茨城大ゼミ「宗教と報道」発表の拙さと「オトナの責任」

HARBOR BUSINESS Online / 2019年5月7日 15時31分

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茨城大シンポトークセッション

◆焦点の定まらない研究発表

 昨年、死刑が執行されたこともあり、平成の大事件として改めて関心を集めているオウム真理教事件。一連の事件の1つである地下鉄サリン事件から24年にあたる3月20日に、東京・古石場文化センターで、茨城大学人文社会科学部の村上信夫教授ゼミの学生たちによるシンポジウム「オウム真理教事件とメディア―宗教報道はどうあるべきか―」が開催された。

 しかし学生たちの発表は、オウム事件とメディアの関係を問題のポイントやマスメディアの構造を踏まえない内容となっており、指導教員である村上教授の指導力不足が目立つ結果となった。

 地下鉄サリン事件以降に生まれた学生たちが、事件やメディアの構造について十分な知識を持っていないのは当然のことだ。研究を通して知識や問題意識を学んでもらうことが教育だろう。指導者側の問題として、今回のシンポジウムについて考えてみたい。

 シンポジウムは、前半がゼミ生による研究発表「宗教と報道~オウム真理教事件と同時代記者100人の証言~」、後半がジャーナリスト4人と村上教授によるトークセッション「オウム真理教事件の報道から何を学ぶか」。

 ゼミ生の発表ではまず、1989年にテレビ朝日のワイドショー番組「こんにちは2時」がオウム真理教について報じた際、オウム側からの抗議を受けて後日17分間、オウム側に喋らせる放送を行ったと指摘。この年、坂本弁護士一家殺害事件が起こりオウムの犯行を疑う声もあったことや、90年の衆院選にオウムが候補者を立てたことなどからオウム報道が多く行われたが、その後、地下鉄サリン事件が起こる1995年までオウムについての報道がほとんどなくなったとする統計を示した。

 これに続いて、新聞社・テレビ局・出版社の記者110人への電話や面談でのインタビューとアンケートの結果が報告された。

 たとえば「地下鉄サリン事件が起こったときの印象」との質問に「まさか宗教がテロを起こすとは」との答えが40%といった数値とともに、「まさか宗教団体がテロを起こすなんて思いもしなかった」(キー局政治部記者)、「やはりあいつらがやったかという印象」(ワイドショーリポーター)といった調子で、短いコメントが紹介された。インタビューとアンケートが混在するフィールド調査のように見えるが、記者たちのコメントは短いものばかりで、面談も含めたアンケートによる量的研究を主目的としているようだ。

◆本質を理解しようという姿勢の欠如

 報告されたアンケートの設問は、このほか「オウムを初めて知ったのはいつか」「初めて知ったときの印象」「報道はオウムの暴走を止められたか」「いつからオウムに危険性を感じ始めたか」「危険性を感じたとき追求したか」「追求しなかったのはなぜか」。

 発表は、記者たちの13%が「信教の自由」の存在が報道を萎縮させたと指摘していたとするとともに、当時、オウム真理教信者の青山吉伸弁護士が報道に対して「信教の自由」を根拠として「宗教弾圧だ」とする抗議を繰り返していたことを指摘した。またオウムについて報じた記者の自宅にいたずら電話がかかってくるなど、身の危険を感じて家族を避難させたと語る記者もいたと報告した。

 最後に「提言」として、「予兆、危険性を感じたら、どんなに小さな予兆でも研究していただきたい」「報じることが抑止力になる」「私たち読者も大きく変わる必要がある」「カルトと宗教の違いを学ぶ」「記事やニュースに対して敏感であること」「記事、ニュースに対し、建設的な意見を発信すること」「自分の周囲のそうした兆しを発信すること」とした。

 インタビューやアンケートの結果を機械的に紹介し、耳あたりの良い抽象的な言葉でまとめただけの「感想文」といった印象だ。現象や問題の構造についての理解を深めようとする姿勢が感じられなかった。

 学生のアンケートの設問には「報道はオウムの暴走を止められたか」というものがあった。そもそも報道は宗教団体の行動を止める仕事なのか。社会に向けて問題提起や注意喚起を行うのが報道であって、犯罪の摘発や予防は警察等の行政の仕事ではないのか。報道が警察や裁判所を気取って摘発や懲罰を目指すなら、それは報道の暴走ではないのか。

「報道」の社会的役割を誤解しているのではないかとすら思えた。

◆スルーされた「TBSビデオ問題」

 質疑の際、フロアにいたテレビ朝日の記者から、こんな質問が飛んだ。

「オウムとメディアの問題を考えるとき、一番本質的で深刻なのは、坂本弁護士事件のときのTBSの問題だと思う。いまの発表でその点に全く触れられていなかったのはどういう意図だったのか」

 TBSビデオ問題とは、1989年、オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士へのインタビュー映像をTBS側がオウムに見せてしまい、なおかつそれを放送せず、またオウムに見せたことを坂本弁護士にも伝えずにいたというものだ。その9日後に坂本弁護士一家殺害事件が発生する。TBSの対応が引き金になったのではないか、と批判されている。

 これについては重要なので別記事でまとめたい。

 研究発表でTBSビデオ問題に触れなかった意図について、壇上から学生がこう答えた。

「今回私どもは100人の記者の方にインタビューして、その結果、100人の記者の方がどのように思われているのかというのを中心にとりあげたもの。もちろんTBSのビデオ問題は、あってはいけない。情報源の秘匿を守れなかったということで、すごく深刻な問題ではあるんですが、私たちが今回注目したのは、インタビューの結果導き出した問題点というのを、記者の方たちへのインタビューの内容を重点的に説明したというものです」

 TBSビデオ問題を無視したのではなく、飽くまでもインタビューやアンケートの結果だ、という趣旨だ。

 しかしオウム事件をめぐるメディアの歴史上、最も重要と言えるTBS問題。インタビューやアンケートで110人もの記者の誰一人としてこの問題に言及しなかったのだとしたら、そのこと自体が驚くべき結果だろう。そこに論考を加えない研究発表は確かに不自然だ。

「報じた」「報じなかった」というメディアの表層の問題だけではない。TBSビデオ問題は、メディアと取材対象との関係の作り方の問題であり、それが一連の大事件の経過すら左右した可能性を示している。この点に目を向けるかどうかによって、オウム事件をめぐるメディアのあり方への洞察は大きく変わる。

◆目立った「認識の浅さ」

 質疑の際、学生はTBSの問題を「情報源の秘匿を守れなかった」と語ったが、それも違う。

 報道の原則とされる取材源の秘匿とは通常、「報道した情報について、匿名の情報源を明かさない」ことによって情報源を守るというものだ。しかし坂本弁護士へのインタビューがもし放送されていれば、家族から相談を受け法的手段を準備している弁護士が顔も名前も出さずに登場するなどということはありえない。放送していれば取材源はむしろ秘匿されなかったのだ。

 という前提である以上、たとえばTBSがオウム側に「坂本弁護士はこう言っているが反論はあるか」と尋ねるといった調子で、オウムに対して取材源とインタビュー内容を明かしたとしても何もおかしくない。ビデオを見せたことを坂本弁護士に伝え、また映像をきちんと放送していたならば、だが。

 仮にそうなっていれば、自らが疑われるとわかっている犯行にオウムが踏み切ることはなかったかもしれないし、坂本弁護士も身辺の警戒をより強め事件を防げたかもしれない。

 オウムに対して「情報源を秘匿しなかった」ことが問題なのではなく、社会に対しても坂本弁護士に対しても重大な事実を秘匿したことが問題なのだ。「情報源の秘匿」とは全く別の、報道としての倫理や道義の問題であり、痛恨の失態だ。

 学生たちが報告した設問の中にも、TBSビデオ問題についての言及はなかった。

 フィールド調査前のリサーチをきちんと行い、それを踏まえていれば、設問に組み入れることもできただろうし、そうしなかったとしても110人もの記者がこの問題に触れないことの異常さにも気づけたはずだ。TBSビデオ問題を意図的に避けたのでないなら、事前の調査不足である。

 TBSビデオ問題は当時、大きな騒ぎとなっていた。1996年にTBSは〈特別番組「視聴者の皆様へ」〉〈特別番組「証言」─坂本弁護士テープ問題から6年半〉の計3時間50分もの謝罪と検証の番組を放送している。ビデオに録画している人もおり、現在も決して入手不可能なものではない。TBSによる公式のものではないが全編が2017年にYouTubeにもアップされている。村上ゼミの学生に限らず、誰でも簡単に内容を知ることができる資料だ。

◆組織ジャーナリズムの問題

 今回の学生のインタビューやアンケートの対象となった110人の記者の内訳は、新聞53人、テレビ51人、雑誌6人。つまり大半が組織ジャーナリズムの関係者たちだ。

 TBSによる検証番組の中で、社会部長から「上の決定だからどうしょうもない」と言われたとするTBS司法担当キャップの証言が登場する。個人の良識や判断だけで会社を動かすことはできない。TBSビデオ問題に限らず、組織ジャーナリズムの宿命だ。

 たとえば「自分はオウムを問題視していて取材もしていたが、デスクにボツにされた」「自分は担当しなかったが、自分が所属するメディアでは担当記者がものすごく頑張って健闘していた」といったケースは容易に想定できる。

 しかし学生たちのアンケートの設問では、組織と記者個人とが全く区別されていない。全ての設問と回答が、記者自身を主体とした文脈だ。たとえば「危険性を感じたとき追求したか」の回答は「追求した」「単発でのみ報じた」「報じなかった」。「追求しなかったのはなぜか」の回答は「警察の捜査が及ばなかった」「信教の自由への配慮」「反応が過激だった」「バリューがなかった」「担当外だった」「その他」。

 メディアについて個人と組織を整理して捉える視点が、完全に欠落していた。

 設問でTBSビデオ問題に言及しないまでも、少なくとも事前のリサーチで検証番組を見ていればメディアの構造は理解できたろうし、別の資料からでもそれを知りうるリサーチはできたはずだ。そういった作業全般が欠落していたということだろう。

◆存在しない「宗教の壁」

 発表の中で「宗教法人の壁」というワードが登場した。しかし本来、報道においてそのような壁は存在しない。

 宗教を批判することは表現の自由や報道の自由の範疇であり、「宗教」だからという理由で特別な手心を加えなければならない理由はない。もちろん事実に反する報道や差別などは許されないが、それは相手が宗教でもそれ以外でも平等だ。批判的な報道そのものは「信教の自由」の侵害でも何でもない。

 宗教団体のうち特に宗教法人は、公益法人である。社会的な責任を問われ批判の対象になるのはむしろ当然だ。むしろ宗教法人であればこそ厳しい目を向ける必要があるとすら言える。

 とは言え、批判的な報道をすると、宗教団体側が「信教の自由」を盾に苛烈な抗議をしてくることが、しばしばある。今回の学生たちの発表でも、その点には触れられていた。これゆえに、記者など現場担当者には報じる意思があっても、抗議を恐れる「メディアの上の人」がストップをかける。あるいは、それを忖度して現場が萎縮する。

「宗教法人の壁」のように思えるものは、実際には「抗議を恐れる壁」であり、メディア内部の「組織の壁」だ。記者個人が「報じるべき」と考えることでも、編集部がNOと言えば掲載されない。これには、フリーランサーも無関係ではいられない。

 メディアは記者個人の「自由帳」ではないのだから、当然だ。クレーマー的な取材対象について報道した際、クレーム対応によって強いられる社としてのコストも意識せざるを得ない。それは「経営者」や「管理職」の視点であり、人事評価や出世、部署間の力関係など組織内政治も関連してくる場合すらある。そこに改善の余地や課題はあるにせよ、記者個人の意見を云々することでどうなるものでもない。

◆水に落ちた犬しか打てない

 学生の発表では、「宗教法人の壁」が作られた原因のひとつとして、1980年の「イエスの方舟」騒動におけるメディアの過剰報道が批判されたことがメディアを萎縮させていたとも指摘された。しかし実際にはイエスの方舟騒動以降、そしてオウム事件以前も以後もメディアはしばしば平気で、学生たちが言う「宗教法人の壁」を乗り越えてきた。

 1991年には宗教法人化直後の幸福の科学が、批判的な記事を掲載した『フライデー』に抗議して、発行元の講談社に対してデモをかけ、社屋に乗り込んでハンドマイクでがなりたて、全国の信者を動員して講談社への抗議の電話やFAXを殺到させ、訴訟を乱発した。いわゆる「フライデー事件」だ。講談社前での抗議活動や大量のFAXは「画になる」という判断もあっただろう。当時、ワイドショーなどはこれをおもしろおかしく取り上げた。

 テレビ朝日「こんにちは2時」がオウムの言い分を17分間流させたり、TBS「3時にあいましょう」がオウム幹部に坂本弁護士インタビューの映像を見せた上で放送しなかったりしたのが1989年。それから2年後のことだ。

 しかも「フライデー事件」を面白おかしく報道したワイドショーの中には、TBS「情熱ワイド!ブロードキャスター」もあった。89年にメディアが屈した相手がオウムではなく「宗教法人」全般なのであれば、屈した側がテレビ朝日やTBSの個別の番組ではなく「メディア」そのものなのであれば、こんな放送が行われるはずがない。

 1991年当時は、幸福の科学の行事の様子や教祖・大川隆法総裁の講演時の奇抜なコスチュームの映像を流すワイドショーもあった。フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」のスタジオでは、大川総裁について「裸の王様みたい」と言い放つコメンテーターまでいた。

 1992年、歌手・桜田淳子や元新体操選手・山崎浩子が合同件古式に参加したために騒ぎになった「統一教会」(現=世界平和統一家庭連合)関連の報道では、霊感商法の問題や、正体を隠した偽装勧誘等、様々な問題も報じられた。一般の人々が統一教会の問題を知る大きな機会になったばかりか、「洗脳」「マインド・コントロール」という言葉が広まるきっかけにもなった。

 地下鉄サリン事件以降では、1999年以降に教祖含め幹部らが詐欺容疑で逮捕された「法の華三法行」(現=第3救済慈喜徳会)についても、同じ1999年に「千葉成田ミイラ事件」を起こし教祖が殺人罪に問われた「ライフスペース」(現=SPGF)についても、メディアは逮捕前から繰り返し時間を割いて報じた。2003年には、千乃正法会(パナウェーブ研究所)による白装束騒動が発生。テレビも含めて多くのメディアが、車で移動する白装束集団のキャラバンを追い回した。

 2006年には、当時、教祖・鄭明析が韓国の女性信者への強姦容疑で国際手配されていた「摂理」(現=キリスト教福音宣教会)について、日本でも大学生に対する勧誘が行われていることなどを複数のメディアが問題して報じた。2008年に経済産業省が業務停止命令を出した宗教法人「幸運之光」の「高島易断」を名乗る霊感商法、2011年に関係者が逮捕された「神世界」(有限会社)の詐欺事件も、メディアは報じた。

 いいか悪いかは個別の報道ごとに評価すべきだが、いずれにせよ、ある条件を満たせば「宗教法人の壁」どころか「抗議を恐れる組織の壁」も機能せず、「やっちまえ!」という空気ができあがる。その条件とは、複数のマスコミが取り上げたもの(あるいはそうなることが予想できるもの)だ。前述の事例からわかるように、具体的には、すでに刑事事件化したもの、見るからに派手で奇異なもの、芸能人など著名人が関わる話題などだ。

 一方、「フライデー事件」であれほどメディアに騒がれた幸福の科学については、2017年の女優・清水富美加出家騒動の際、ワイドショーですら幸福の科学の異常さや奇抜さが取り沙汰されるケースはほとんどなかった。「フライイデー事件」を経てクレーマー集団ぶりを世に知らしめた幸福の科学に対しては、メディアの前に「宗教の壁」であるかのような幻影ができていたのだ。

 今年1月に麻疹の集団感染が発覚した医療否定宗教団体「救世神教」については、教団の同意を得られなかったとして行政が当初教団名を公表しなかった。メディアもこれに追随。教団自身が「カミングアウト」して謝罪するまで、一般の人々に集団感染の発生源や根本的な原因が伝えられなかった。

 同教団は、「予防接種を受けるように関係者に周知徹底するように」とする県からの指導に反して、ワクチンを含めて医療を否定する教義をまとめた冊子を現在も教団施設内の売店で販売し続けている。こうした実態は、地元メディアですら報じていない。

 水に落ちる前の犬には尻尾を振り、犬が水に落ちた犬だけを打つ。水に落ちてもまだ噛みついてこようとする犬や這い上がってくる犬には手を出さない。これがメディアの「宗教事件」報道であり、結果的に弱い者いじめと変わらない構図になっている。

◆「宗教法人の壁」という欺瞞

 現にオウム真理教についても、国家権力による摘発が行われて以降は堰を切ったように大量の報道がなされた。それまでメディアに吠え掛かり噛みついてきていたオウム真理教という「犬」が「水に落ちた」からだ。

 そもそも「いわゆるマスコミ」、いや世間そのものがそういうものであり、相手が宗教、政治家、芸能人、有名企業や経営者等、何であれ違いはないのかもしれない。だとすればなおのこと、宗教だけが特別であるかのような「宗教法人の壁」という見方は、メディアの体質や課題を誤魔化す欺瞞である。

 メディアを組織として捉え、オウム事件以外の宗教的集団にかんする報道の事例を具体的に検証すれば、「宗教法人の壁」の正体は自ずと見えてくる。たとえ筆者と同じ見解にならないにしても、少なくともその欺瞞的なキーワードに対して何かしらの考察を加えることができたはずだ。

 前述のTBSビデオ問題における検証番組では、坂本弁護士のインタビュー映像も放送された。その中で坂本弁護士は、「信教の自由はあるが、社会の中で活動している以上は社会的なルールがある」という趣旨の発言をしている。坂本弁護士の事務所を訪れた教団幹部が「私達には信教の自由があるんです」と口走ったことに対して、坂本弁護士は「人を不幸にする信教の自由は許されない」と返した。このやりとりも、検証番組の中で坂本弁護士の事務所職員の証言として紹介されている。

 表現は違うが、坂本弁護士の問題意識もまた、社会のルールの前に「宗教の壁」などないというものだ。村上ゼミの学生たちには、この検証番組に含まれている坂本弁護士のメッセージの意味をよく考えてほしい。

◆「宗教ブーム」への誤解

 村上ゼミの発表は、報道だけではなく宗教についてもリサーチが不足していた。

「80年代後半から始まる新宗教・新新宗教ブームの中で、多数の宗教法人が設立されていたこと。そうした人気が、ある種の壁、タブーを作っていたのです」(村上ゼミの学生発表)

 確かにオウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立された80年代近辺は「宗教ブーム」だったと言われる。一般的に、この「宗教ブーム」を「宗教法人設立ブーム」だと勘違いしている人は少なくないのかもしれないが、実際は全く違う。

 そもそも「宗教法人」と「宗教団体」や「宗教的集団」は違う。宗教法人とは、飽くまでも宗教法人という種類の法人格を持っている宗教団体だ。それ以外に株式会社や有限会社という形態で宗教的な活動をする団体もあるし、そもそも法人格すら持たない任意団体としての宗教的集団も存在する。オウム真理教も含め「宗教法人」ですら、法人格を得る前からそれ以外の形態で活動した上で宗教法人となっている。

 2015年『宗教関連統計に関する資料集』(文化庁文化部宗務課)には、こう記載されている。

〈宗教法人の総数は,昭和29年(1954年)に約19.7万法人に急増しているが,その時期以外は変化が少なく,昭和30年(1955年)以降はなだらかに増加し,近年は平成6年(1994年)の約18.4万法人をピークに僅かながら減少傾向となっている〉

 戦後の新憲法で、信教の自由や結社の自由その他様々な自由や人権が保障され、昭和26年(1951年)に宗教法人法が制定された。しかしこうした背景での宗教法人の急増は瞬間風速的なものに過ぎず、戦後から約10年が過ぎて以降、宗教法人総数に大きな変化はない。昭和48年(1975年)にちょっとしたピークがあるが、以降はこれより少ない数で推移している。

「有名な宗教団体」だけを抽出してみても、この傾向は変わらない。良くも悪くも80~90年代に注目されていた主な宗教法人設立年や、それ以降も含めて事件や騒ぎを起こすなどして注目された宗教法人以外の宗教「的」集団の設立年を一覧にしてみた。

創価学会(1952年、昭和27年)

ものみの塔聖書冊子協会(1953年=昭和28年)

真如苑(1953年=昭和28年)

ヤマギシ会(非宗教法人、1953年=昭和28年)

浄土真宗親鸞会(1958年=昭和33年)

世界真光文明教団(1963年=昭和38年)

世界基督教統一神霊協会=現・世界平和統一家庭連合(1964年=昭和39年)

GLA(1973年=昭和48年)

千乃正法会(非宗教法人、1977年=昭和52年)

阿含宗(1978年=昭和53年)

顕正会(1978年=昭和53年)

ライフスペース(非宗教法人、1983年=昭和58年)

摂理=現・キリスト教福音宣教会(非宗教法人、1985年=昭和60年)

法の華三法行=現・第3救済慈喜徳会(1987年=昭和62年)

オウム真理教=現・アレフ、ひかりの輪ほか(1989年=平成元年)

幸福の科学(1991年=平成3年)

レムリアアイランドレコード=後のホームオブハート(非宗教法人、1993年=平成5年)

神世界(非宗教法人、2000年=平成12年)

ワールドメイト(2012年=平成24年)

 今回の学生たちの発表で「宗教ブーム」とされた「80年代後半以降」設立の「宗教法人」は、法の華三法行、オウム真理教、幸福の科学、ワールドメイトの4団体だけだ。

 この時期に「宗教法人設立ブーム」など存在していない。

◆公表資料を見て検証していたのか?

「宗教ブーム」は、各教団の活動が活発になったり、何かしらの事件や騒動を起こしたり、批判を浴びたりすることで、「宗教が目立つようになった」「関心を持つ人が増えた(ように見える)」という現象だ。それをメディアが報じたり宗教団体自身がメディアに広告を出したりすることで、さらに人目につくようになった。

 オウム真理教については、教団を好意的に評する山折哲雄氏、中沢新一氏、島田裕巳氏のような宗教学者まで現れた。それを一般の人々の目に触れるようにしたのもまたメディアである。

 「宗教ブーム」には当然、宗教研究者も注目しており、「新宗教」「新新宗教」をテーマとした比較的初心者向けの書籍等でも関連する知識を得ることができる。Googleで「新新宗教 ブーム」というワードで検索してみると、書籍を買わずとも読める論文が2番目にヒットする。

 元國學院大學教授で現在「宗教情報リサーチセンター」所長を務める宗教研究者、井上順孝氏による1997年の論考『〈新新宗教〉概念の学術的有効性について』だ。主に現・上智大学の島薗進氏への批判という形で、新たな宗教の台頭という現象をどう捉えるべきか論じられている。

 専門的で、決して易しい内容ではないかもしれない。しかし少なくとも、意見が異なる宗教研究者同士の論争において誰も宗教ブームを「宗教法人設立ブーム」と捉えていないことが素人目にもわかる内容だ。

 前述の宗教法人数の推移に関する『宗教関連統計に関する資料集』も、文化庁のウェブサイトで公開されている。TBSビデオ問題の検証番組がYouTubeにもアップされていることも合わせて考えれば、村上ゼミの発表は、「ググる」だけでわかることすらリサーチできていなかったということだ。彼らがこうした資料を見ていなかったかどうかは、わからない。少なくとも活用された形跡がない発表だった。

◆先行研究をないがしろ

 もちろん、書籍や論文といったネット以外の資料も多い。

 たとえば、『情報時代のオウム真理教』(井上順孝責任編集、宗教情報リサーチセンター編)、『〈オウム真理教〉を検証する そのウチとソトの境界線』(同)など、書籍化されているものだけでも、複数の宗教研究者がオウム真理教とメディアの関係に言及している。

 宗教情報リサーチセンターは、宗教に関する報道をデータベース化しており、宗教と報道の関係そのものを扱っている研究機関だ。

 報道サイドからの文献もある。オウム事件関連の報道についてのまとめや検証を主旨とするものだけでも、『オウム真理教とムラの論理』(熊本日日新聞社)、『「オウム」報道全記録 1989~1995』(毎日新聞社)、『裁かれる教祖』(共同通信社社会部)、『オウム事件取材全行動』(毎日新聞社会部)など。

 今回のシンポジウムで登壇した江川紹子氏も『「オウム真理教」追跡2200日』の中で、事件の経過を記す中で、当時のメディアの実情に言及している。書籍以外でも、新聞各紙を検索すれば、オウム事件と報道のあり方について検証するオピニオン記事等も出てくる。

「宗教と報道」は、今回のゼミの学生たちが世界で初めて挑戦する画期的テーマではない。にもかかわらず、先行研究も、ネットで検索するだけでもわかる資料も、全く踏まえられていない内容の発表だった。

 直接の原因は学生の知識不足、勉強不足なのだろうが、知識不足を補うための研究の方法論が間違っているという点で、学生より指導者である村上教授の問題だろう。学生たちはせっかく110人ものメディア関係者にインタビューするという大変な作業をしたのに、これでは得るものがなさすぎる。

◆学生不在、セッションしないトークセッション

 指導者の力不足は、後半のトークセッションにもよく表れていた。

 後半は、ジャーナリスト・江川紹子氏、映画監督・森達也氏、静岡第一テレビ常務・三沢明彦氏、テレビ朝日記者・清田浩司氏、ゼミの指導教員である放送作家の村上信夫教授の5人によるトーク。司会は、元テレビ朝日で現在はフリーアナウンサーの吉澤一彦氏だ。

 もともと筆者の目当ては、このトークセッションだった。江川氏と森氏の「直接対決」という、非常に珍しい機会だったからだ。

「ジャーナリスト同士が火花を散らすオウム事件「真相」論争の行方」で書いた通り、江川氏と森氏はつい半年ほど前にも、記事で双方が互いを批判しあったばかり。直接面と向かっての舌戦が繰り広げられるかもしれないとなれば、見に行かない手はない。

 関係者によると、どうも主催者側の手違いから、森氏の出演が江川氏サイドに知らされないまま「実現」してしまったようだ。主催者が2人の関係や論戦を認識していれば、起こり得なかったミスだろう。

 しかし直接対決は完全な「不発」に終わった。司会者と登壇者の会話のみで、登壇者同士が一切会話をしないという形式で進められたのだ。

 途中、江川氏がこう発言する場面があった。

「メディアがカルトの片棒を担がない。共犯者にならないということがだいじ。一部の識者ですね。専門家と言われる人たちも、オウムを礼賛し利用されていた。あるいは、サブカルチャーのひとつみたいな扱われ方もした。そういう形で持ち上げた、宣伝した。あるいは人権問題への関心とかマイノリティへの共感としてオウムにすり寄って利用された人もいる。カルトの問題点をちゃんと知って、自分たちがこういうことを発表したら、どういう影響が出るのかという想像力をもう少し働かせる必要があった」

 半年前の論戦を知る者が聞けば、麻原彰晃の三女・松本麗華氏(アーチャリー)の意を汲んで雨宮処凛氏や香山リカ氏が呼びかけ、森達也氏や宮台真司氏らを巻き込んで結成された「オウム事件真相究明の会」への批判も意識した物言いに聞こえる。しかし司会の吉澤氏は江川氏の発言を、こうまとめた。

「確かに、17分間の放送ということで、(1989年の)『こんにちは2時』、そしてプロデュサー、これはやはり村上さん、(その背景は)わからなかったんですか」

『こんにちは2時』での、オウムによる17分間の反論放送の話にすり替えてスルーしてしまったのだ。江川氏はそんな話はしていない。

 司会者のこうした「配慮」によって、トークセッションは悪い意味で事なきを得た。そんなことなら、はじめからこの2人を並べなければいいのに。

 そして前半で発表した学生たちはフロアに座ったまま。1人だけ、最後まで壇上の司会者の隣に立たされていた学生がいたが、トークセッション中の発言はゼロだった。せっかく知名度や実績のあるジャーナリストたちが壇上に並んでいるのだから、本来ならまたとない対話の機会だったはずだが。

 何を目指して何について語られているのかが最後までつかみにくいイベントだった。フロアの一般席では、退屈したのか、途中で退席していく人の姿もちらほら見られた。

 このイベントの全体の構成を端的にまとめるなら、「110人もの人にインタビューして頑張った学生たちの発表」を肴に「有名人がコメント」して「司会者がトンチンカンなまとめで締めくくる」。まったくもって、ワイドショーの作りそのものだ。

 学生たちもジャーナリストたちも、この無意味で軽薄な「放送時間」を埋める道具にされていたようにしか見えない。

◆必要なのは学ぶ姿勢と手段

 前述の通り、事前のリサーチ不足や設問の不備は、学生たちの知識不足よりも、研究の方法論を指導できなかった村上教授の問題だろう。

 今回のゼミ発表は院生等ではなく学部の3年生が中心。まだまだ研究のイロハを学んでいる最中の立場だ。ましてや宗教を専門とするゼミではない。宗教についての知識不足を責めるのは酷だろう。

 こうした場面では、研究の過程そのものが、知識や問題意識を身につけていくための教育だ。そこで学生にヒントや方法論を示すのが教育者の役割。フィールド調査前のリサーチも、フィールド調査も、人前での研究発表も、実績のあるジャーナリストを招くトークセッションも、それによって学生たちが何かを学べるような形に指導者が努力すべきだった。その努力の形跡が見られない。

 メディアをテーマとしたゼミなのだから、学生たちには、メディアについてはもう少し知識や洞察力があっていいのではないかとは感じる。しかしそれもまた、日頃の教授の指導の結果なのだろう。

 近年、オウム事件に関連するドキュメンタリー映像を制作するなど、大学生がオウム事件やカルト問題に関心を持って研究や創作活動を行うケースを目にする。今年3月16日に開催された「地下鉄サリン事件から24年の集い」でも、学生の姿が目立った。

 これは素晴らしいことだと思う。たとえばオウム真理教一派「ひかりの輪」の上祐史浩代表などにインタビューし安易にその主張を垂れ流すなどの実害のある行動でない限り、知識不足でも論考が拙くても、興味を持ったなら臆することなく挑戦すべきだ。それを支援すべき立場にあるオトナとして、学生の知識不足を責めたくない。

 30年以上前からの膨大な情報が蓄積されているオウム問題は、事件について報道などで見知っているオトナすら、ゼロから全体像を理解することは容易ではない。知識ありきで評価してしまっては、学生は何もできなくなってしまう。それでは、オウム事件の教訓を後に引き継いでいくことができない。

 だからこそ、知識を得るための方法やヒントを、オウム事件を知る世代である指導者側が示す必要がある。今回、村上教授はゼミ生に対して、それをできていなかった。

 〈「地下鉄サリン事件から24年の集い」で語られた警察とメディアの問題〉で書いたとおり、サリン被害者や家族にとって「事件の風化」などというものはない。一方で、記憶や歴史として捉える第三者にとっては、抗わなければ「風化」は起こるし、すでに起こっている。

 風化させるのは若者ではない。若者に学ぶ方法を示すことなく適当に片付けさせてしまうオトナたちだ。地下鉄サリン事件の実行犯だった林泰男・元死刑囚(昨年7月に執行)の判決文の一節に、こんな言葉がある。

「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」

 大学での勉強は、殺人とは違う。師を誤っても後から埋め合わせはいくらでもできる。村上ゼミの学生たちには、いまからでもいいから参考情報に触れ、自分たちの研究に何が足りなかったのかを学んでほしい。オウム事件に限らず、教育や学問のあるべき姿を知ることにもつながるはずだ。

 適当に片付けてしまうオトナのもとで適当なまま終わらせないでほしい。

<取材・文・写真/藤倉善郎(やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:@daily_cult3>

ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

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