「わがまま」を言ってはダメですか? 「ふつう幻想」渦巻く生きづらい時代の道標

HARBOR BUSINESS Online / 2019年8月10日 15時31分

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 現代社会は「生きづらい」と、よく耳にする。一定水準の治安は保たれ、物は多く、情報にも簡単にリーチできるこの世の中で、多くの人が感じる「生きづらさ」とは何なのか。それを具体的に言語化するのは、なかなか難しい。どうして私たちは「生きづらさ」を感じるのか。孤独を感じるのか。それを紐解き、「声をあげること」に対して日本人が抱えるハードルの高さを、易しく噛み砕いて教えてくれる。それが、富永京子氏の著書『みんなの「わがまま」入門』だ。

 本書は、社会運動論を研究する立命館大学産業社会学部准教授・富永京子氏が、中高生向けに講演した内容を元に執筆したものだ。「社会運動」と聞いて「うっ」と抵抗感を覚えるひとも、社会運動なんてウザいものだ、と思うひとも、怖くて声をあげられないひとも、何とも思わないひとにも、皆に優しく寄り添ってくれる。

Contents1 毎日の「我慢」を無視しないで2 「ふつう」という概念はもう存在しない3 高度成長期と今のフェミニズム運動は違う4 「今」「すぐに」解決しなくても、意味はある

◆毎日の「我慢」を無視しないで

 思えば、日常生活の中で、私たちは様々な「我慢」をして生きている。私が感じる「我慢」だけでも、たくさんある。なぜ満員電車に乗らなければならないのか。なぜ東京の家賃はこんなにも高いのか。なぜ結婚したら苗字を変えなければならないのか。でも敢えてそれらを、声高に叫ぼうとはしない。「仕方ないだろう」「そういうものだ」「ルールなのだから」という声が、聞こえてきそうだからだ。しかし、こうした「我慢」をそれぞれが抱え暮らしていくことは、果たして幸せなのだろうか。

 著者・富永氏は、我慢せずに言いたいことを言い行動する人に対して「あいつはわがままだ」「ずるい」と捉える感情は、「みんな一緒、平等であるべきだという考えが元になって」いると考える。しかし、実際は「平等」や「みんな一緒」などという現実は存在せず、皆が勝手に思い込んでいる「ふつう」(富永氏は「ふつう幻想」と呼ぶ)という感覚を持っているからこそ、「あいつはわがままだ」という感想を抱いてしまうらしい。

◆「ふつう」という概念はもう存在しない

 高度経済成長期を経て、「国民のだれもが『中』くらいの生活をしているという、一億総中流の意識が形成された」ことから、「ふつう」の概念が生まれたと、富永氏は説く。しかしグローバル化によって、その「ふつう」の概念は消えていった。「現代は、たとえ継続的に時間と空間を他人と共有していたとしても、価値観を共有することまでは不可能な時代なのです」。

 個人がそれぞれに抱く価値観を、いまだに残る「ふつう」という概念に無理やり沿わせて生きている。それが「生きづらさ」の正体なのではないだろうか。

◆高度成長期と今のフェミニズム運動は違う

 私が特に興味深く感じたのは、高度経済成長期のフェミニズム運動と現代のフェミニズム運動は全く異なるということだ。ひとつのカテゴリーとして女性を捉え、「『女性はこういう苦しみを抱えているもの』と多くの人に想像がつきやすかったから、今ほど『わがまま』とは思われなかった」のが、かつてのフェミニズム運動だった。しかし現代では、女性が共有できる価値観は存在しにくくなり、セクシャルハラスメントに対する「#MeToo」や、職場でのパンプス・ヒール着用強制に対する「#KuToo」などの運動に対しても、女性の中でも様々な意見が存在する。

 カテゴリーで括るだけでは、それぞれの利益・不利益を共通化することができない。そんな現代の社会運動の特徴について、富永氏はこう考える。「それぞれにみんな違うなかで、異なる苦しみを抱えていて、共通する『根っこ』を探していくような活動」であり、「それぞれに経験を話すことで、他の人への橋をかけていく。そうすると、違う問題のはずなんだけれど、ちょっとずつ同じ根っこが見えてくる」と。

◆「今」「すぐに」解決しなくても、意味はある

 本書では、社会運動(というほど大げさなものでなくて良いのだけれど)に対して感じる「鬱陶しい」「意味がない」「そこまでする労力がない」「論破されるのが怖い」などのハードルの超え方を、軽やかに教えてくれる。

 本書によると、安価な商品を多く販売する化粧品メーカー「ちふれ」は、高額な化粧品に対する社会運動をきっかけに生まれたそうだ。恥ずかしながら、私はそんな背景があることを知らずに、安価な化粧品を購入することのできる自由を享受していた。

 過去の様々な社会運動の結果、時代を超えて享受しているものが、少なからず存在する。そう考えると、すぐには解決できないかもしれない、と思いながらも「もう、満員電車に乗りたくない」「夫婦別姓を可能にしようよ」と声をあげることに、意味はあるのかもしれない。方法は、たくさんある。本書を参考にしながら、考えてみると良いかもしれない。

 ある時、私が体調を崩し、一定期間電車通勤が困難になることがあった。在宅勤務ができれば、と会社に申し出たが、在宅勤務制度は存在しておらず、実現しなかった。その時は悲しみに暮れたけれど、あの時申し出た「在宅勤務がしたい」という声がささやかなきっかけとなり、何年後かに取り入れられていたとしたら、喜ばしく思う。あれもひとつの、立派な「社会運動」だったのかもしれない。そう思える、本だった。

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