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【プロダクトヒストリー】コンタクトレンズ〜創業者のあくなき探究心〜

&GP / 2017年2月8日 17時0分

【プロダクトヒストリー】コンタクトレンズ〜創業者のあくなき探究心〜

【プロダクトヒストリー】コンタクトレンズ〜創業者のあくなき探究心〜

現在、コンタクトレンズを使っている人は日本には約2000万人いるといわれ、実に日本人の16%が使用していることになります。コンタクトレンズがあるから、快適に勉強やスポーツをできている人もいるのでは?

そのコンタクトレンズはいつ誕生したのでしょうか? 実は知らないことがたくさんあるコンタクトレンズについて、メニコンの広報を担当する城戸さんに聞いてみました!

 

 ■自分の目を使って実験⁉︎

コンタクトレンズは、実は1508年にレオナルド・ダ・ヴィンチが原理を思いついたと言われています。そして日本で初めて角膜コンタクトレンズを実用化したのがメニコン。メニコンの創業者・田中恭一が、なんと独自の研究で生み出したのです。

終戦翌年、名古屋市内の老舗眼鏡店「メガネの玉水屋」で丁稚奉公を始めた恭一は、持ち前の器用さと好奇心旺盛な性格からメキメキと技術を上達させ、進駐軍の野戦病院の専属ライセンスを与えられるまでに。玉水屋は名古屋でいちばんの老舗であることから信頼も厚く、終戦直後から進駐軍の病院の中に入って、眼鏡の受注制作をしていました。

▲写真左から将校夫人、田中恭一氏 ▲写真左から将校夫人、田中恭一氏

「眼鏡を使用する人の中には度数を合わせるのが難しい人もいて、腕のいい恭一を頼りにするお客さんもたくさんいたそうです。もともとお父さんが竹彫工芸家でもあるので、器用さを受け継いでいたんですね。眼鏡をかける人、一人ひとりの顔に合う眼鏡フレームも作っていたのです」

新しい商品を思いつく想像力もあり、当時は丸い形のロイド眼鏡が主流だった時代に、
お客様の顔立ちや雰囲気に合うオリジナルの眼鏡のデザインをすると、そのセンスに惹かれた顧客が増え、恭一はみるみるうちに稼ぎ頭に。

「通常の眼鏡が当時の金額で500円のところ、恭一の手がける眼鏡は3000円から8000円ぐらいの値段が付いていたそうです」

なんと安くても通常品の6倍以上! デザイナーとしても人気があったことが伝わります。

さて、眼鏡職人として名を馳せていた恭一の人生が変わるのは、ここからです。顧客であった米軍将校の婦人が店を訪れた時、その夫人が「アメリカ製のコンタクトレンズを持っている」と話したのです。アメリカでコンタクトレンズが実用化されたことはニュースで知っていた恭一は、ぜひ見せて欲しいと頼んだのですが…。

「非常に高価なものだったのでしょうね。会長(恭一)が頼んでも、見せてもくれなかったそうです。秘密だと言うよりは、あまりに高価なので、外で人に見せたり触らせたりする気にはなれなかったのではないでしょうか」

その価格は、当時のドルレートで換算すると10万円ほど。当然の反応かもしれませんが、見せてもらえなかったことにより恭一の闘争心に火がつき「アメリカ人にできるなら自分にもできるはず!」と、独自に開発に乗り出します。

専門的な知識はないながら、自分や家族の目を観察することから始めたコンタクトレンズの開発。素材に選んだのは、飛行機の窓ガラスの素材として使われていた風防ガラスでした。それを旋盤で小さな丸い形に加工し、出来上がった試作品は自らの目に入れて試す日々。

170207_menicon02 ▲試作品を実際に目に入れて試す様子

「自分の目を使って実験することに、ご両親は心配して猛反対されたそうですが、 『目は二つあるから、ひとつつぶれてももう一つ残っているから大丈夫』と押し切って続けたそうです」

目に入れるだけでなく、装着した時に風に吹かれたり水に入ったらどうなるかも試したくて、木曽川に飛び込む実験までしたというから驚きです。

170207_menicon11 ▲木曽川で実験を行う恭一

 

■コンタクトレンズは昔、白目まで覆っていました

コンタクトレンズを試作する上で役に立ったのは、持っていた情熱だけではありません。実は恭一は旋盤技術を習得しており、試作品も自分で旋盤を操作して仕上げていたのです。

170207_menicon10 ▲使用していた旋盤

「旋盤技術は学徒動員で身につけたものです。まだ14歳でしたが、器用さを見込まれて、腕のいい職人さんに旋盤技術を教え込まれたそうです。旋盤に関しては本当に深い知識を持っており、その後、コンタクトレンズを量産することになった時も、機械メーカーと調整しながら、旋盤も自分で作っているんです」

そんな情熱で寝食を忘れて突っ走り、わずか3ヶ月後には、最初のプラスチック製角膜コンタクトレンズのプロトタイプを完成させてしまいました。

実は当時、眼科医の間でもコンタクトレンズの開発は進められていたのですが、「強角膜レンズ」というもので、恭一の独自研究していたものよりも一回り大きく、素材も違うものでした。

「眼科医と違い専門的な知識がなかったので、白目まで覆わなくて黒目の部分だけで十分だと直感的に思ったそうです。また実物も見ていなかったので、先入観にとらわれず独自の形態を思いつくことになりました」

素材も大きさも違う恭一の試作品は、医師たちに「こんなのコンタクトレンズじゃない!」と言われてしまいます。しかし、コンタクトレンズを欲しがっていた患者さんに試してもらったところ…

「強角膜レンズは白目まで覆う大きいものなので装着すると痛みがあり、利用者の悩みにもなっていたようです。試作品は黒めの部分だけを覆う小さなものなので『こっちの方が痛くない』と評判は上々で、その後のコンタクトレンズの主流は強角膜レンズではなく、小さなタイプの角膜レンズになっていきました」

170207_menicon04 ▲写真左端:強角膜レンズ 写真右端から3点:角膜レンズ

独自の研究が、業界の流れを変えてしまったのでした。

170207_menicon05 ▲M.T.コンタクトレンズの製品化第一号

しかも当時の恭一は、弱冠20歳だったということも驚き!

「戦後すぐの時代は物がなく、何でも自分で工夫して作っていたということから、その延長線上だったのかもしれません。田中会長は “学識がないからできた” と申しておりますが…」

素材から機械まですべて自分で作ってしまう不屈の精神は、真似できません…!

▲ ▲恭一の研究ノート(昭和28年)

 

■斬新なアイディアは “人真似をしない” というポリシーから

独自に生み出した角膜レンズが認められるようになってからも、恭一の研究心は収まりません。

「最初に素材として選んだ風防ガラスは旋盤で削ると匂いがするので、不純物があると直感的に思ったそうです。直接目に入れるものなので安全な素材にしたいと、素材から開発をすることになりました。人間にとって最も安全な素材は何かと探し、専門知識がないなりに研究を続けて、酸素を通すプラスチックを自分で調合していきました」

素材作りまで自分で手掛けてしまう恭一の飽くなき探究心は、大きくなっていくコンタクトレンズ市場に新たな風を吹かせます。

1958年に名古屋駅前の毎日ビルにクリニックを設立し、患者のニーズを汲み取りながら、臨床研究を続けます。73年には日本初のソフトコンタクトレンズ「メニコンソフト」を発売。そして79年には、こちらも日本初の酸素を通すコンタクトレンズ「メニコンO2」を発売します。

170207_menicon07 ▲「メニコンソフト」

しかし、その品質へのこだわりが裏目に出てしまったこともありました。

「90年代に使い捨てコンタクトレンズがアメリカから入ってきた時、1週間ほどで捨てることを前提にした素材は当社の品質基準にはそぐわないものでした。“100%の品質のものを作る という強いこだわりがある当社は、使い捨てタイプは “メニコンレベルじゃない” と開発着手が遅れてしまったんです」

しかし、出遅れたものの、一旦研究を始めたらやはり独自路線。2016年12月1日に発売された最新製品「1DAYメニコン プレミオ」には、独自の技術がたくさん詰まっています。

「 “スマートタッチ” という独自のパッケージは、安全性にこだわり、清潔に装着できるように、開けたときに角膜にふれる面を触らず装着できるようになっています。シリコーンハイドロゲル素材で、裸眼時の97%の酸素を瞳に送れるほどの高い酸素透過性も誇ります」

170207_menicon08 ▲「1DAYメニコン プレミオ」の独自パッケージ “スマートタッチ”

満を持して発売された新製品だけあり、さすがのクオリティです。

「現在は2代目の社長となっておりますが、“人真似をしない” という創業当時からの企業理念は、やはり今も社風として受け継がれています」と広報の城戸さんが話す通り、メニコン独自のものとは何かを追求する姿勢とアイデンティティは、今も健在なようです!

>> メニコン

 

(取材・文/明知真理子)

あけちまりこ/ライター

編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。雑誌・ウェブ等で幅広く活躍し、寝る間もないほど売れっ子(になりたいと思っている)。趣味で株式投資をしており、日経平均が下がると表情がやや曇ります。映画と旅行とプロレスが好き。

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