【自由市場のジレンマ】賭博や売春、大量消費を煽る行為…19世紀の経済思想家が示した「規制の限界」
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月20日 11時30分
画像:PIXTA
個人の自由と社会の規制。そのバランスは経済活動にも深く関わります。賭博や売春といった行為は、個人の選択として尊重されるべきなのでしょうか。それとも、公共の利益の観点から制限されるべきなのでしょうか。19世紀を代表するイギリスの政治哲学者であり経済思想家のジョン・スチュアート・ミルは、この問いに対して著書『自由論』で「自由」の原理を提示しました。本記事では、書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル 、その他:成田悠輔 、翻訳:芝瑞紀 、出版社:サンマーク出版)より、ミルが説く「自由」の原理をもとに自由と規制の境界線について書かれた箇所を、一部を抜粋・編集してお届けします。
「個人の自由」と「社会の規制」の境界線
非難されても仕方ないような行為でも、その影響が本人にしか及ばない場合、社会がそれを禁止したり罰したりするのは間違っている。
社会はあくまでも、個人の自由を尊重しなければならない。では、他人がそのような行為を勧めたり、誰かをそそのかしたりするのも、同じように「個人の自由」として尊重されるのだろうか? この問題はなかなかむずかしい。
他者に特定の行動をとるよう勧めるのは、個人的な行動とは言えない。「忠告」や「勧誘」は社会的な行動なので、他者に影響を与えるほかの行為と同様、社会によって規制されるべきだと思う人はおそらく多いだろう。
だが、その考えは間違っている。たしかに、他者になんらかの行動をうながすことは「個人の自由」ではカバーできないかもしれない。しかし、個人の自由の根拠になっている部分は、このような場合にも適用できるのだ。
“そそのかして”利益を得る場合は自由を適用できない
まず前提として、「本人にしか関係ないこと」を「本人がリスクを背負って」行うなら、なんの問題もない。ということは、どのような行動をとるべきかを誰かに相談するのも本人の自由でなければならない。意見を交換するのも、他者に助言するのもその人の自由ということだ。当然、「本人にしか影響しない行動」に限った話ではあるが。
話が複雑になるのは、助言を与える側が「他者をそそのかして利益を得ている」場合だ。つまり、社会や国において「悪」だと見なされる行為に人を巻きこみ、それによって金を稼いでいる人に対しては、自由の原理は適用できない。
そういうケースでは、また新しい要素が加わってくる。「公共の利益」と対立するものから利益を得て、公共の利益に対立することを生業とする人々の存在だ。そういう人たちに干渉することは、はたして正しいのだろうか?
売春や賭博をすべて取り締まる必要はないだろう。だが、売春の斡旋についてはどうか。賭博場を開くことは許されるのか。これは、「個人の自由」と「社会の管理」というふたつの原理のちょうど中間に位置する問題であり、どちらの原理を適用すべきかを判断するのは簡単ではない。どちらの側にも言い分があるからだ。
自由と規制……対立する二つの視点
「個人の自由を認めるべきだ」と主張する人の論拠は次のようなものだ。
個人的な範囲なら許される行為が、仕事になったとたん犯罪扱いされるなんておかしいだろう。仕事かどうかにかかわらず、行為そのものを完全に許容するか、完全に禁止するかのどちらかにすべきだ。この本に書かれている原理が正しいというなら、社会は個人的な行動を「悪」だと判断してはならない。社会にできるのは、「やめたほうがいい」と忠告を与えることだけだ。それに、「やめたほうがいい」と忠告する自由があるなら、「やったほうがいい」と勧める自由もあるべきではないか。
これに対して、「社会の管理を認めるべきだ」と主張する側はこう反論するだろう。
たしかに社会と国には、個人の利益にしか関係ない行動を「善」だの「悪」だのと決めつけて、それを禁止したり罰したりする権限はない。だが、ある行動を悪だと思ったときに「悪だと決めつけるわけにはいかないが、悪なのかどうかを議論する価値はある」と想定するのはまったく問題ない。
そのように想定したなら、利益のために他者を勧誘する連中や、偏った思想にもとづいて人々を扇動する連中を排除しようとするのも間違いではない。そういう連中は、国が悪だと見なす側から報酬を受け取っているからだ。つまり、公共の利益ではなく自分の利益のために行動していると認めているも同然なのだ。
他者の好みにつけこんで利益を得ようとする人に引っかかってはならない。誰もが自分の好みに従い、自分で選択することが重要だ。その選択が賢明であれ愚かであれ、何かが失われるわけではない。ほかの誰かの幸せが損なわれることもない。
賭博の自由と公共の規制、その線引きとは
つまるところ、結論はこうだ。賭博を法律で禁止することは、たしかに間違っている。自宅だろうと、誰かの家だろうと、仲間と共同で建てた集会所だろうと、仲間同士で集まって賭け事に興じるのはその人たちの自由だ。しかし、誰でも入れる賭博場を開くことを認めてはならない。
法律で禁止したとしても、賭博場がなくなることはない。警察にどれほどの権限を与えたとしても、賭博場はさまざまな建前を駆使して存在しつづけるだろう。だが、あからさまな看板を出せなくなるので、出入りする人はよほどの賭博好きだけになる。そして社会は、それ以上を求めるべきではないのだ。
これはなかなか説得力がある主張だ。だが、「売春や賭博に手を出した人は無罪だが、売春を斡旋した人や賭博場を開いた人は罰金刑や禁固刑の対象になる」という理屈、つまり「主犯は罰せられない(罰してはならない)、しかし従犯は罰せられる」という考え方は、道徳的な観点からすると奇妙な話だ。先ほどの主張によって、これを正当化できるとは思えないし、一般的な商売にこの理屈をあてはめるわけにはいかない。
大量消費と販売の倫理……どこに線を引くべきか
売買される商品のほとんどは、大量に消費される可能性がある。そして売り手は、大量消費を煽って利益を増やしている。しかし、こうした現状を理由に禁酒法のような法律を制定することはできない。
たしかに売り手は、大量に酒を飲む人のおかげで金を稼いでいるが、彼らが酒を売ることは適度に飲む人にとってもありがたいことだからだ。
ただし、客に大量飲酒を促して利益を得るのはいいことではない。そのことを理由に、国がなんらかの制限を設け、大量飲酒に歯止めをかけるのは正当な行為だ。だが、こうした正当性がない場合、国家が制限を設けることは自由の侵害にあたるのだ。
ジョン・スチュアート・ミル
政治哲学者
経済思想家
※本記事は、約165年前に出版された19世紀を代表するイギリスの政治哲学者、経済思想家ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を基にした新訳書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル、その他:成田悠輔、翻訳:芝瑞紀、出版社:サンマーク出版)からの抜粋です。
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