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【熟年離婚の体験談】50代でモラハラ夫から解放されて「第三の人生」を謳歌

ハルメク365 / 2024年11月27日 22時50分

【熟年離婚の体験談】50代でモラハラ夫から解放されて「第三の人生」を謳歌

熟年離婚体験談

厚生労働省の統計によると直近の約10年で、熟年離婚する夫婦が増えています。今回は夫のモラハラに悩まされ子どもの独立と親の死をきっかけに熟年離婚した、50代女性の体験談を紹介します。

オトナ女性に重要になる「第三の人生」

オトナ女性に重要になる「第三の人生」

熟年離婚が増加している。親元にいた若い日々は「第一の人生」、夫や子どものためにがんばってきた「第二の人生」、そして自分のためだけに生きる「第三の人生」。オトナ女性の人生はこれからそれが主流となっていくのかもしれない。

>>熟年離婚の原因・理由とは?メリット・デメリットも

ずっと夫の言動に苦しめられて

ずっと夫の言動に苦しめられて

晴れて熟年離婚を果たして2年、「一人暮らしにも慣れて今は毎日、楽しく過ごしています」というのは、都内在住のヨウコさん(56歳)。32歳の長女も仕事をしながら都内で一人暮らし、30歳の長男は、現在は関西で仕事をしている。

「家族みんなバラバラになったけど、人間はもともと一人。何かあったときに助け合えればそれでいいと思えるようになりました」

短大卒業後に就職したが22歳のときに親戚の紹介で6歳年上の男性と見合いをし、3回会って結婚を決めたという。

「ずっと仕事をしていくつもりもありませんでした。料理も好きだったし家庭に入って子育てをしたかったんです」

相手は有名企業に勤めていて、すでに家族で住めるマンションも購入済みだった。2人の子にも恵まれたが、「今思えば」モラハラの連続だったらしい。

「小さな子を抱えて夜もろくに眠れないのに、朝は5時半に起きて夫のお弁当と朝食を作って。眠そうな顔をしていると『亭主が働きに行くんだから、化粧の一つもすませて送り出せないのか』と嫌みを言われる。夫は残業しようと飲んでこようと必ず家で食事をするから、夜も簡単なおかずでは許されないんです。うちの父親も厳格な人だったので、当時はそんなものだと思っていました」

深夜、授乳が終わるのを待ちきれない夫に襲われたこともある。そのときは自分が「道具」にされているような惨めな気持ちになった。

「子どもの成績が悪いと、『誰の血筋だろう』と嫌みを言われました。夫の親戚との付き合いが苦手だったのですが、それも気が利かないと怒られて。たまに夫が出張に出掛けると、子どもたちと3人で外食したりして、天国でしたね!」

夫の顔を見ると嫌悪を感じることは何回もあったが、彼女はひたすら我慢した。なぜなら、結婚したら女は夫の言うことを聞くべきだと思っていたから。そして、子どもたちのためには自分が我慢するのが一番いいと信じていたから。

自分がモラハラ被害者だと気付いて

自分がモラハラ被害者だと気付いて

モラハラ夫というのは不思議なものだ。見下している妻に身の回りの世話を任せ、罵倒する妻の作った料理を平然と食べるのだから。女は「嫌いな男の触れたもの」にわざわざ触れようとはしないだろう。そのあたりが男のいいかげんさでもある。

「夫を怒らせないようにと気を遣いながら、そして夫のいないときに子どもたちとガス抜きをしながら、なんとか日々を過ごしてきました。それでも罵詈雑言には慣れませんでしたね。言われるたびに体が固まる。夫は暴力をふるわなかったけど、バカだの役立たずだの無駄飯食いだのと、ずっと言葉の暴力を言われ続けました」

長女が高校生になった頃、「お母さん、これを読んで」と人権について書かれた冊子のようなものを手渡された。それを読むうち、ヨウコさんは涙が止まらなくなったという。

その後、図書館に通って手当たり次第に人権に関する本を読みあさった。自分の人権は踏みにじられている。地域の女性センターのような場所へ行って相談もしてみた。

「うちにパソコンがあったので、子どもたちに使い方を教えてもらいました。夫の留守の時間にパートで仕事も始めた。何かせずにはいられなくなったんです。おそらく、私が自分を守り、自分の足で立つための準備期間だったんだと思う」

機は熟し、自分の足で一歩を踏み出す

自分の足で一歩を踏み出す

長女は大学へ、長男はどうしてもやりたいことがあると専門学校へ。二人とも同じ時期に社会へと羽ばたいた。自分の人生を歩み始めたのだ。ちょうどそのころ、ヨウコさんの父親が急死した。

「本当に急だったんです。夫に電話して実家に行ってくると言ったら、『オレの夕飯を用意してから行って』と……。さすがに聞き返しましたね。就職した娘に言ったら、そんなことはしなくていいから、さっさと実家へ行きなさい、あとから私も行くから、と。初めて夫の言いつけに逆らいました」

自宅から1時間程度の実家にさえ、ヨウコさんはなかなか行けなかった。行くとつい愚痴って親を心配させるし、夫がいい顔をしなかったからだ。だがその日から数日間、彼女は自宅に戻らず、母のそばにいた。そして夫は通夜にも葬式にも協力的ではなかった。

「それで腹が決まりました。それまで離婚なんて考えたこともなかったけど。しばらくして自宅に戻ると、家事は娘がやってくれていたのですが、夫婦の寝室はごった返していました。数日後、私は引っ越し屋さんを頼んで一気に荷物を実家へと運び出しました。息子はすでに遠方にいましたが、娘も私に合わせてアパートを借りて家を出たんです」

ヨウコさんは実家に身を寄せ、母親と二人で暮らし始めた。テーブルに残された離婚届を夫はどう見ているのか気にはなったが、夫から連絡はなかったという。

「長い期間かけて貯めた預金がありましたし、父の遺産も少し入った。あとは私ががんばって働けば、母と二人、暮らしていけるだろうと思ったんです」

娘のツテでいい弁護士にも巡り会えた。調停は不調に終わり、夫婦としてなんの話し合いもできず財産分与もしないままだった。裁判を起こそうとしたとき、離婚届をいきなり弁護士に送ってきたという。ろくに財産分与もしなかったが、ヨウコさんはもう夫と関わりたくなかったのだ。

そしてヨウコさんが54歳のとき母が亡くなった。彼女は一人っ子だったので親の家を売って、1LDKの中古マンションをキャッシュで買った。

「いろいろ大変でしたが、自治体や弁護士さんなどが助けてくれました。もちろん子どもたちも。そして晴れて一人暮らしになったわけです」

夫は相変わらずあの家にいるようだ。退職金を半分もらい損なったという思いはあるが、そこに固執していたら今の自由は得られなかっただろう。

「一人って自由なんですよね。どこへ行こうと何をしようと誰も何も言わない。今は週に5日、パートで働きながら、図書館でボランティアをしています。私を救ってくれた図書館に恩返しをしたくて」

一人で暮らして初めて手にした“自由”を、体が動くうちは精いっぱい謳歌したい。ヨウコさんは生き生きとそう言って、栗色に染めたセミロングの髪をなびかせながら去って行った。

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