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RothmansやTECH21はみんなの憧れだった!レーサーレプリカの系譜⑤<限定カラー編>

&GP / 2020年6月16日 21時0分

RothmansやTECH21はみんなの憧れだった!レーサーレプリカの系譜⑤<限定カラー編>

RothmansやTECH21はみんなの憧れだった!レーサーレプリカの系譜⑤<限定カラー編>

サーキットの熱気がストリートにも伝播し、レーシングマシンさながらのバイクが公道にも溢れていた1980〜90年代のレーサーレプリカブーム。その時代に羨望の眼差しを集めていたのが、ワークスマシンと同様のカラーリングをまとった限定モデルでした。今回は、そんな限定カラーのレプリカマシンを紹介したいと思います。

 

■憧れの的だったロスマンズカラー

▲1985年シーズンにNSR500を駆るフレディー・スペンサー

レーサーレプリカに採用されたワークスカラーといえば、ホンダの“ロスマンズカラー”を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ロスマンズ(Rothmans)はイギリスのタバコメーカー。1985年から1993年まで世界GP、ホンダ・ワークスのスポンサーとなっていました。その初年度である1985年にフレディー・スペンサーが500ccクラスと250ccクラスのダブルタイトルを獲得。1987年にはワイン・ガードナーが、1989年にはエディ・ローソンが500ccクラスのタイトルを獲得し、このカラーリングはホンダの速さの象徴になりました。

▲1985年式「NS400R」(NC19)

そのロスマンズカラーを初めてまとった市販車は1985年に発売された「NS400R」。前年まで2連覇を達成していたワークスレーサー「NS500」の技術をフィードバックしたマシンで、2ストV型3気筒の400ccエンジンを搭載し、最高出力こそ当時の自主規制上限値である59psでしたが、圧倒的な加速力を持つモンスターでした。

▲1986年式「NS250R」(MC11)

続く1986年には250ccの「NS250R」にもスペシャルエディションとしてロスマンズカラーが登場します。ただ、このカラーはロスマンズの文字は入っているものの、ホワイト基調でワークスチームのブルーを基調としたカラーとはイメージが違ったためか、爆発的な人気とはなりませんでした。

▲1987年式「VFR400R」(NC24)

1987年には4スト400ccクラスの「VFR400R」にもロスマンズカラーのマシンが登場します。ロスマンズ・ホンダは世界耐久選手権にも参戦していたので、こちらはそのワークスマシン「RVF750」のレプリカカラーですね。

▲1988年式「NSR250R SP」(MC18)

ロスマンズカラーに速さの象徴のようなイメージを焼き付けたのは1988年式(通称“ハチハチ”)の「NSR250R SP」でしょう。その名の通り、市販車で競われたSPレース仕様にだけ用意されたカラーリングで、市販車としては世界初となるマグネシウムホイールを装備していたことも憧れの要因でした。今でも「NSRで一番速かったのはハチハチ」と言われるくらいの伝説的なマシンとともに、ロスマンズカラーはバイクファンの記憶に刻まれることになります。

▲1991年式「NSR250R SP」(MC21)

その後もロスマンズカラーはNSRのSP仕様のものとして定着し、1991年に登場したMC21型、1993年にプロアームを装備したMC28型にもこのカラーが用意されていました。SP仕様のみに設定されたということも、乾式クラッチのカラカラという音とともに当時の走り屋たちの心を掴んだ要因でしょう。

▲1994年式「NSR50」

実はこのカラー、50ccクラスのレプリカマシン「NSR50」にも設定されていました。当時は50ccクラスのミニバイクレースも盛んで、このクラスにもレプリカマシンが揃っていた時代。なかでも「NSR50」は“最速”と言われたモデルで、ロスマンズカラーは峠小僧たちの憧れの的でした。

▲1989年式「NSR250R SP」(MC18)

NSRのSP仕様といえばロスマンズカラーというイメージがありますが、例外だったのが1989年式。この年式だけは“TERAカラー”(あるいは“銀テラ”)と呼ばれるカラーでした。これは世界GP 250ccクラスのアジノモト・ホンダ・レーシングチームに参戦していた清水雅広選手のレプリカカラー。当時、味の素が販売していたスポーツドリンクのカラーなのですが、筆者は友人が乗っていたのでNSRのほうは覚えていますが、飲み物のほうは見た記憶がありません…。

1995年からは、ホンダ ワークスチームのスポンサーが、スペインの石油会社レプソル(REPSOL)に変わります。エースライダーは1994年から1998年まで5連覇を達成するミック・ドゥーハン。

▲1996年式「NSR250R SP」(MC28)

それに伴い、NSRのSP仕様もこのカラーリングになります。この年式は最高出力が40psに下げられていましたが、市販車では世界初となるカードキーを採用していたことが話題でした。

 

■ヤマハの特別カラーといえば「テック21」

ワークスマシンを模した限定カラーを用意していたのはホンダだけではありません。ライバルメーカーもレーシングマシンのカラーを纏ったモデルをリリースしていました。

▲1987年式「TZR250」(1KT)

NSRのライバルで筆頭に挙げられるヤマハの「TZR250」は、1987年にゴロワーズ(GAULOISES)カラーのマシンを発売(※フランスのタバコブランド)。世界GPでクリスチャン・サロンが駆った「YZR500」で有名になったカラーですね。

▲1988年式「TZR250」(2XT)

1988年にはマルボロ(ワークスチームの名称は「マールボロ・ヤマハ」でした)カラーのモデルもリリース。エースライダーのエディ・ローソンが1984年、1986年、1988年にこのカラーの「YZR500」でチャンピオンを獲得した姿が記憶に残っている人も多いことでしょう。

▲1988年式「FZR250」(3HX)

そして、ヤマハで有名なのは「TECH21(テックツーワン)」カラーでしょう。水色のボディカラーに入ったロゴを覚えてる人も多いはず。これは当時の資生堂が展開していた男性向け化粧品のブランドでした。1985年の鈴鹿8時間耐久レースでケニー・ロバーツと平忠彦が駆ったヤマハTECH21レーシングチームの「FZ750」が、終了30分前までトップを独走したことで鮮烈な印象を残したカラーです(結果はマシントラブルでリタイア)。耐久レースのイメージが強いためか、このカラーを纏ったのは4ストの「FZR250」でした。

▲1986年式「YSR50」

このカラーが、ある世代の人たちの記憶に刻み込まれているのは50ccのマシンにも展開されていたからかもしれません。最初にこのカラーを纏った市販車は、50ccのレプリカマシン「YSR50」。1986年のことでした。

▲1988年式「チャンプRS」

そして、1988年にはスクーターの「チャンプRS」にも採用されます。原付免許しか持っていない高校生などには、身近に乗れるワークスカラーのマシンは憧れの的でした。

▲「YZF-R1」の2019年鈴鹿8時間耐久レース参戦マシン

ちなみに、このカラーは30年以上の時を超え、2019年に復活します。鈴鹿8耐の参戦マシンである「YZF-R1」に34年ぶりに「TECH21」カラーが復活。ゼッケンも当時と同じ21番とされます。結果は惜しくも2位(それもかなり波乱含みの展開)でしたが、当時を知るファンの心を熱くさせてくれました。

 

■記憶に残るスズキのカラーは!?

▲ケビン・シュワンツが駆ったワークスマシン「RGV500Γ」

ワークスカラーを纏ったスズキのレプリカマシンが印象に残っているという人も少なくないことでしょう。

▲1988年式「RGV250Γ SP」(VJ21A)

1988年の「RGV250Γ」のSP仕様には、この年から世界GPへのフル参戦を再開したワークスチームのペプシカラーが設定されていました。ケビン・シュワンツのダイナミックなライディングとともに、鮮烈な印象を残したカラーです。

▲1990年式「RGV250Γ SP」(VJ22A)

1990年モデルのSP仕様にも、スポンサーが変わりラッキーストライクカラーとなったワークスマシンのカラーを設定。1989年からは250ccクラスにも参戦を開始していたので、このカラーはGP250のレプリカマシンでもありました。1991年にはシュワンツがこのカラーリングの「RGV500Γ」でチャンピオンを獲得したことと、インパクトの強い配色でガンマといえばこのカラーを思い浮かべる人も多そうです。

▲1985年式「RG500Γ」

スズキのカラーリングで忘れられないのがウォルター・ウルフ。当時、何の会社か知っていた人は少なそうですが(筆者も知りませんでした)、石油事業で成功したカナダの実業家で一時期はF1にも参戦していました。スズキはこのカラーリングのワークスマシンに水谷勝選手が乗って全日本選手権に参戦していたので、そのレプリカカラーといえます。写真の「RG500Γ」のほか「RG250Γ」や原付スクーターの「ハイ」などにも展開されていたので覚えている人もいるのでは。

*  *  *

レプリカブームの盛り上がりとともに数を増やし、バイク好きたちの羨望の的となったワークスマシンのレプリカカラー。残念ながら、カワサキには限定カラーのマシンはありませんでしたが、ライムグリーンがそもそもワークスカラーという言い方もできるかもしれません。今でも、こうしたカラーのマシンはありますが、原付にまでワークスマシンのカラーリングが受け継がれていたのは、レースでの活躍がそのまま販売促進に結びついていたこの時代ならでは。ライダーが誰しもサーキットに憧れた熱き時代の象徴ともいえます。

 

文/増谷茂樹

増谷茂樹|編集プロダクションやモノ系雑誌の編集部などを経て、フリーランスのライターに。クルマ、バイク、自転車など、タイヤの付いている乗り物が好物。専門的な情報をできるだけ分かりやすく書くことを信条に、さまざまな雑誌やWebメディアに寄稿している。

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