「公共」を意識した番組作りを。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』テレビ東京・上出遼平氏<新時代・令和のクリエイターに聞く2>

HARBOR BUSINESS Online / 2020年1月2日 15時32分

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(c)テレビ東京

 取材ディレクターがたった一人でハンディカメラを持って世界各地の被写体に迫るドキュメンタリー『ハイパーハードボイルドグルメリポート』。2017年10月に放送されるや否やTwitterで話題が沸騰しギャラクシー賞を受賞。貧困、内戦、難民、児童労働などに翻弄されながらも逞しく生きる人々の姿を描いています。

 そんな同番組の過去作の連続放送が2020年1月1日から3日に決定。放送に先駆け、番組の企画・演出・ロケまでしているテレビ東京の上出遼平さんに番組の制作経緯、コンセプトなどについてお伺いしました。

◆海外では「ゴンゾ―・ジャーナリズム」の声も

――視聴者の反応はいかがでしたか?

 「考えさせられた」というのが一番多かったですね。

――海外での反響はいかがですか?

 Netflixでの配信が始まってから、アメリカでは英語のまとめサイトも作られました。アメリカではこの番組を「ゴンゾー・ジャーナリズム」だと書いてくれた人たちがいましたね。ゴンゾ―・ジャーナリズムは異端のジャーナリズムと言われています。正統派ジャーナリズムは事象を可能な限り客観的な視点で伝えようとしますが、ゴンゾー・ジャーナリズムは取材している人間が一人称で存在します。その事象を目撃している人間の存在を隠しません。

 日本ではその批評はありませんでした。どちらかと言うと、むしろ取材者の僕が消えているというものでした。これは多分、『ハイパー』を「ジャーナリズム」として捉えるのか「エンターテインメント」として捉えるのかという違いによると思います。

 アメリカの視聴者のようにこの番組を「ジャーナリズム」として見れば、当然カメラを抱えた僕(ディレクター)の存在が際立って見える。それは、実はこの番組の本質が“出会いの物語”だからです。一方日本の視聴者のようにこの番組を「エンターテインメント」として見れば、僕の存在が小さく感じる。なぜなら本来はタレントがそこにいるはずだからです。

――香港の回も見ましたが、政府に対して抵抗する若者の「自分のホームを守りたい」という熱い思いが伝わってきます。若者の政治に対する意識の高さが全く日本とは違いますが、日本と他の国の人たちの政治に対する意識の差についてはどのように感じていますか?

 取材で様々な国に行きましたが、世界中のどこの人たちも老若男女が政治について当たり前のように喋りますね。

 日本は若い人たちだけではなく、年配の方もやはり政治について語りたがらないように感じます。それは長い期間、考える必要がない状況にあったという意味では幸せなことなのですが、取り返しがつかなくなったときにはもう手遅れですよね。為政者は大事なことほど隠したがりますから。

 これが今の日本に突き付けられている課題で、今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫でしょうという根拠のない楽観がじわじわと我々の将来を蝕んでいるんだと思います。

 そういう時にテレビが「今大変な状態かもしれません」と言うべきだと僕は考えています。

 本来、メディアは国民に何かを知らせるために存在しています。しかし最近のテレビを見ていると、むしろテレビが何か大事なことを隠すことに加担しているんじゃないか、そんな風に思えることさえあります。メディアがプロバガンダに身を落とすなら、もはや存在意義はないでしょう。

 ――小籔千豊さんのコメントが番組を見た後のやるせない気持ちを代弁してくれているような気がします。

 タレントさんにはあまり精通していなかったのですが、多角的な視点で正直に話す人、責任感もって話してくれる人、自分事として捉える人というイメージを小籔さんには持っていました。

 小籔さんには一視聴者としてVTRを見てもらっています。事前にどこの国の映像かも伝えていません。小籔さんには視聴者と一緒に苦悶して欲しいと思っています。実際、あのVTRを小籔さんなしで突き付けられたら視聴者の方もしんどいと思うのですが、「画面の中にも悩んでいる人がいる」と感じられるのは安心感につながるのはないかと。

◆大学では犯罪学を勉強

――大学卒業後、テレビ東京に入社されていますね。テレビ局への入社経緯についてお聞かせください。

 大学では犯罪学や少年非行を学びました。そして、中国にあるハンセン病患者の隔離村にも行っていました。そうした経験の全てが『ハイパーハードボイルドグルメリポート』に集約されていると思います。

 一時期、ほんの少しだけ非行に走った時期があって、いろんな人に迷惑を掛けました。

 その当時はどうして意味のない、自分も周りも傷つくようなことばかりしているのだろうと悩みました。今思えば、そのとき自分が抱えていた数え切れないほどのコンプレックスがそういう形で現れたんだと理解できますが、当時は何もわからないまま、日々を過ごしていました。

 そして大学に進学するとき、自分が何を学びたいかを考えました。いろんなことに興味はあったけれど、やっぱり一番の謎は自分自身の中にありました。何故自分は非行に走ったのか。

 その理由を知りたくて、法学部に進学して、犯罪学や少年非行を学びました。小西暁和先生(現早稲田大学教授)という当時まだ若かった先生についてゼミ生4人でフィールドワークをしていました。

 ――そうだったんですね。

 日本中の少年院や刑務所、そして薬物中毒患者の更正施設であるダルクにも行って罪を犯した人たちと話をさせてもらいました。2010年前後は厳罰化の流れがあって、少年だからといって守るな!実名を公表して裁くべきだ!教育ではなく刑罰を!という声が高まっていました。そんな風潮に僕は強い危機感を感じていたんです。

 “犯罪者”は本当に望んで罪を犯したのか—。それは故意や過失の話ではありません。表面に現れた犯罪行動だけを取り上げれば、そこには明確な故意があったとしても、その人のパーソナリティを掘り返すことによって、その人にとって抗いがたい何かがあったことが分かるかもしれない。その可能性に目をつぶって、まるで“生まれながらの悪人”かのように人を罰するのはスマートじゃない。そう思うようになりました。

 彼らを罰するだけでは何も変わらないと思っています。彼らを悪い人ではなく可哀そうな人という扱いをしないと社会から外れていってしまう。そして、世の中は白黒はっきりしないものだともその時に感じました。そうであるならば、グレーの中の白っぽい部分を見つめてあげるべきだと。そんな風に大学時代はひたすら犯罪と向き合っていました。

◆ハンセン病の患者が隔離された村で

――ハンセン病の人が住む村にも行っていたということですね。

 僕は西東京の街で育ちました。幼い頃から遊び場といえば奥多摩の山だけ。そこで小さな冒険をしながら大人になりましたが、好奇心だけは人一倍だと思っています。

 大学に入ってボクシングを始めて、1年でプロのライセンスを取ったと同時にボクシングをやめたんですね。このとき、中国のハンセン病隔離村で活動するNGOから誘いを受けたんです。

 エネルギーが余っていたし、この平成の世にまだ“隔離された村”があるなんて、と無邪気な好奇心が駆り立てられて、すぐに参加することにしました。

 ところが、いざ行ったら僕の好奇心なんて鼻息で吹き飛ばされてしまうほどの、壮絶な世界がそこにはありました。最寄りの村から山を三つ越えなければならない隔離村には、ハンセン病の“快復者”が暮らしています。“快復者”なんて言葉は本来おかしいんです。風邪をひいて治っても“風邪の快復者”なんて言いませんよね。でもハンセン病が治った人は“快復者”と呼ばれる。それは、重篤な後遺症が残りやすいからでもあるし、いまだ色濃い差別が残っていることも示唆しています。

 ハンセン病の患者は国策で隔離され、山奥の村に放り込まれました。そうした“隔離村”が、僕が大学生だった2011年当時で中国に300ほどありました。

 小学生の時にハンセン病が発覚し、家族から引き離されて村にやってきたおじいさんやおばあさんもいます。彼らの多くはそれ以来学校にも通えず、家族と再会できた人もほとんどいません。でも本当は、家族の元に帰っていいはずなんです。

 特効薬が開発されるなど医療の進歩が進んで、無事に帰れる状態にはなりましたが、彼らは隔離村に死ぬまで住み続けようと決めています。

 なぜか。それは差別があるからです。そしてその差別は、ハンセン病について人々が知識を持っていないから起こるんです。

――確かに。

 僕も、初めて元ハンセン病のおじいさんと握手するときは恐ろしかった。だって、顔は崩れているし、指はない。だから、一生懸命学んだことを頭でぐるぐる思い返して、「大丈夫だ」と結論を出して握手をしました。

 つまり、僕もハンセン病についての知識がなければ握手もできなかった。だから彼らが最寄りの町に行っても、町の人たちが驚いてしまってコミュニケーションできないのです。

 そこで僕は「知らない」ということがいかに人を不幸に叩き落としうるか、翻って「人に何かを知らせること」がいかに大事な意味を持つのかを身を持って感じました。

 その後、就職活動のシーズンがやって来て、テレビには自分にできることがありそうだと思い、この道に進みました。

 ――東海テレビ作の『ヤクザと憲法』、森達也監督の『A』が好きとのことでしたが、この番組でも意識していますか?

 やはり、番組を見て価値がひっくり返るのは楽しいですよね。自分の価値が転換する経験というのは、ニュース番組や紀行番組で知らない世界を見るということ以上に、意味や奥行き、広がりがあるように感じます。自分の信じていたもの以外の常識や価値がこの世の中にあるということを知ることは、それからの世界との向き合い方に大きく影響します。これは報道ではできないことですよね。

――イベントで「わかりやすさだけを追求するのではなく、自分より100万人賢い人が見ていると思って番組を作っている」と発言していたのが印象的でした。

 勉強している人は、次々と新しい世界を知るうちに、自分の知らない世界が無限に広がっているという現実にぶち当たって押しつぶされそうになりますよね。それが賢い人のゴールで、浅学な人ほどこれが正解なんだと言い切るように感じます。

 理解できるだけの番組はぺらっとした含蓄のないものになってしまう気がして、その点は意識していますね。

――他にテレビについて何か感じていることはありますか?

 テレビの不倫報道などを見てれば、テレビがいわゆる「悪人」を作っていますよね。僕の番組では悪い人を悪い人として描いていません。取材した少年兵もマフィアもギャングも皆、人を殺した経験があります。悪いことの中でも最も悪いとされる「殺人」をした人たちの話に耳を傾けたかったんです。

 かといって、彼らの行動を正当化するつもりは全くありません。寄り添って理解しようとすることは、彼らを肯定することと極めて近いものですが、その線引きだけは自分の中で保っています。そういう意味ではこの番組は従来のテレビに対するアンチテーゼです。

◆テレビの役割は知らせて愛してもらうこと

――インターネットで好きな情報にしかアクセスしない人たちに向けてどのようなアプローチを考えていますか?

 見たいものだけを見るという人に「これを見なさい」というのはおせっかいですよね。では、なぜメディアはわざわざ視聴者が見たくもないものを見せないといけないのか?ということについては、僕なりに仮説があります。

 かなりの極論ですが、ヘイトに明け暮れる人は心霊番組が好きな人の心理状態と同じなのではないかと思っています。死後の世界についてはその存在があるにもかかわらず、一つも確かな情報がありません。

 知らない人が死んだ後はさらに知らない存在になるから、過剰に理解の及ばない存在にまずは恐怖感を覚えるというのは、人間の防衛本能としては正常でしょう。

――そうですね。

 それと同様に、言葉が通じなかったり歴史が異なったりする外国人の方々を恐れる人がいます。それが今度は画面の向こうではなく、同じ生活圏に立ち現れた結果、彼らは「排除」という行動に出てしまうんじゃないでしょうか。

 ヘイトをする人たちは「怖い、嫌だ」と思うこと以上に相手を知ろうとはしないのではないかと。心霊番組の例は極端かもしれないですが…。

 とにかく、みんな楽しく暮らせる社会を目指すには、まず知ってもらうことが必要だと思っています。

――確かに。

 最低限、テレビを作っている自分たちのマナーとして、見たくないものを見たいようにみせることが必要なんですね。それでこの番組では露悪的なタイトルだとか没入感のある映像を入れています。テレビマンが培ってきたエンターテイメントの作法をフルに使って本当は視聴者のみなさんが見たくないものを見たいように見せています。

――なるほど。

 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本の中に、愛するということは、「知って、責任を感じること」と書いてあります。愛には責任が伴う、そこに至るには、まず知ることが必要であると。

 テレビにはその役割を担う力があると思っています。遠い世界の住人の表情、言葉、仕草をテレビは見せることができる。事象だけをドライに伝えるニュースでは難しいかもしれないけれど、僕の番組ならばそれができます。番組を見て登場する人物に「何かしてあげたいな」と思ってもらえることがあるのではないかと。それを愛と呼んでいます。

 全く知らない世界の全く知らない人々の存在を知らせて、愛してもらって、今の排他的な空気やギスギスした敵対心をなくして世間の空気を変えていきたい。

 視聴者のみなさんが取得したい情報を提供することがマスメディアの役割だとは思っていません。「公共」ということを意識してこれからも番組作りをしていきたいと考えています。

<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。

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