戦場に残した大量のう●こが致命傷に!? ガダルカナル島、悲劇の舞台裏

ハピズム / 2013年8月19日 20時30分

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 8月、日本人はどうしても終戦や原爆のことを思ってしまう。しかし、太平洋で行われた戦争だけで1368日、つまり4年間行われていたのであるから、8月は少なくとも4回あったのだ。

 その太平洋で行われ、戦いの中で最も激戦を極めたのがガダルカナル島の戦いである。

■そもそも、なぜガダルカナル島で戦ったのか?

 その頃、海軍はアメリカとの長期間の消耗戦を避けたく、陸軍は、アメリカとの戦いよりも、中国における戦線の拡大のほうが重要であり、アメリカとの戦いにあまり陸軍の兵力を出したくはなかった。

 しかし、せっかく占領した南部仏印や南方資源地帯、つまり、現在のインドネシアやベトナムなど東南アジア地区の資源地帯を守るために、オーストラリアの孤立化を図ることは、1つの命題であったのだ。

そのようなことから、昭和17年4月に企画されたのが「米豪遮断作戦」である。この作戦は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)と、ニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略作戦(FS作戦)からなるものであった。
 
 このFS作戦の中で重要となる、前進基地飛行場を作る最適な地とされたのがガダルカナル島なのである。

 その、ガダルカナル島に飛行場の建設を始めたのが4月。そして完成したのが8月5日である。そして、アメリカ軍のガダルカナル島上陸と占領は8月7日。まさに、日本軍は敵軍であるアメリカのために飛行場を建設したかのような形になってしまったのである。

 この1度取られたガダルカナル島の飛行場を奪回するために日本軍は、何度もこのガダルカナル島に対して上陸を決行し、そしてその中で戦っていたのである。

 何度も少数に分けて上陸したために、組織的な犯行ができなかった日本軍は、その作戦や連絡の不徹底などもあって、上陸した総兵力は31,404名。うち撤退できた者は10,652名。それ以前に負傷・後送された者も740名しかいなかったという激戦であった。

 また、この輸送の中で第一次ソロモン海戦や南太平洋海戦など、多くの海戦があり、日本軍の戦艦が初めて沈没するのもこの海域でのことである。

 さて、このガダルカナルの戦いではなぜこんなに日本軍は戦死者を出したのであろうか。

■日本軍が負けた理由はまさかのアレ

 その秘密のカギを握るのは「排泄物」。要するに「うんこ」なのである。

 アメリカ軍は、自分の軍隊の被害を最小限に抑えるため、上陸した日本軍の兵力の規模を調べてから攻撃しようと作戦していた。

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