【私と、SDGs】FILE #1/文筆家・塩谷 舞さん「たとえ喧騒の中であれ、小さな声で、話してみる。」
Hanako.tokyo / 2022年7月12日 18時0分
環境、社会、経済……。SDGsの17の目標は多岐にわたりますが、その根底にあるのは「あらゆる人々、後から来る世代のために、今の社会や生活を変えよう」ということ。それは我慢することや楽しみを減らすのではなく、むしろ「なんでこっちのライフスタイルや社会にしなかったんだろう。早く言ってよ!」と言いたくなるようなモデルチェンジ。働く時間を減らしたり、家族との時間を増やしたり、大量消費ではなくモノを大切にする……。豊かな未来への原動力となるのは「優しさ」。「自分に優しく、人に優しく」をニュールールに、これからのSDGsについて考えました。今回は、『私と、SDGs』をテーマに文筆家・塩谷 舞さんにお話を聞きました。
【ART】李禹煥の『線より』
写真は『線より』のポストカード。8月10日より国立新美術館で開催される大規模な回顧展「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」では、この作品はもちろん、彫刻、絵画、新たな境地を示す新作も出品される予定。
李禹煥(リー・ウファン)は1936年韓国生まれで、日本を拠点に活躍している美術家。「もの派」の中心人物としても知られる。『線より』は代表作であり、一筆で描かれた作品には緊張感と静謐さが漂う。
たとえ喧騒の中であれ、小さな声で、話してみる。
この社会の中で息苦しさを作り出している要因、なんてものを数えだしたらキリがない。コンプレックスを掻き立ててくるような電車の中吊りや、会社や顧客から求められる過剰なサービスの水準、選択の余地もないままに押し付けられてしまうジェンダーロール……そうした大きなものによる圧力は、私たちの日常に絶えず立ち現れてくる。そこをどうにか足掻がいて、ようやっと一つ乗り越えられたとしても、またすぐに次が現れてしまう。というのも日常的な息苦しさの多くは、「合理的な資本主義社会」という大きな社会の仕組みと密接な関係にあるのだから、終わりなきモグラ叩きを前に暮らしているようなもんだ。
そうした社会の息苦しさに疲れたとき、淡い期待を抱いて美術館に行くことがある。とはいえ、美術館の中は聖域、といった訳でもないのだけれど。 美術の世界にだって権力構造、そして審査基準があり、それらに認められた作品群がずらりと並んでいるんだから、合理的な資本主義に包まれた社会全体と大差ない。現代美術の展示空間であれば、革新的であったり、前例を覆すような作品が審査基準を通過して、人類の個性と言論の見本市ですという顔をしてずらりと並ぶ。
けれども、そうした主張、主張、主張のプレゼンテーションが鳴り響く現代美術群の中で、まれに空気がふわりと変わる場所がある。ニューヨークのMoMAでも、東京の森美術館でも、遠く中東にあるルーブル・アブダビでも、それは李禹煥の作品の前だった。韓国で生まれ、日本を拠点に国内外で活動をしてきた86歳の美術家、李禹煥。彼の作品からは、自己主張的な声はほんの少しも聴こえてこない。その代わりに、美術館の壁、その壁にかけられたカンヴァス、カンヴァスに乗る絵具、絵の具を引いた絵筆、絵筆を持った画家の手、手から腕を下へと落とす重力……そうした外界との関係性が連なり、小さな宇宙が確かにそこにある。作家の持つ他者(それはものであり、空気であり、自然法則でもある)への目線が、作品の前にやわらかな空間を作っているのだ。そのやわらかさに触れられたとき、私は不思議と「あぁ助かった……」と、社会の中の希望に触れられたような安堵感に包まれるのである。
「喧騒の中で、人に注目してもらうにはどうしたら良いと思う?」子どもの頃に通っていた劇団の先生が、そんな質問を投げかけてきたことがある。劇団員たちが、踊ってみるだとか、旗を振ってみるだとか、様々な回答をする中で、先生はこう続けた。「小さな声で話すこと。そうすれば周りの人は音量を下げ、耳を傾けて、あなたの声を聴いてくれますよ」
主張が渦巻く中でも、李禹煥の作品は確かな存在感を放つ。それは彼が、そこにある人間以外の小さな声を汲み取っているからなのだろう。この夏、国立新美術館にて李禹煥の大規模個展が開催される。意外にも、首都・東京では初の試みだそう。これは、疫病や自然災害が相次ぎ、人間側のエゴで物事を動かすことの脆もろさを痛感させられた社会が、「そろそろ小さき声に耳を傾けましょうよ」と、向かう先を変えた兆しのようにも感じる。美術から見える社会の変化に、心がほの明るくなるのだ。 (文・塩谷 舞)
Profile…文筆家・塩谷 舞(しおたに・まい)
大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。2021年、ニューヨークより帰国。webメディア『milieu(ミリュー)』を自主運営。noteでの執筆に加え、YouTubeも開始。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)。
(Hanako1210号掲載/photo : Kengo Shimizu edit : Rio Hirai)
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