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シスター・鈴木秀子さんに聞く 大切な人との離別の悲しみを癒やす「3つの心得」

ハルメク365 / 2024年8月13日 11時50分

シスター・鈴木秀子さんに聞く 大切な人との離別の悲しみを癒やす「3つの心得」

50年以上にわたり、カトリックのシスターとして多くの方の悩みに向き合ってきた鈴木秀子さん。「看取り」を通じて感じた、大切な人の死を受け入れ、生きる恵に変換する方法とは? 別れの悲しみを癒やす「3つの心得」について伺いました。

自分の命も、価値観も、平和も、普遍で確かなものはない

命も、価値観も、平和も、普遍で確かなものではない

※インタビューは2022年4月に行いました。

連日、ウクライナでの戦禍が報道されています。逃げ惑う人々に、不安そうな瞳で身を縮める子どもたち。そんな光景を胸が詰まる思いで見つめながら、どうしても、第二次世界大戦でのことを思い起こさずにいられません。

同時に、戦中戦後の経験こそが、今の私の生き方を決定づけたとも思い至るのです。

戦時中に私が住んでいたのは、伊豆半島の先、白浜という海の美しいところです。しかし、ちょうど東京方面への爆撃で行き来する米軍機の通り道にあたっていたせいか、焼夷弾が落とされて火事が頻繁に起こり、機銃掃射でそばにいた友達が撃たれ、亡くなったこともありました。

一瞬先には、自分にも死の運命が待っているかもしれない恐怖が、私の心に深く植え付けられたのです。

学校では、戦時中「日本は絶対に勝つ」と教えられ、奉られた天皇陛下の肖像の前を通るときは必ずお辞儀をするよう言われてきました。しかし、戦後いつものようにお辞儀をした生徒に向かって、教頭先生が「まだあんなことをしている馬鹿者がいる」と忌々しげに言い放ったのです。

教科書も、国家主義や戦意を鼓舞する内容は墨塗りをさせられました。当時、中学1年生という多感な時期だった私にとって、それまで大切だと教えられてきたことが一転、「不要なもの」と断じられたことは大きなショックでした。

自分の命も、価値観も、平和も、普遍で確かなものはないのだと、心にぽっかり穴が開いたような虚無感に襲われたことを、鮮明に覚えています。 

生きる道を示してくれたのはシスターたちの揺るがない信仰心

生きる道を示してくれたのはシスターたちの揺るがない信仰心

終戦後、経済がどん底で教育もままならない日本に対して、世界中の聖職者が呼び掛け合い、多くが教師として来日しました。私が通った聖心女子大学もその頃に開校。「海外教養が身につく」と高校の先生にすすめられ進学した私は、上京し寮生活を始めました。

そこで私が最も心惹かれたのは、シスターたちの存在でした。学生たちの使った食器を洗っているとき、また学生とすれ違うとき、みな一様に口の中で何かをつぶやいています。聞けば、「このお皿で食事をした学生が、今すれ違った学生が、幸せになれますように」と、毎回祈りを捧げてくれていたのです。

それぞれ家族や友人と離れて遠い日本に来て、一緒に貧しさを味わいながらも、学生たちのために心から祈り、奉仕を続ける。それができるのは、彼女たちの中にどんな時代でも、何があっても揺るがない普遍のものとして、「神への信仰」があるからだと感じました。その在りようは、戦後、常に渇いて満たされずにいた私の心に、理屈なく、すうっと染みわたり、生きる道を示してくれたのです。

「シスターになりたい」という私に、もちろん家族は大反対。神に仕えることは、結婚して子どもを産み、幸せな家庭を築く人生を諦めるということですから、無理もありません。私自身も悩み、何度も自問自答しましたが、虚しさを抱えたまま生きていくことはできないと、大学卒業後すぐ修道院に入り、8年の修行の後、シスターとなりました。

看取りの最後…大切にしてほしい「仲よし時間」

看取りの最後…大切にしてほしい「仲よし時間」

シスターにとって大切な役割は、臨終に際して祈りを捧げ、ご本人が心安らかに旅立てるよう手を尽くすことです。一方で、それを見送るご家族に寄り添うのも、同じように大事な使命だと思っています。

ご家族の多くは、「もっと早く病気に気付いていれば」と“過去”を嘆き、「夫が亡くなったら、これからどうすれば」と“未来”への不安を口にされます。

そんなとき私がお伝えするのは、「今“現在”起こっていることを受け入れて、大切な人の体と心を楽にするために何ができるかを、前向きに考えましょう」ということ。他愛もない日常を話すのでも、楽しかった思い出話をするのでも構いません。相手が喜ぶことをして差し上げてほしいと思います。

みなさんは、「危篤状態の方が亡くなる直前にふと活力を取り戻す」という話を聞いたことがありませんか?これは、グリーフケアの現場で「仲よし時間」と呼ばれています。ただ小康状態になるだけでなく、苦しみから解かれたように穏やかになり、周囲の人への感謝や謝罪を口にするようになるのです。

50年以上も前、教え子に頼まれ、初めて看取りの場に立ち会ったときのことです。教え子のお母様がもう今にも、という状況ながら、何か言いたげな様子です。教え子に聞くと、「母には仲違いした姉がいて、最期に会いたいのではないか」とのこと。

これが気がかりなのだと、すぐお姉様を呼んでもらいました。長年絶縁状態だったという二人でしたが、再会するなり手を取り合い、「ごめんなさい」「会えてうれしい」と涙ながらに和解をしたのです。

小さな病室に、温かな想いがあふれるのを感じました。「仲よし時間」は、心の重荷を手放して、愛のうちに召されるために許されたひとときなのかもしれません。

別れの悲しみを癒やす3つの心得

別れの悲しみを癒やす3つの心得

大切な人が死に際したとき、あなたなら何と声をかけますか。私がアメリカで教鞭をとっていた頃に学んだのが、「You may go」(もう逝ってもいいですよ)という言葉です。

「別れたくない」「逝かないで」という執着は誰でもあるものですが、それを口にしてしまうと、死にゆく人に「大切な人を悲しませてしまう」という不安と心残りを与えてしまうことにもなります。それよりも、「You may go」……「あなたといられて楽しかった」「家族みんなで仲よく生きていくからね」と伝え、安心させてあげることが、一番の慰めになるのではないでしょうか。

大切な人を亡くすことは、人生で最も大きいといえる“喪失”です。今まさに、悲しみから立ち直れず苦しんでいる方もおられるでしょう。その気持ちが少しでも早く楽になればと、私から3つ、お伝えしたいことがあります。

まず一つ目。悲しみを我慢せず、泣きたいときに思いきり泣いてください。泣くという行為には、悲しみや怒り、不安など、心を覆っている塵を押し流し、心を解放してくれる力があります。悲しみを共有できる近しい人のそばや、安心できる自室で布団をかぶってでも構いません。力を振り絞って泣くと、必ず前を向く底力が湧いてきます。

そして二つ目。治療や看取りについて「もっと何かできたのでは」と後悔しないでください。あなたもご本人も、その時最善の選択をしたのです。そして命には、人の力では及ばない導きがあります。それを悔やむのは、厳しく言えばただの“我欲”。「してあげたかった」という思いは、これから他の誰かに手を差し伸べることで果たせばいいのです。

そして最後に。大切な人が“遺してくれたもの”に目を向けてください。楽しい思い出や、自分に向けてくれた愛情や笑顔、かわいい子どもたち。その人を亡くしたことで、今まで見えなかった周囲の支えや、「今生きている」ことのありがたさに気付いた方もいるはずです。その“恵み”に気付くことが、喪失から立ち上がる何よりの力になります。亡くなった方も、悲しみより感謝とともに思い返してもらう方が、ずっとうれしいはずです。

次回は、私が傾聴活動で培った、人の心を癒やす「聞く力」についてお話しします。

鈴木秀子(すずき・ひでこ)さんプロフィール

鈴木秀子さん

1932(昭和7)年、静岡県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。聖心会シスター。ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭をとる。聖心女子大学教授を経て、国際コミュニオン学会名誉会長。『機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく。』(かんき出版刊)等著書多数。

取材・文=新井理紗(ハルメク編集部)
※この記事は「ハルメク」2022年6月~8月号に掲載された「こころのはなし」を再編集しています。

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