君は「レナ」を知っているか? 画像処理のサンプルとなったレナ・ソダーバーグの数奇な画像

HARBOR BUSINESS Online / 2020年8月17日 15時32分

写真

◆画像処理で定番だった画像の女性レナ・ソダーバーグ

 数奇な人生を歩む人間がいるのと同じように、数奇な人生を歩む写真もある。そうした写真と、被写体になった女性レナ・ソダーバーグ(Lena Soderberg)のことを知る人は、現在ではおそらくIT業界に限られているだろう。

 ある画像が、特定の界隈で有名になるという現象がある。たとえば、Windows XP に使われていた草原の壁紙。Windows を使っている人はみんな見ていたので、非常に有名な風景になっている。この写真は、チャールズ・オレアという元ナショナルジオグラフィックのカメラマンが、プライベートで撮影したものだ。この写真が、Windows の草原として、人々の記憶に深く残ることは、撮影当初は想像もされていなかった(参照:Daily Mail Online)。

 チャールズ・オレアの写真は、Windows ユーザーのあいだで非常に有名になった。しかし、彼自身は Mac ユーザーのために、Windows XP の壁紙に接する機会はないそうだ。ある場所で有名なものが、全ての世界で知られているわけではない。

 そうした「特定の界隈で有名な画像」の一つがレナ・ソダーバーグの写真画像だ。彼女の画像は、情報技術の画像処理の世界で有名だ。各種処理の標準的なテスト画像として繰り返し使われてきた。画像処理系のプログラムを書いたことがある人なら、必ずといってよいほど見る画像だ。名前は知らなくても画像を見れば「あっ、例の画像だ」とすぐに分かるほど、様々な場所で使用されている。私も、画像処理について勉強している時に、何度となく見た。

 帽子を被った美しい女性が、肩越しにこちらを見ている顔写真。画像検索で「lena.jpg」と検索すると、その画像がたくさん出てくる。

 そのレナ・ソダーバーグ本人が、最近になって、自分の写真を使わないようにと署名を始めた。実は、画像処理の世界で長らく使われてきたレナ・ソダーバーグの画像には、数奇な物語がある。この写真は、画像処理のテスト用画像として撮影されたものではない。まったく違う用途で、商業的に撮影されたものだ。

 業界の慣習として長く使われてきた彼女の顔の写真は、元々撮影された写真の一部を、無許可で切り取ったものなのである。

◆レナ・ソダーバーグの写真の経緯

 レナ・ソダーバーグは、1951年にスウェーデンで生まれた。彼女は高校を卒業したあと、アメリカに渡った。レナ・ソダーバーグの転機は1971年に訪れる。新婚だった彼女は、夫のすすめで地元のモデルエージェントと契約した。そして、数度の仕事を経て、Playboy 誌と連絡を取った(参照:WIRED)。

 彼女の写真は、1972年に Playboy 誌の11月号の中央見開き折り込みのセンターグラビアを飾った(参照:Hipertextual)。この時の写真は、まだ情報技術の世界とは何の関係もない。Playboy 誌に掲載された、数多くのヌードグラビアの1つだった。

 このグラビアが掲載された Playboy 誌は、南カリフォルニア大学の信号画像処理研究所に持ち込まれることになった。当時の男性が、当時の習慣として、男性向け雑誌を持っていたのだ。日本なら、大学の研究所にマンガ雑誌を持ち込む程度の感覚だっただろう。

 レナ・ソダーバーグの写真が、この信号画像処理研究所で利用されたのには、それなりの理由がある。研究所の人々は、テスト画像として、良好な出力ダイナミックレンジを確保するための光沢がある「人間の顔の画像」が欲しいと考えていた。彼女の写真は、そうした条件を満たすものだった。

 1973年の6~7月頃、彼らは Playboy 誌のセンターグラビアを切り取り、スキャナで取り込んだ。その時のスキャナは、100 lines / inch で取り込むものだった。彼らは、縦横512ドットの画像を求めていたので、上部5.12inch(約13cm)がトリミングされることになった。その結果、レナ・ソダーバーグの顔とその周辺部分のみが使われることになった(参照:The Rest of the Lenna Story)。そしてこの画像が、業界でよく使われるテスト画像になっていった。

 Playboy 誌のセンターグラビアということで分かるように、この写真は元々ヌード写真である。多くの人は、そうした背景を知らず、美人の女性の顔写真だなと思いつつ、この画像を使用する。しかし、全体像の写真を知ると、それがヌードグラビアだと気づくことになる。

 Playboy 誌は当初、著作権侵害だと画像の利用を糾弾したが、のちに画像の使用を許可している。1997年には、レナは第50回画像科学技術学会の年次総会のゲストとして登壇している(参照:Wired News)。彼女の画像の使用は、その後も続いた。

 2019年1月31日、 WIRED に「Finding Lena Forsen, the Patron Saint of JPEGs」(JPEGの守護聖人、レナを見つける)という記事が掲載された。彼女に取材した内容だ。その記事には、「彼女(レナ)は、若い女性を傷つけたり落胆させたりすることに一役買っているのではないかと心配しているようでした」と書いてある。

 そして2019年11月に、Losing Lena というサイトとドキュメンタリー映画が公開された。

◆男性中心のテクノロジー業界とヌード画像

 現在、IT業界には男性、女性の垣根なく、多くの人がいる。そしてこれから先、男女の別なく様々な人が参加することが予想される。1973年の画像使用から47年が経っている。1970年代の、男性中心の閉ざされたコミュニティのノリとは大きく違う時代になっている。

 これからの時代、子供たちもどんどんプログラムを学んでいくだろう。そうした際、よく見るテスト画像が、女性のヌード写真から切り取ったものという事実は問題になるだろう。少なくとも女性は、なぜそうした画像が用いられているのかと疑問を持つはずだ。そのことで女性が疎外感を持ち、業界から歓迎されていないと思うことは、十分考えられる。少なくとも、ここは男性社会なのだと感じるだろう。

 Losing Lena というサイトの冒頭には「レナの画像を削除して、女性がハイテク業界に対して好意的に迎えられていると感じられるように」とのメッセージがある。興味深いのは、「自分のヌード画像を削除して欲しい」というメッセージではないことだ。ドキュメンタリー映画は、レナ・ソダーバーグの件を枕にして、ジェンダー問題を扱ったものになっている。

 様々な出来事には時代背景がある。そして時代は変わる。新しい人々を迎え入れるには、古い時代の価値観を見直して、その業界の価値観をアップデートしなければならないということだろう。レナ・ソダーバーグの数奇な画像は、そのことを考えるきっかけになっている。

<文/柳井政和>

【柳井政和】

やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。2019年12月に Nintendo Switch で、個人で開発した『Little Bit War(リトルビットウォー)』を出した。

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