麻生太郎に罪はなかった!? 「ナチス発言」の裏に潜む、意外な真実とは?

ハピズム / 2013年8月13日 21時0分

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――陰謀社会学研究科家の聖橋乱丸が、日本の政治の裏を暴く!

 以前書いた記事で、安倍首相の悲願である「憲法改正」は、その祖父の岸信介元首相の幽霊が囁いた遺恨であることを紹介した。

 実際に、この内容は永田町で非常に話題になっているのだが、岸首相の意向ということで、抵抗感を強めた勢力があるのをご存じだろうか。

■なぜ、岸信介元首相は「憲法改正」にこだわるのか?

 岸信介元首相は、東京帝国大学でも1位2位を争う秀才であった。その秀才ぶりたるや、戦後の日本を代表する民法学者である我妻栄 法学博士を弁論で凌駕することもあったほどだという。

 東京大学からは学者になるようにすすめられたが、岸はそれを断って官僚になった。それも、当時のエリートが行く内務省ではなく、農商務省に入省し、その後、満州国国務院実業部総務司長に。そして、昭和16年10月に発足した東条英機内閣の商工大臣として入閣、戦時の物資動員のすべてを扱ったのである。

 そのような経歴から、戦後はA級戦犯となって巣鴨拘置所に収監されるが、アメリカの政策である「日本を共産主義に対する防波堤」とする計画がすすめられると、旧体制の保守派の人物の復権がおこなわれた。岸信介も、その中の一員として東条英機ら7名の処刑の翌日、昭和23年12月24日に釈放される。

 しかし、釈放後も公職を追放され、政治の場には出てこられなかった。つまり、現在の日本国憲法は、岸が拘置所に収監または公職を追放されている間に起草・成立されたものであり、旧満州国設立や、東条内閣の“崇高な理念”によるアジア開放を望んでいた岸にとっては、我慢ならないものであった。

 岸信介は、公職追放解除後、「自主憲法制定」「自主軍備拡張」を主張し、一時日本社会党に入党することを画策するが、結局自由党に入党。

 しかし、当時の自由党総裁吉田茂の「対米協調(追従)」「軽武装」路線に反発。すぐに吉田茂によって自由党を除名させられたのである。

 さて、岸信介は、その除名の問題も含め、戦後の日本の軟弱な精神は「吉田茂」がその現況であると考えた。そして、岸が首相になると、自主憲法制定、自主軍備拡張をもとに、自らの内閣を発足させたのである。その心には、「吉田茂への復讐」という意味も含まれていたかもしれない。

 その意思を強く受け、毎夜枕元に祖父である岸の幽霊から「憲法改正をしろ」と囁かれながら寝ている安倍晋三首相にとって、このことは、彼の政治的な基本理念になっている。

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