【ウディ・アレン インタビュー 】「ぼくはまだ88歳。名作を撮るための時間はまだあるんだ」
Hanako.tokyo / 2024年1月19日 13時0分
ウディ・アレン
1935年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。映画監督、脚本家、俳優。高校時代よりギャグライターとしての活躍を始め、スタンダップコメディアンを経て、1969年、自身の脚本・主演による『泥棒野郎』で監督デビュー。アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされ、『アニー・ホール』(1977年)でアカデミー監督賞・脚本賞、『ハンナとその姉妹』(1986年)、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)でアカデミー脚本賞を受賞。監督・脚本作に『マンハッタン』『ラジオ・デイズ』『ブロードウェイと銃弾』『マッチポイント』『ブルージャスミン』など多数。デビュー以降、ほぼ毎年1作のペースで映画制作を続けており、ほとんどの作品でニューヨークを舞台にしていたが、近年はヨーロッパの都市を舞台にした作品が多い。クラリネット奏者としても活躍。
最新作 『サン・セバスチャンへ、ようこそ』
かつて大学で映画を教え、いまは人生初の小説の執筆に取り組んでいる熟年ニューヨーカーのモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)が、映画業界のプレス・エージェントである妻スー(ジーナ・ガーション)に同行し、スペインのサン・セバスチャン映画祭に参加する。ところが、スーとフランス人の映画監督フィリップ(ルイ・ガレル)の浮気をモートは疑い、ストレスに苛まれ、現地の診療所に赴くはめに。そこでモートは人柄も容姿も魅力的な医師ジョー(エレナ・アナヤ)とめぐり合い、浮気癖のある芸術家の夫との結婚生活に悩む彼女への恋心を抱く。サン・セバスチャンを訪れて以来、なぜか昼も夜も摩訶不思議なモノクロームの夢を見るようになったモートは、いつしか自らの「人生の意味」を探し求め、映画と現実の狭間を迷走していくのだった……。(1月19日より新宿ピカデリー他全国公開)
公式サイト
――『それでも恋するバルセロナ』(2008年)以来、再びスペインが舞台になっています。個人的にはスペインの解放性と監督のシニシズムの相性が良いと思いますが、なぜスペインだったんでしょう?
まあ、理由はいくつかあって。サン・セバスチャンで毎年行われる映画祭の話にしたかったし、その映画祭自体が好きというのはあるけれど、まず、ぼくが映画を作る場合、アメリカ以外では、製作費を出してくれる国で作るんだ。よく声をかけてくれるのが、イタリアとかフランスとかイギリスといったヨーロッパの国々。ぼくに対して高いギャラを払ってくれるわけではないんだけど、映画を撮るためのお金はちゃんと出してくれる。しかもぼくの映画は比較的安くできるので、彼らはよく電話をかけてきて言うんだ。「ぜひうちへ映画を撮りに来てくださいよ」って。そういう感じで、スペインからもよく電話がかかってきていたので、今回は行くことにしたんだ。ただ、誘われればどこにでも行くわけじゃない。映画を作るには長期滞在が必要だから、3ヵ月くらいは快適に暮らせると思える国にしか行かない。たとえ製作費を出してくれたとしても、行きたくない場所もある。そういう意味では、スペインは最も楽しい国のひとつ。風景が美しく、人々は愛らしく、文化は深く重厚で、食べ物は最高。スペインで映画を撮れるのはとってもうれしいことなんだ。映画愛好家の熟年モートと映画業界で働くバリキャリのスー。かつては趣味の映画で熱く結ばれた2人だったがいまは夫婦仲にすきま風が吹いている。
――ちなみに、昨年(2023年)に公開された『Coup de chance(クードシャンス)』(日本での公開は未定)はフランスのパリが舞台で、全編フランス語で撮影していますよね。こちらは『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)以来でしょうか。
そう。フランスやイタリアで映画を撮るのも好き。スペインと同じ理由でね。というか、これまで映画を作ったすべての場所で撮るのが好きなんだ。素敵な国で、素敵な人たちがいて、ぼくもその経験を楽しめる、そういう場所で映画を撮りたいんだ。――映画に登場する新進気鋭の映画監督・フィリップがどこまでも嫌味なやつでクギ付けでした。傲慢さや曇りのない自己肯定感は、若さゆえの悪いところであり、良いところだと思います。監督も若くして世に出て成功しましたが、いま振り返ってみて、ご自身は若いころ、どんな人間だったと思いますか?
いまもそうだけど、ぼくはずっと仕事にしか興味がない。仕事というのは、つまり、書いたり演じたり映画を作ったりということだけど、それによって得る報酬や名声にはまったく興味がない。若いころからそう。仕事をすることがぼくの喜びであり幸せ。それを人が気に入ってくれるかどうかなんて気にしなかったし、人が観に来てくれるかどうかも気にしない。もちろん、批評家がどう思うかも気にしなかった。でも、そんなぼくの映画を気に入ってくれる人は多かったし、批評家も親切だったことは、とてもラッキーなことだったと思う。それで何年も脚本を書き続けて映画を作り続けることができ、生活ができて、プロとして人生の大半を映画制作に費やすことができたんだから。そしてぼくは、フィリップのように特別なことを映画で主張するつもりはない。これも若いころから一環していること。ぼくの映画は特別に注目されるようなものでも、革新的なものでもないからね。とにかく、ぼくは映画の現場が好きなんだ。俳優やセットデザイナー、衣装デザイナー、カメラマン、たくさんのスタッフと一緒に仕事をするのが好きだし、楽しい。もしそれができなくなったとしても、書くことだけはやめないだろうね。舞台のために書くかもしれないし、小説を書くかもしれないし。ぼくはね、朝に書くのが好き。朝起きたら書く。それも若いころからずっとそう。――主人公のモートは劇中「人生の意味とは何か」と何度も自問します。私は、以前取材した禅寺の僧侶が、「人生に意味はない」と悟った、と言っていたのが印象に残っています。彼は「人生の意味は何か」を探究するために修行を重ね、結果、「意味なんてない」ことがわかったと。監督は、「人生の意味」についてはどう感じていますか?
客観的に見れば、人生は無意味な冒険だよね。何のために生まれてきたのかわからないまま生き、それが何だったのかわからないまま死ぬ。そう考えれば、「意味なんてない」といえばそうだと思う。でも、自分なりの意味づけをしようとし、自分に起きたことを正当化しようとする人もいる。人生が過酷で有限であることを理解しつつ、それに大きな意味を与え、喜びを見出し、それを愛する。ぼくはそういう人間ではないけどね。シェイクスピアの『マクベス』の台詞を借りるなら、“A tail Told by an idiot, full of sound and fury, Signifying nothing.”(これはバカが語る物語だ。喧々囂々騒いでるだけで意味なんて何もない)というところだと思う。スーは新進気鋭のハンサムな映画監督フィリップに夢中になる。フィリップもまんざらではない様子。
――SNS時代はモートのような教養や経験より、ビジュアルが優先しているように思います。そして、若く、美しいものの価値がより優先され、歳をとることに恐怖を感じ、アンチエイジングに必死な人が増えています。監督は「歳をとること」についてどう捉えていますか?
いやもう最悪ですよ。「老い」はどう避けようとしても避けられない問題で。老けると劣化していくんだ。見た目だけじゃなく、メンタル的にも。いいことなんて何もない。歳を重なればその分知恵が備わり賢くなる、なんて話もあるけれど、ぼくはそうは思わない。多くの人は、知恵なんて得られず、ただただ劣化していくだけ。それは自然の摂理だからしょうがないことではあるけれど、でも老いていいことなんてひとつもないから、できるだけそれに抗い、抵抗し、できるだけ健康で若々しくいようとするべきだとは思うよ。――じゃあ、誰もが老いていく中、変わるもの、変わらないものはありますか?
心に深く刻まれたことは変わらないね。特に、18歳、20歳ぐらいのときに恥ずかしいと思ったこと、怖いと思ったこと、苦手だと思ったことは、88歳になったいまでも変わらない。同じような問題をずっと抱えたままなんだ。だから、自分のイヤな部分や否定的な部分が、時が進むことで肯定的な意味に変わることはほとんどないんじゃないかと思う。スーの浮気にヤキモキしていたモートはスペイン人の女性医師ジョーと知り合い恋心を抱く。
――ところで、モートはモノクロで夢を見ますが、監督の夢の色はカラーですか? モノクロですか? 監督も映画的な夢を見たりするのですか?
起きたらすぐに忘れてしまうからわからないけれど、たぶんぼくは現実的な夢を見てると思う。その場合、モノクロだと意味が通じないから、カラーなんだと思う。そして、たいていの場合、夢はぼくを不安にさせる。つまり、楽しくて愉快で素晴らしい夢は見ないんだ。夢の断片を覚えているときは、たいてい心臓がドキドキして、汗をかいて、息が荒くなって目が覚めるからね。スペイン北部バスク地方の街サン・セバスチャンは「ビスケー湾の真珠」と呼ばれる風光明媚なリゾート地。
――フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』(1962年)、クロード・ルルーシュの『男と女』(1966年)、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年)、イングマール・ベルイマンの『野いちご』(1957年)など、今回の映画では、監督が愛する9つの名作映画にオマージュが捧げられています。もし、死神に「死ぬ前に1本だけ過去の映画を観られます」と言われたら、どの映画をチョイスしますか?
ぼくが作った映画の中で?――監督の作品でもいいですし、好きな名作映画でも。私は監督の『アニー・ホール』(1977年)は20世紀を代表する名作映画の1本だと思っています。今回の映画でも想起させるシーンがありました。
ぼくが『自転車泥棒』(1948年)を撮ったのだったらよかったけどね。というか、過去の偉大な監督たちが作った映画をぼくが撮りたかった。ヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』を撮りたかった。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941年)を撮りたかった。ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』(1937年)を撮りたかった。フェデリコ・フェリーニの『81/2』(1963年)を撮りたかった。黒澤明の『羅生門』(1950年)を撮りたかった。たくさんあるから、まだまだ続くけど。――つまり、監督は、モートと同じように、マスターピースはまだ作っていない、と?
そう。傑作はまだ撮れてないんだ。でもぼくはまだ88歳だから、名作を撮るための時間はまだあるんだ。映画愛好家の主人公モートはアレンの分身でもある。本作では『突然炎のごとく』『男と女』『勝手にしやがれ』などヨーロッパの名作映画にオマージュを捧げている。
――監督は、「映画を撮らなければ死んでしまう」とたびたびおっしゃっていますが、監督にとって映画とは何ですか?
いや、映画制作というより、物語を創作する、「書く」ことがぼくには重要。もしも映画を撮ることができなくなったら、映画ではなく、舞台のために書くことができたらいいと思うし、もしそれもできなかったら、本を、小説を書くことだけでもいい。とにかく「書く」ことがぼくにとっては幸せ。書きたいんだ。だから、映画を作るのはあまり好きじゃないのかも。もちろん、映画は好き。ぼくは映画を観て育ったし、映画を楽しみながら生きてきた。そんな中で、たまたま映画を作ることができたことはとてもラッキーだった。でも、それは強制されるようなものではないんだ。舞台の脚本を書いたり、小説を書いたりするのと同じくらい幸せなことだけどね。illustration_Fuyuki Kanai edit_Izumi Karashima外部リンク
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