなことを取り仕切るマネージャーのような役職です。船長は舵取りなどの船の操作全般を行う人で、船の中のナンバー2のポジションです。

この2人のことはよく覚えていますが、他の人は正直なところあまり印象に残っていません。

「おはよう! よろしくな!」

ボースンが大きな声で挨拶してきました。パンチパーマでいかつい顔をしていて体格のいい人だったので、直感的に逆らってはいけない人なんだと思いました。

「おはよう、よろしく」

次に船長が挨拶してくれました。地味で口数が少なく、渋い人という感じの漁師さんでした。

この日は餌積みといって、1か月分の餌となる冷凍のサバとアジをひたすら船に積み込む作業をしていました。結構な重労働でした。

そしてその後は仕込みといって、今度は自分の1か月分の荷物を船に積み込みました。仕事道具とか寝具とか、初めての航海に必要なものだけ船に積み込んだ記憶があります。カップラーメンとかタバコとかは冷凍庫にまとめて積み込みました。

喘息があるので今はもう何十年もタバコを吸っていませんが、当時は最低でも1日1箱吸っていましたし、タバコは大事なストレス発散でした。

そのうちビデオデッキとか小型テレビとかを持ち込むようになるのですが、このとき娯楽道具は何も用意していませんでした。他の人が持ち込んでいるのを見て真似をしたくなり、この次の航海あたりからビデオデッキを持っていくようになりました。

今回はテレビもラジオも本も何もない状態でした。まあ、マグロ漁船に乗るのに娯楽なんかあるわけないか。当時私はそう思っていました。船酔いに慣れ、仕事に慣れるまではそんなものはいらない、と思っていたのかもしれません。

このとき初めてマグロ漁船の船室を見たのですが、不安と恐怖でとても嫌な気持ちになったのを覚えています。まだ出船すらしていないのに、この中で生活すると思うと憂鬱でした。

餌積みも仕込みも終わったし、もう逃げられないんだ。そう思いながら出船の日を迎えました。

ブオンブオン!…同級生に見送られ、いざ出船

親父の運転するセドリックに乗り、お袋と3人で港に向かいました。あのときの恐怖は今でも忘れられません。本当に嫌でした。

港に着くと、農林高校の同級生の女の子たちが見送りに来てくれていました。いわゆる不良少女たちです。本当に嬉しかった。美和とマキコは同級生の中でも可愛かったです。

「せー、行ってらっしゃい!」

笑顔でそう言ってくれました。女の子が何人も見送りに来たのはこれが最初で最後でしたが、これだけでも嬉しくて、しばらくこの光景は目に焼き付いていました。

さらに、同級生の男たちが50ccの単車にまたがり5~6人現れました。農林高校の1年をシメていた不良の親友Mと、その仲間です。これも嬉しかったです。Mは小柄な男ですが筋肉モリモリで顔がイカツく、この日もリーゼントにしていました。喧嘩が強くて男気のある親友です。

「せーちゃん、ニンニクラーメン皆で積んだからな!」

カップラーメンを1箱プレゼントしてくれたのですが、これは出船のときの習わしみたいなものです。17歳の高校生がこんなことしてくれて、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。

そうこうしているうちに、そろそろ出船の時間がやって来ました。私はつなぎを着て、両親や同級生たちにしばしの別れを告げました。出船の音楽が流れます。おそらく軍艦マーチだったと思いますが、そこでみんなが手を振ってくれました。

私の同級生はみんなバイクに乗って、コールをかけながら港の端まで追走してくれました。

ブオンブオンブオンブオンブオンブオン!

みんなのコールが鳴り響いて、ちょっと泣きそうになったりもしましたが、とても嬉しくて、今でも忘れられない思い出です。

菊地 誠壱 元マグロ漁船員/Youtuber

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