政治にも影響する「宗教団体」。その実力は?<小川寛大vs菅野完 対談>

HARBOR BUSINESS Online / 2019年5月24日 15時31分

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令和初日、御朱印を求める人が殺到した明治神宮 photo by Masa / PIXTA(ピクスタ)

 神社本庁や日本会議、創価学会、幸福の科学など、宗教団体が話題になることが増えている。彼らは政治に大きな影響を与えていると言われているが、その実力はどれほどか。そもそも宗教はどのような役割を果たすべきなのか。

 保守系オピニオン誌『月刊日本 6月号』に掲載された、『宗教問題』編集長の小川寛大氏と、『日本会議の研究』(扶桑社)の著者である菅野完氏の対談を紹介したい。

◆神社本庁は安倍政権を操っているか

小川寛大氏(以下、小川):令和初日、明治神宮に御朱印を求める人たちが殺到し、10時間待ちの行列ができたと報道されています。神社には人々を惹きつける力があるということに、改めて気づかされました。

 今回のように日本人が神社に寄せる思いを「政治力」に変えようと活動してきたのが神社本庁です。『神社本庁とは何か』(ケイアンドケイプレス)の中に詳しく書きましたが、神社本庁とは日本全国にある約8万の神社が加盟する統括組織で、いわば神社の家元です。1946年に設立され、以来70年以上にわたって活動を続けてきました。

 こう言うと、神社本庁が巨大な力を持っているように見えるかもしれませんが、そうではありません。

 たとえば、神社本庁の関連団体に神道政治連盟という組織があります。彼らは神社本庁の事実上の政治部門です。神道政治連盟は参院選で全国比例区から出馬する候補者に推薦を出していますが、彼らの集める票数は20万ほどで幸福実現党にも及びません。神社本庁の過去の取り組みを見ても、彼らがやろうとしてきたことには失敗も多い。

 明治神宮に御朱印を求めて集まった人たちにしても、政治的な考えで集まっている人は1割以下でしょう。神社本庁は政治的にはあまり成果を出せていないというのが実際のところです。

菅野完氏(以下、菅野):小川さんがご著書の中で神社本庁の力はそれほど大きくないと書かれていたように、僕も『日本会議の研究』の中で、組織の力・数の力という意味においては、日本会議の力はそれほど大きくないという点を強調しました。

 神社本庁や日本会議に幻想を抱く人が多いのは、30年前の創価学会のイメージと重ねているからだと思います。神道政治連盟自身、自分たちは創価学会と同じことができると思い込んでいます。

 しかし、当時の創価学会は卓絶した存在であり、他の組織が真似できるものではありません。現在の創価学会にしても、30年前と同じことはできません。ましてや創価学会の100分の1程度の力しかない神道政治連盟に、そんなことは不可能です。

小川:もともと神道には確たる教義も教祖もなく、「これこそが神道的な政治思想だ」と言い切れるものもない。神社本庁の幹部たちに、たとえば「神道の教えの中に『改憲しろ』とでも書いてあるのか」と尋ねても、明確な答えは返ってこないと思います。

 はっきり言ってしまえば近代以降、神社界はその時々の流れに乗ってきただけです。戦前の場合は国家を強くしようという時流に乗り、戦後の場合は自民党に乗りました。それはいまも変わっていません。そういう意味では、一部で言われているような、神社本庁が安倍総理を操っているといった事実はありません。

菅野:そう思います。世の中は複雑であって、ブランデーを片手にシャム猫を抱きながら、「安倍君に電話しといたから」などという黒幕はいません。そうした幻想は捨てるべきです。

◆スピリチュアルムーブメントの拡大

菅野:明治神宮に御朱印を求める行列ができるといったことは、前回の改元のときには起こっていません。最近では改元に限らず、神社は「パワースポット」として多くの参拝客を集めています。こうした状況を受けて、日本の右傾化が進んでいるとする見方もありますが、これは右傾化というよりも「自己啓発化」、あるいはスピリチュアルムーブメントと言ったほうがいいと思います。そしてスピリチュアルなものが社会に横溢することのほうが、実は、右傾化よりも社会としては厄介だったりします。

 スピリチュアルムーブメントは自然食ブームや断捨離など、自分自身をピュアにしようとする運動です。神社で御朱印をもらって自分が綺麗になったと思うのは、まさにスピリチュアルです。

 スピリチュアルが流行るときはたいてい不景気のときです。初期の生長の家にはスピリチュアルムーブメントとしての側面が強かったのですが、生長の家の創始者・谷口雅春の主著『生命の實相』が広く読まれたのは、昭和恐慌の真っただ中でした。

小川:神社のパワースポット化については、神社本庁の幹部たちは必ずしも肯定的ではありません。ただ、特に深い考えや確固たる信念があるのではなく、単に年配だからパワースポットというものがよくわからないだけだとは思うのですが。

菅野:神社本庁の側は最近のスピリチュアルブームをうまくつかみきれていませんね。

小川:宗教がスピリチュアルムーブメントをうまくつかめないのは、個人主義が強くなっていることとも関係していると思います。

 たとえば新興宗教でも、一昔前のオウム真理教などは、指導者のもとで厳しい修行をして俗世を断つといったように、悟りを得るためのシステムやカリキュラムがありました。しかし、いま流行しているものは、それとは違ってかなり「ゆるい」ものです。せいぜい小規模なセミナーに参加するくらいで、一人でやろうと思えばできるものばかりです。キーワードは「個人でお手軽にできる」です。

 これは日本だけに限った話ではありません。ヨーロッパではイスラム教が影響力を拡大していますが、イスラム教には聖職者はおらず、お寺の檀家のように所属先もありません。二人のムスリムの前で信仰告白をすればすぐイスラム教徒になれますし、旅先でムスリムに会えば、大した証明もなく受け入れてもらえます。最近ではコーランもスマホで読む人が多くなった。

 日本ではイスラム教はテロのイメージと結びつけられているため、狂信的な宗教と思われがちですが、意外とゆるい側面があるのです。日本でイスラム教が流行るかどうかはわかりませんが、ミャンマーやスリランカ、インドなど、アジアでも勢力を拡大していることは事実です。

◆創価学会の凋落

小川:最近では宗教が力を失っていると言われることが多くなっています。しかし、現在の状況を踏まえると、宗教というよりも宗教団体が力を失っていると見たほうが正確だと思います。どの宗教団体も、信者に新聞や雑誌を買わせたり、選挙に動員したりする組織力がなくなっています。

 典型的なのが創価学会です。私は先日大阪に取材に行きましたが、関西では創価学会は「常勝関西」と呼ばれ、民主党への政権交代など例外はあるものの、基本的には選挙に勝ち続けてきました。

 関西の創価学会には西口良三氏というドンがいて、池田大作氏を凌ぐほどではありませんが、大きな力を持っていました。そのため、関西の創価学会はほとんど治外法権に近い状態だったのです。

菅野:『新・人間革命』でも西口氏は池田氏の盟友のように扱われています。

小川:しかしここ10年、大阪を牛耳ってきたのは創価学会ではなく維新の会です。彼らは大阪で強い勢力を維持し、良くも悪しくも大阪をかき乱してきました。これに対して、創価学会は維新の会と喧嘩せず、大阪の公明党は事実上、維新の会と連立を組んでいました。

 とはいえ、関西の創価学会の中には「いつまで松井一郎にペコペコするのか」といったマグマが溜まっていました。それが爆発したのが大阪ダブル選挙です。関西の創価学会は「維新の会と戦っても俺たちは負けない」と主戦論を唱えたため、創価学会会長の原田稔氏は関西の言う通りにやらせるしかないとして、これに同調せざるをえなくなったのです。同調というよりも、さじを投げたと言ったほうがいいかもしれません。

菅野:大阪ダブル選挙の対応をめぐる会議を行った際、学会幹部が途中で会議の場から姿を消したとも言われていますね。

小川:ところが結果は公明党のボロ負けでした。創価学会の活動家たちはみな年をとっており、かつてのような働きができなくなっています。創価学会の若い2世や3世は池田大作氏を見たこともないですし、熱心に活動しているのはごくわずかです。冷静に考えてみれば当たり前の話なのですが、組織の中にいるとこうした現実が見えなくなるのかもしれません。

菅野:それは大阪だけでなく沖縄にも言えます。私は沖縄3区の補選を取材したのですが、この選挙には自民党や公明党の支援する島尻安伊子氏と、野党の支援する屋良朝博氏が出馬しました。しかし、屋良陣営には創価学会員たちも応援にかけつけ、屋良氏の当選が発表されたときには事務所の後ろで創価学会の三色旗がはためいていました。

 かつてであれば、この学会員はすぐに査問にかけられたと思います。しかし、いまの創価学会にはもはやその力がないのでしょう。

小川:結局のところ、創価学会は池田大作氏の「ファンクラブ」にすぎないのです。もちろんキリスト教であれイスラム教であれ、いかなる宗教も立ち上げのときは教祖のファンクラブです。しかしその後、教学の理論が組み立てられ、2代目、3代目へと継承されていきました。創価学会は最近、この継承がうまくいかなくなってきた。創価学会でさえ成功していないのだから、他の新興宗教にはとても無理でしょう。

◆宗教界は大量死時代に対応できるか

菅野:今後、宗教界を待ち受けている大きな問題は、大量死時代の到来です。あと5年もすれば、団塊の世代が次々に亡くなっていきます。これまでの年間死亡者数とは桁違いの死者が出る時代がもう目前まで迫っている。

 団塊の世代自身は自分の親から自分の家のご宗旨などを教わっているでしょう。しかし、彼ら自身は学生運動をやりながらギターを弾いていたような人たちです。自分の子ども、つまりいまの団塊ジュニア世代に、家の宗旨を教えているとは思えません。自分の親をどのように弔えばよいのか知らない人が増えているはずです。

 そもそも団塊ジュニアたちは、バブル崩壊後の就職氷河期に直面し、いまでも貧困に喘いでいます。親の介護や葬式に出せるお金はありません。核家族化も進んでいるため、団塊の世代からは孤独死もたくさん出るでしょう。

 古今東西、人類は太古の昔からそれぞれの形で死者を弔ってきました。しかし、私たちはいま、それができなくなる時代を迎えようとしているのです。そうなったとき社会はどうなるのか。僕は社会の中にとてつもない喪失感が生まれるのではないかと心配しています。

小川:大量死時代には葬儀のありかたが重要になりますが、創価学会などの一部例外を除き、そもそも立正佼成会や真如苑などの一般的な新宗教は葬儀を行わないという問題もあります。

 これにはいろんな説があるのですが、一つは、葬儀をすると伝統仏教との軋轢が強まるため、しないことにしたとするものです。もう一つ言われているのは、新宗教は伝統仏教を「葬式仏教」と馬鹿にし、自分たちは生きる人の宗教だと規定したとする説です。

 私は東日本大震災の後に東北で真如苑を取材したのですが、そのとき彼らから、「親族を失った人たちに泣きながら死者を弔ってくれと言われたが、真如苑では葬式を行わないので何もできなかった」という話を聞きました。大量死時代にも同じことが起こる恐れがあります。

菅野:宗教は遺族の嘆きに寄り添う、いわゆるグリーフケアをやってきたわけですが、日本社会からグリーフケアのできる人がいなくなっているということです。

小川:神社本庁は政治的なことにばかり頭をつっこみ、安倍政権と一緒に憲法改正を行うなどと言っていますが、まっとうな関係者たちはみな現在の状況に頭を悩ましています。「神道とはどういう宗教なのか」という掘り下げが蔑ろにされているきらいさえあります。

 もし大量死時代の中で救いを示せなければ、宗教団体はさらに信用を失います。それは宗教団体を瓦解・崩壊させる決定打になるかもしれません。それほど日本の宗教団体は危機的状況に追い込まれているのです。

 (構成 中村友哉)

小川寛大●1979年、熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。宗教業界紙『中外日報』記者を経て、宗教ジャーナリストとして独立。2014年、宗教専門誌『宗教問題』編集委員、15年、同誌編集長に就任

菅野完●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)著者。現在、メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(https://sugano.shop)刊行中

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