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【京都】手ごね、薪窯焼成のベーカリー〈弥栄窯〉へ。山の風景を見ながら、パンと生きる夫婦の物語。

Hanako.tokyo / 2021年3月23日 18時0分

【京都】手ごね、薪窯焼成のベーカリー〈弥栄窯〉へ。山の風景を見ながら、パンと生きる夫婦の物語。

”パンおたく”を自称する池田浩明さん。彼が約3年間、Hanako本誌連載で訪ねたパン屋さんに加え、これまで1,000軒以上を取材した経験を一冊に。文中ではそのパン屋さんお気に入りの店も紹介、旅のガイドとしても役立つ。ここに詰まっているのは、日本全国で出会った個性的なパン屋さんとの出会いの物語。私たちがどうしてこんなにパンに夢中になるのか。その答えはこの一冊の中にあるに違いない。今回は、京都のベーカリー〈弥栄窯〉を訪れました。3月13日(土)発売 池田浩明責任編集「僕が一生付き合っていきたいパン屋さん。」よりお届け。

生きているだけ、それでいい。

京都府北部、日本海に突き出した丹後半島。京丹後市弥栄町の中心部から峠を越えた須川の集落は、冬の間深い雪に閉ざされる。太田光軌(こうき)さんが、結婚したばかりの治恵さんを伴い、築100年を超える家に越してきたのは4年前。若い頃、生きる意味を見失い、自殺の誘惑にさいなまれた。それでも有機生産者を志し、弥栄町の農家で研修していた頃のこと。餌用に切り取った大根の葉っぱを鶏小屋に置いておくと、翌日、鶏についばまれてぼろぼろになったその中の一枚が、光を求めて立ち上がろうとしていた。どんな小さな生命でも命ある限り生きようとする。「生きているだけでそれでいい」。太田さんの原点である。

京都府北部、京丹後。山あいの小さな集落は、豪雪地帯。

パンはすべて手ごね。小麦から起こしたルヴァン種を用いる。まさに自然に則したやり方。現在は自家栽培の麦は使用できず、北海道のオーガニック石臼挽き小麦、栃木県の上野長一さんのライ麦を使用。

吊り戸棚の上には、カンパーニュを成形するためのバヌトン(発酵カゴ)が。

やがて、小さな畑に小麦をまき、収穫・脱穀・製粉し、自分で組み立てたロケットストーブで、パンを焼くようになった。そんなとき雑誌で見たのが、フランスの「農家パン屋」。太田さんはフランス各地をまわり、その生き方を学びとった。帰ってきた太田さんは、この茅葺きの古民家を見つけ、荒れ果てた内部を片付け、修理し、レンガを積んで窯を組み上げた。私は泊めてもらったことがある。炭火で太田さんのパンや近隣の農家さんにもらった野菜を焼き、太田さんの友人が作った酒を飲んだ。質素だが、その味が心に染み入ったことといったらない。

私たちはパンを買い、食べ、残れば捨て、また新たにパンを買う。快適だが、すべてが刹那に終わる。太田さんの生き方はちがう。山の土を肥料に小麦を育て、とれた麦を種としてまた畑にまく。朝日が昇るのを見ながら、手でパンをこねる。できたパンと交換に野菜をもらう。パンを焼く薪は廃材。炭もまた土へ還る。毎日繰り返す営みは、すべて自然の摂理、大きな循環へつながる。都市と隔絶した峠の向こうの世界で、永遠の循環に沿って暮らすのだ。

毎日繰り返す営みは、すべて自然の摂理。

ブリオッシュ・ペイザンヌ。大きく成形して中までしっとり。手ごねでバターを生地になじませるのは重労働。バターの風味が小麦の旨味で持ち上げられている。

パン焼き後の余熱で焼いたクッキー。自分たちのおやつ用。

キッチン。

焼き上がったパンはひとつひとつコンコンと叩いて音を確かめる。甲高い音がしたらおいしく焼けた証拠。

2年前、試練がやってきた。消火したはずの薪から出火、母屋に火がついた。すぐ消防を呼んだが、茅葺き屋根にトタンがかぶせてあったため水が届かず、屋根が焼き尽くされるまでただ見ているほかなかった。生活と仕事の場が消失。なにより、窯を失ったことは、もうパンを焼くことができないことを意味する。呆然自失していたが、谷が車でいっぱいになり身動きがとれなくなるほど町中の人が助けに来てくれた。悲劇の中で、その光景は、太田さんがパンを通じていかにたくさんのつながりを作り出し、町に根付いていたかを可視化させていた。

失意の中で、立ち上がろうとした。片付け、そして古民家の再建。やることはいくつもあり、遅々として進まない。「いろんな重いものをかついで、光が見えないトンネルをひたすら歩いてるイメージでした。ずっと歩いてるけど行き止まりかもしれない」逃げ出したい気持ちに駆られ、ぎりぎり追い詰められたとき、記憶が蘇った。「大根の葉っぱを見たときと同じような感覚でした。生きてる以上、生きていかないといけないんだ」

山の風景を見ながら、パンと生きる。

太田光軌さん・治恵さんご夫妻。ゼロから古民家を改装しての開業、火事、田舎暮らし…楽しいことも辛いことも2人で乗り越えてきた。

生地温などのデータを記した手帳。日々の変化を感じとるのが大事なこと。

まかないは、パンと野菜スープ、キャロットラペ。妻の治恵さんはSNSにパンのある食卓をいつもアップしている。

付近の古民家を取り壊したときに出る土や木、それら永遠に循環する材料を積み、塗り上げた。柱一本にも強いところと弱いところがあり、それを見極めなければならない。自然と向き合うことは、パン作りにとてもよく似ていた。1年10カ月かけて再建を果たす。待ち望んでいた人、卸先からの注文が相次ぎ、充実した日々を取り戻している。「がんばってよかったですよ。こんな時代だからこそそう言いたい」生きているだけでいい。弥栄窯のことを思い出すと、刹那を生きる私の心を、いつでもあたたかいものが満たす。

〈弥栄窯〉

最寄り駅は京都丹後鉄道「峰山駅」。駅からは車で約30分、赤い屋根が目印。
京都府京丹後市弥栄町野間
090-2938-1019
※完全予約制。受け取り場所は山の工房ほか、京丹後市内の4店舗、隔週で神戸と京都市内の卸店に限られる。週1回、オンラインショップでは先着順でパンセットが購入可能。

Navigator…池田浩明(いけだ・ひろあき)

パンの研究所「パンラボ」主宰。パンライター。自称「ブレッドギーク」(パンおたく)。NPO法人新麦コレクション理事長として、日本においしい小麦を普及する活動も行う。

(池田浩明責任編集「僕が一生付き合っていきたいパン屋さん。」掲載/photo : Yoshiko Watanabe text : Hiroaki Ikeda)

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