もう一つの被災原発。女川原子力発電所<短期集中連載・全国原子力・核施設一挙訪問の旅3>

HARBOR BUSINESS Online / 2019年8月23日 8時32分

写真

2019/7/5小屋取漁港からみた女川原子力発電所 牧田撮影 右から3号炉原子炉建屋、2,3号炉排気筒、1号炉排気筒、1号炉原子炉建屋、2号炉原子炉建屋・タービン建屋である。 正面地盤(標高13.8m)の上に新たに高さ16m(あわせて29.8m)の立派な防潮壁を建設している

Contents1 宮城県に入り仙台市へ2 石巻、女川牡鹿半島へ3 女川原子力発電所4 避難民を受け入れていた女川原子力発電所5 牡鹿半島から石巻へ

◆宮城県に入り仙台市へ

 Aさんが運転するコロラド号は、常磐自動車道を北上し、宮城県に入りました。宮城県に入ると津波被害の影響が幾分残るものの、復興がたいへんに進んでいました。とくに農地は、宮城県に入って以降全く何もなかったかのように耕作されていました。

 本来行政境界と放射能汚染との間には関連性はなく、福島県と宮城県の県境で復興の度合いが極端に変わることはあり得ないのですが、福島核災害では、行政境界と復興に強い関連が見られることについて多くの指摘があります。今回は、時間の都合があって詳細な現地調査はしていませんので、このことについてはなんとも言えません。

 仙台市街地は、すっかり復興しており震災、津波の痕跡は殆ど見えませんでした。そもそも8年以上経過して、いまだに震災の傷跡を深く残すなど本来はあり得ないことで、福島浜通りの惨状は、まさに核災害の特徴と言えます。津波被害の場合は、その徹底した破壊と防災設計の難しさから復興計画立案が難しいためどうしても長い時間を復興に要しますが、やはり9年目ともなると復興の槌音は力強いものとなります。

 仙台市では、このとき参院選を控えていた石垣のりこ候補(当時。現、参議院議員)の選挙事務所を訪問し、ボランティアの運動員さんのおかげで仙台駅前商店街での証紙チラシ配りの街宣活動ができました。

 石垣陣営は、当初の事前情勢分析では20ポイント愛知陣営に先行され、とても勝負にならないとされていましたが、2か月前の出馬表明以来の追い上げにより選挙序盤では横並びで名前が先に載る(名前が先に載るのは、優勢を意味する)までに至っていました。

 地盤、看板、鞄の三拍子がそろった自民党の世襲現職議員である愛知治郎氏に対してこの様な破竹の大進撃は目を見張るものがありましたが、実際に選挙事務所を訪問するとたいへんな勢いを感じました。これは2年前の結党時の立憲民主党にあって今は無くなってしまったものと思います。初心忘るべからず。

◆石巻、女川牡鹿半島へ

 2時間ほど仙台市に滞在した後コロラド号は、石巻市を経て女川町、牡鹿半島へと向かいました。三陸自動車道石巻女川ICを降り、国道398号線バイパスを女川へ東進しましたが、周囲は内陸移転事業真っ盛りで、急速に開発が進んでいました。これは石巻市が死者、行方不明者が人口の2.5%という甚大な津波被害を受けただでなく震災前から石巻女川ICと女川町を結ぶ動線として国道398号線バイパスの建設が進められていたことがあります。また福島核災害による放射能プリュームの影響が、あとに影響を残さないほどで済んだことが大きな鍵となっています。

 さて復興の槌音響く石巻市から女川町へ向かう道を東進していたところ、いきなり一本道の前方が詰まってしまいました。工事かなと思い近づいてみると、なんと車が見事に横転していました。まっすぐな一本道で車がどうすれば横転するのか不思議でしたが、周囲の車から次々に人が降りてきて、黒山の人だかりとなり、横転した車を元に戻しはじめましたので、もう我々に出来ることはありません。緊急車両の邪魔にならないように来た道を戻り旧道へ塔向かいました。後続の自動車も一斉に我々の後に付いてきました。

 牡鹿半島に入るとあちこちで道路改良工事をしていました。我々は、女川から県道220号線コバルトラインを女川原子力発電所に向かうと、大六天駐車場にたどり着きました。ここからは、塚浜集落と女川原子力発電所が見えました。

 塚浜集落は、津波で壊滅し、現在は高台へ移転していますが、牡鹿半島の集落は、ほぼすべてがこのような状態で、神社しか残らなかったと言っても過言ではありません。道路もすべてが寸断され、女川原子力発電所には、近隣の集落から最大で364人の住民が避難してきたことが知られています。

◆女川原子力発電所

「爪楊枝の先端しか原子力発電所が見えないのでは、つまらないのだ!」と嘆く私に、Aさんが、「実はとっておきの場所を見つけたのですよ、Google先生も知らない超特級の穴場です!」と得意げでした。それは是非行きましょう!

 行った先は、小屋取(こやどり)漁港でした。

 小屋取漁港*は、釣り船の名所らしく、船宿民宿が数軒あります。そこは、眼前に女川原子力発電所が鎮座する絶好の位置でした。

<*小屋取漁港 – 海の釣り場情報” https://tsuriba.info/spot/1000>

 小屋取地区は、珍しく高台にある集落*でしたが、標高10m前後に集落があったため、13mの津波で半数を超える建物が破壊されてしまいました。津波被害と建物の標高、津波の波高がほぼ完璧に対比できるという点で教科書に使いたいほどの事例**と言えます。

<*”地理院地図|国土地理院 塚浜、小屋取、女川原子力発電所”

<**女川町が、各集落の被害状況を示す写真を公開している>

 地図と各種写真を対比すると、発電所は標高13.8mでほぼ浸水無し、社宅は標高25m前後で二棟とも無傷、五十鈴神社は標高15~20mでほぼ無傷、小屋取集落では標高10m前後にあった家屋のほとんどが流されていたことが分かります。

 ここで注目すべきは、小屋取地区にある五十鈴神社で、地形図からこの神社の標高は標高15~20mと読み取れますが、津波にはほぼ無傷でした。

 私は、宮崎県延岡市、兵庫県川西市、徳島市、高知市、Colorado Springs市、高知市をへて現住所にいますが、家を探す際には、古い神社仏閣と古い墓地の立地、標高を最重視してきました。もちろん、合衆国でこの指標は役に立ちませんが、日本では防災の最重要指標となります。

 牡鹿半島においても地形図および国土地理院 地形図・空中写真閲覧サービスによって古い寺社を探すと、殆どが津波による被害を受けていませんでした。

 これは郷土史的手法の初歩ですが、これによっても福島浜通り、石巻、女川、牡鹿半島でだいたいの安全な標高が分かります。郷土史的観点から敷地高さを決めたとされる女川原子力発電所の場合は、小屋取の五十鈴神社*より1~2mほど標高が低いと思われますが、80cmの差で浸水を免れています。これは、コスト検証**だけによって敷地高さを決めた福島第一原子力発電所との決定的な違いです。

<**牡鹿半島には五十鈴神社がたくさんある。主祭神は、天照皇大神である>

<**福島第一原子力発電所建設を指揮した東京電力の小林健三氏による「福島原子力発電所の計画に関する一考察」 小林健三郎 東京電力 土木施工1971.07 (1)に詳しい。本件は、後日稿を改めて紹介する>

◆避難民を受け入れていた女川原子力発電所

 女川原子力発電所周辺の集落は、ほぼすべてが標高10m以下に分布していたため壊滅し、道路も寸断されてしまい逃げ場を失った周辺住民が、女川原子力発電所PRセンターに300人以上(最大364人)集まり、当時の発電所長の英断で発電所構内の体育館に案内され、暖と食事と休息を得たことがよく知られています。但しこの判断は、是非は別として核防上あり得ないことです。

 この女川原子力発電所と福島第一原子力発電所の命運を分けたのが、建設当時の敷地高さの設定の差であることは紛れもない事実で、当時の東京電力と東北電力の安全思考の決定的な違いを示しています。

 また四電が社員寮を発電所正門前に設置していることは何度も記してきましたが東北電は、規模の大きな社宅を発電所に隣接させており、核・原子力防災上は素晴らしいと言えます。が、社員と家族にとっては、仕事と私生活が全く分離できないので労働安全衛生上は問題があります。私は、工場の門前社宅で18年間育ったので、「これは奥さん子供は、きついだろうな。」と思いました。

 十分に原子炉を堪能しましたので、小屋取をあとにして、まず女川原子力発電所の正門に向かいましたが、そこには無人の門があるだけでした。実際には、横の広場に警備員らしき人が車内に詰めていましたが、通行証のない人も入れるような看板の表記でした。どうも荷物受取所まであるようです。

 女川原子力発電所では、正門のずっと奥に検問所があり、公道からは検問所は見えません。これは核防上正しい配置と言えます*。

<*核防上、検問所は、機密性が高い。一方で、公道から部外者が見ても撮影してもそれを妨げる根拠はない>

◆牡鹿半島から石巻へ

 牡鹿半島の東岸にある女川原子力発電所を離れ、牡鹿半島を横断して半島西岸を石巻へと北上しました。殆どの集落はすべて根こそぎ流されてしまい、更地となっていましたが、住居の高台移転、防潮堤の建設、道路の改良、付け替えが急速に進められていました。たいへんな土木工事量です。

女川町は、総人口の8.7%が死亡・行方不明となり石巻市では2.5%が犠牲となる大被害を受けています。しかし9年目の復興事業は、どのように集落の産業をもり立てるかという難題はのこるものの進みつつありました。

石巻市街地にはいると、壊滅的津波被害を受けた住宅街の海側を通る県道240号線の築堤化工事が進んでいました。仙台東部道路に見られたように築堤方式の道路は内陸部の第二堤として機能し、津波被害の拡大を抑止する効果が期待できます。但し、築堤方式の道路や鉄道は、地域を完全に二分するために街の形成と発展に大きな障害となります。このため高架方式が多くとられてきたので、必ずしも築堤方式が優位である訳ではありません。

 石巻の場合は、石巻漁港、水産市場、水産加工場と住宅街とを道路で分断しますので、影響は軽微かもしれません。いずれにせよ今後どのように復興してゆくかのモデルケースになるかもしれません。

 この日は、いわき市から石巻市まで通常は三日に分けるべき取材を一日で終わらせました。結局宿に着いたのは18時前頃、ファイルのバックアップなどが終わったのは22時頃。

 当然、原稿は一つも書けませんでした。話が違うじゃないかと思い始めながらも翌日のために床につきました。

 さて、翌日7/6第三日目は、石巻発、盛岡経由、六ヶ所村原燃施設群、東通(東北電)、東通(東電)を経て青森泊ですが。ここまでを第一部としていったん締めます。

 本稿では触れなかった女川原子力発電所の詳細については、別稿でご紹介します。

◆<短期集中連載>全国原子力・核施設一挙訪問の旅3

<取材・文/牧田寛>

【牧田寛】

Twitter ID:@BB45_Colorado

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中

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