ICRPが原発事故後の放射線防護に関する勧告をアップデート中。一般住民の被ばくを減らす改定が行われる模様

HARBOR BUSINESS Online / 2019年8月12日 8時31分

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kazu / PIXTA(ピクスタ)

 放射線防護の分野で世界的な影響力を持つ ICRP(国際放射線防護委員会)が、原子力災害時の放射線防護指針をまとめた独自の勧告をアップデートしようとしている。どうやらこのアップデートには、原発事故被災者たちの被ばくを以前より少なく抑える方向の改定が含まれるようである。この改定は将来、日本の避難基準や帰還基準を変えることになるかもしれない。

Contents1 原子力災害時のためのICRP勧告、Publication 109 と 1112 アップデートを担う作業部会 Task Group 933 アップデート版の公開とパブコメの開始4 公開された草稿から見えてくるもの5 被ばくを減らす方向の、一つの重大な改定6 この改定は日本の避難基準を変えるか?

◆原子力災害時のためのICRP勧告、Publication 109 と 111

 ICRPの現行の勧告のうち、原子力災害時の放射線防護を主題にしているのは「Publication 109」と「Publication 111」である。この2つの勧告はペアをなすものであり、「109」では、災害の発生直後からの“緊急期”における放射線防護が、そして「111」では、緊急期の後に長く長く続く“復興期”における放射線防護が論じられている。

 これらの勧告は2009年に出版された比較的新しいものであるが、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故(旧ソ連、ウクライナ)と、1987年に発生した放射線源事故(ブラジル、ゴイアニア市)までの経験をもとにして書かれているため、2011年3月に福島第一原発事故が発生して以降は、日本での経験や教訓を反映させるアップデートが求められるようになっていた

(参考資料: ICRP and Fukushima、Radiological protection issues arising during and after the Fukushima nuclear reactor accident)。

◆アップデートを担う作業部会 Task Group 93

 こういった背景から、2013年の秋にはICRP内に勧告「109」と「111」の更新を担う作業部会(Task Group 93 )が立ち上げられ、ICRP主委員会(ICRP Main Commission)からの承認を経て、活動を開始した(参照:ICRP Committee 4 Meeting )。

 同作業部会は、ICRP 内外の研究者ら 10 名から成る国際チームであり、座長には甲斐倫明教授(大分県立看護科学大学)が、副座長には本間俊充氏(原子力規制庁。旧所属は日本原子力研究開発機構 安全研究センター)が就いた。

◆アップデート版の公開とパブコメの開始

 今から一月半ほど前になる2019年6月、ICRPのホームページ上で勧告のアップデート版が初公開された(参照:ICRP)。

 公開されたのは草稿段階のものであるが、全文を無料でダウンロードできる。現在はこの草稿をもとに公開査読(すなわちパブリックコメント)が実施されている。今後は、9月20日に公開査読が締め切られたのち、寄せられたコメントに基づく大小の修正を経て、正式版の新勧告が完成・公開されるはずである。

◆公開された草稿から見えてくるもの

 草稿につけられた仮タイトルは「Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident」となっている。これをやや意訳的に日本語化すると、「巨大原子力事故における人と環境の放射線防護」となるだろう。

 草稿の第1.1章「Background」や第1.2章「Scope and structure of the publication」によると、今回行われたアップデートの基本方針は次のようなものだったらしい。

・緊急期を扱った「109」と復興期を扱った「111」を統合し、一つの勧告とする。

・仮タイトルに“Large Nuclear Accident”と入っている通り、チェルノブイリや福島で起きたような巨大な原子力事故のみを対象とする(その他の種類の原子力災害や放射線事故については、将来の独立した勧告で扱う)。

・福島第一原発事故から得られた経験や教訓を取り入れる。

 ここで、「巨大な原子力事故」というのは、一般人の居住地を含む広大な土地が放射能汚染を受け、大人数の長期避難や広域の除染を含む、気の遠くなるような防護対策が必要になるタイプの事故、ということである。公開されたアップデート版では、そのような事故下で有用となるだろう放射線防護指針と、防護活動を円滑に進めるためのコツ(例えば、一般人・専門家・当局者間の協力や、公助活動と自助活動の同時進行、防災訓練を含む事故前準備など)が論じられている。

 多くの箇所に福島第一原発事故に関する記述が挿入されているが、とくに最終章となる Annex B では、全てのページが福島関連の記述に割かれている。

◆被ばくを減らす方向の、一つの重大な改定

 今回のアップデートでなされた改定についてコメントしておこう。先述のとおり、公開された草稿には今後修正が加えられることが確実であるため、内容の細部に触れるのはやめておき、以下では、日本の避難基準にまで影響しうる一つの重大な改定について、具体的に解説する。

 ICRP流の放射線防護の根幹をなす概念に「線量水準(reference level)」がある。線量水準とは「暫定的な目標線量」のことであり、その値を幾らに決めるかは、住民の被ばく量を左右する重大な課題となる。ICRPはその値を状況(緊急期か復興期か)に応じて表1.「現行版」の範囲から選ぶよう推奨している。

 今回の更新ではその範囲が改定され、表1.「改定版」のようになった。緊急期と復興期の両方にあった下限(それぞれ、累積か年間20 mSvと年間1 mSv)が撤廃され、さらに、復興期の上限が「年間20 mSv」から「年間10 mSv」にまで引き下げられた。

 これらの改定は、ともに住民の被ばくを減らす効果を持っている。何故かというと、まず、下限が撤廃されたことで、線量が年間1 mSvにまで下がる見込みとなっても、必ずしもそこで除染をやめる必要はなく、余力があるならば、より低い線量を目指して防護対策を継続することが可能になる。さらに、復興期の上限が半分にされたことで、復興期に受ける被ばくの最大値がおよそ半分にまで減ることになるのだ。これらは、我々のように被ばくを可能な限り低く抑えたい人たちにとって喜ばしい改定となるだろう。

 なお、復興期の上限を「年間20 mSv」から「年間10 mSv」に引き下げた理由について、ICRPは、年間10 mSvを超える線量が数年以上つづくような場合、比較的短期間で合計の被ばく量(緊急期に受けた被ばくを含む)が100 mSvを超えてしまう人が出る可能性があることを挙げているが、福島事故後の日本で設定された「年間20 mSv」基準に日本国内から極めて強い拒否反応が示されたことも、間違いなくこの引き下げの一因になっているだろう。

◆この改定は日本の避難基準を変えるか?

 日本で避難指示等の目的に使われた「年間20 mSv」基準は、ICRPが緊急期の下限として推奨していた「年間20 mSv」を参考にして決められたと説明されている(参考資料:原子力安全委員会 )。

(※ ただし、ICRPが実効線量で被ばく量を評価することを推奨している一方、日本政府は空間線量を基にした方法で被ばく量を推定した等、いくつかの違いがある)。

 そのICRPが「年間20 mSv」を「年間10 mSv」に引き下げることを宣言した今、日本政府の今後の動きが注目される。はたして政府は、避難解除の基準を引き下げるだろうか? 現在はもう、ICRPによる基準改定が無かったとしても、そうすべき時なのだが……(参照: 国連人権理事会が日本政府の福島帰還政策に苦言。日本政府の避難解除基準は適切か?|HBOL )。

 最後に、先述の通り、ICRPは現在、公開したアップデート版についてのパブリックコメントを行っている。コメントの受け付けは9月20日までである。英語での対応が必要であるため、ややハードルが高いが、関心のある読者はコメントを送ってみてはいかがだろうか。ICRP側も、福島第一原発事故を直接経験した日本人からのコメントを待ち望んでいるはずである。

<文/井田真人>

【井田 真人】

いだまさと● Twitter ID:@miakiza20100906。2017年4月に日本原子力研究開発機構J-PARCセンター(研究副主幹)を自主退職し、フリーに。J-PARCセンター在職中は、陽子加速器を利用した大強度中性子源の研究開発に携わる。専門はシミュレーション物理学、流体力学、超音波医工学、中性子源施設開発、原子力工学。

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