1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

反対する論理に目を向けることを妨げる「反発」という表現

HARBOR BUSINESS Online / 2021年2月18日 8時33分

写真

Ystudio / PIXTA(ピクスタ)

 「野党は反発」といった表現が政治報道で多用される問題を考える記事の、今回は3回目となる。

 1回目は、野党については「反発」という言葉を使う一方で、菅義偉首相については「色をなして反論」と、「反発」という言葉を避けていることを見た。2回目は、安倍晋三前首相の答弁について「反発」という言葉が用いられた例を紹介しながらも、「反発」という言葉は、「お上」の意向に逆らう側に使われる傾向があり、政治報道の言葉遣いには、政権寄りのバイアスがかかっているように見える、と書いた。

 その後、数名の方から重要な指摘をいただいた。それらを踏まえて今回は再考したい。ただし、「野党は反発」という表現は慎重に使っていただきたいとの主張は、変わらない。

◆国際関係では、どちらも「反発」

 まず、国際関係に関わる記事において「日本政府は反発」といった表現は普通に見られ、その場合に記事の執筆者が相手国のことを「日本政府より目上」と考えているとも思えず、従って、「お上」に逆らう場合に「反発」という表現が用いられるという議論の前提自体が揺らぐ、という指摘をいただいた。

 この指摘はもっともであり、立論の甘さがあったと率直に認めたい。対外関係において「政府は反発」といった表現があることは以前にも認識していたのだが、国会報道を論じる中でそのことが頭から抜けてしまっていた。

 確かに、「政府は反発」と表現したからといって、その記者が相手国を「上」と見ているわけではない。例えば、慰安婦訴訟判決を伝える下記の記事に見るように、問題をめぐって対立がある場合、どちらの国についても「反発」という表現が用いられている。

“日本外務省の秋葉剛男事務次官は8日、韓国の南官杓(ナムグァンピョ)駐日大使を呼び、「極めて遺憾だ」と抗議した。菅義偉首相は8日、首相官邸で記者団の取材に応じ、「我が国としては、このような判決が出されることは、断じて受け入れることはできない」と強く反発し、訴訟の却下を求めた。”

●韓国の慰安婦訴訟判決、首相「断じて受け入れられない」(朝日新聞、2021年1月8日)

“茂木敏充外相は18日、衆参両院本会議で外交演説を行った。バイデン米次期政権の発足を前に、日米同盟の強化を掲げる一方で、韓国の地裁が日本政府に元慰安婦らへの賠償を命じた判決について「異常な事態」と強く非難した。(中略)

 韓国外交省の報道官は茂木氏の演説について「日本側の一方的な要求は受け入れられない」と反発。「日本政府も日韓慰安婦合意の際に明らかにした謝罪、反省の精神に基づいて、被害者の尊厳の回復のために、一緒に知恵を出すよう求める」とコメントした。”

●韓国の慰安婦判決、外相「異常な事態」 外交演説で強く非難(朝日新聞、2021年1月19日)

◆朝日新聞・伊丹和弘記者の指摘

 また、前回の記事について、朝日新聞の伊丹和弘記者(@itami_k)から次のようにコメントをいただいた。なお、「政治部に属したことがないので、政治部独特の使い方については、その有無も含め分からない」としている。

“記事中の「反発」の使い方の考察。とても面白く、興味深く読んだが、「反発」の使い方を「根拠にあえて目を向けない表現」とするが、そうだろうか? 僕のイメージでは、比較して権力が大きい方に対する小さい方のなんらかの行動を伴った反対。もしくは先行行動があり、それに対する反対。”

“そして、反論より反発の方が、反対度が高いイメージ。 ただ、そういうバイアスがあるように感じる人がいるのだということは分かったので、なるべくそのイメージを増強させないような使い方をしようと思った。”

“あと、記事では同じ単語を繰り返すと稚拙に聞こえることがあります。なので言い換え言葉は多用します。反発の場合、反論、抗議、異議、反対意見などを使いますが、そこにニュアンスの違いはほぼありません。”(※追記)

※ 2/18追記:伊丹記者のこのツイートは、「反発と反論には語句としてニュアンスの違いは存在する。ただし、言い換え語句として使った場合にはニュアンスの違いはほぼない」という趣旨であるとの連絡をいただいている。

 この伊丹記者の「イメージ」のうち、「比較して権力が大きい方に対する小さい方の」という部分は、上記に見たように国際関係の記事には当てはまらないので、一般化はできない。では、「なんらかの行動を伴った反対。もしくは先行行動があり、それに対する反対」であり、「反論より反発の方が、反対度が高い」、また、「反発」と「反論、抗議、異議、反対意見」などに、ニュアンスの違いはほぼない、という点はどうだろうか。

 これに関連して、別の方からは、こういう指摘があった(以下は、私なりの理解で言葉を補ったもの)。

*****

 主権国家同士の関係は国内政治とは異なり、相手国の主張に対する当該国の反応を「反発」と表現するしかないことがある。しかし、議会制民主主義の国家においては、国内政治は議会内の話し合いでより良い方針を決定していくのが本来であり、従って「野党は反発」ではなく「野党は批判」でなければならない。にもかかわらず、議会の現状は、「逆らい難い圧力をかけるもの」と、「それに反応するほかすべがないもの」という状態になっている。そのことをメディアが当然視してしまっていることに問題を見出したのが、「野党は反発」という言葉遣いへの違和感の表明だったのではないだろうか。

*****

 そう。そこなのだ。この方の指摘とも重なる私の問題意識が記者の方に伝わるように、以下に更に考察してみたい。

◆私自身も使っていた「反発」

 ここでもう一つ、迂回を挟みたい。私自身がかつて、みずからの記事の中で「反発」という表現を使っていたことも、別の方から指摘された。2017年10月の下記の記事だ。

●上西充子「野党質疑の短縮要請は、与党の自信のなさの表れであり、法案審議の意義を損なうもの」(Y!ニュース、2017年10月29日)

 政府・自民党が衆議院における与野党の質問時間の配分の見直しをおこなって野党の質疑時間を削ろうとしていた問題を取り上げた記事だ。私はそこで下記のように、2度、「反発」という言葉を使っている。

“この動きに対し、野党各党からは当然のことながら、強い反発が示されている。”

“逢坂誠二議員も下記の通り安倍総理の指示を強く批判している。”

“たとえば安全保障関連法案や共謀罪法案をめぐる国会審議においては、野党が核心を突く質疑を行ったのに対し、政府側がまともな答弁を行うことができず、法案におおいに問題があることが明らかになった。にもかかわらず懸念点が払拭されないまま強行採決を行ったことは、国会前の抗議行動としてあらわれたように、世論の強い反発を招いた。”

 野党の動きについて、最初に「強い反発」と表現し、次は「強く批判」と表現している。世論についても「強い反発」と表現している。「反論より反発の方が、反対度が高い」、また、「反発」と「反論、抗議、異議、反対意見」などに、ニュアンスの違いはほぼない、という伊丹記者の抱く「イメージ」からはずれない形で、私自身が「反発」という言葉を使っていた。当然、その際に、野党の「反発」や世論の「反発」が感情的で根拠の薄いものだとは、その時の自分は考えていない。正当で当然なものだ、と考えていた。

 ではなぜ、今、私は「野党は反発」という表現に違和感を抱くのだろうか。振り返って考えてみた。私は前回の記事で、記者には無意識の政権寄りのバイアスがあるのではないかと書いたが、逆に、私の側に野党寄りのバイアスがあるから、「野党は反発」という表現が嫌なのかもしれないと思った。ただし、そこで話を終わらせたくない。もう少し、耳を傾けていただきたい。

◆反対する論理を見えにくくする「反発」という表現

 今なら私は、「野党各党からは当然のことながら、強い反発が示されている」とは書かない。「野党各党は当然のことながら、強く抗議している」と書くだろう。なぜか。

 ここでちょっと考えてみていただきたい。自分を主語にして「反発」という表現を使うことを想像してみていただきたい。

 「私は反対する」「私は反論する」「私は抗議する」――これらの言葉に違和感はない。では、「私は反発する」はどうだろう。「あなたの意見に、私は反対します」とは言うが、「あなたの意見に、私は反発します」とは言わない。なぜか。

 自分を主語にして「反発」という言葉で作文せよ、と言われたら、どうだろう。例えばこんな作文を思いつくのではないだろうか。

「先生は『◯◯◯◯』と非難した。私は反発して、黙って教室を出た」

 不当に非難された。納得がいかなかった。強い憤りを感じた。しかし、反論しても無駄だと思った。だから教室を出た。――自分にあてはめて考えるなら、「反発」という言葉は、そういう場面で用いるだろう。

 もし誰かが、

“「野党は反発」という言葉に、上西は猛反発”

といった記事を書くとしたら、私は嫌だ。不快感を抱く。単に「反発」しているわけではなく、なぜそのような表現に違和感を抱くかを、特に違和感を抱いていない人にわかってもらいたいと考えながら、自分なりに言葉を尽くして、記事を書いている、その行為の意味が無視されているように思うからだ。ただ感情的に怒っているかのようにみられることに、納得がいかないからだ。

 そう考えていくと、「反発」という言葉は、自分の言動を表現するのではなく、他者の言動を表現する際に使われることが多い表現だと思われる。ただし、その場合に、相手を単に感情的な存在と見ているかというと、そうとも限らない。相手の正当な憤りの強さを表す際にも、「反発」という表現は用いられる。

 しかし、ここで問題なのが、「反発」という言葉だけでは、相手が正当な根拠を持って憤っているのか、それとも勝手な理屈で感情的に怒っているのかは、判断がつかないという点だ。そこに「反発」という言葉の危うさがある。

◆財務省セクハラ問題に「反発」した野党

 相手が正当な根拠を持って憤っているときに「反発」という表現が用いられた例として、2018年の財務省セクハラ問題を報じた記事がある。

 この問題に対する麻生太郎財務大臣と財務省の対応は不適切であり、野党は強くその動きに抗議した。当時の新聞はその動きを「反発」と表現した。それらの記事を今、読んでも、「反発」という表現が野党を不当に貶めているとは感じない。

“立憲など野党6党は、福田氏のセクハラ疑惑を週刊新潮が報じた12日以降、国会内で合同ヒアリングを3回開き、財務省に事実関係の説明を求めてきた。

 財務省がセクハラの事実を認めず、記者クラブ加盟各社に対して女性記者の調査協力を求めた16日には、「(財務省の対応は)被害者保護の原則に反する」と反発。福田氏に対する辞任要求とともに、セクハラ問題に対する財務省の認識不足についても追及を強めた。“

● 麻生氏辞任要求で一致 野党、任命責任を追及 福田財務次官辞任(朝日新聞、2018年4月19日)

“「(福田氏が)はめられて訴えられているんじゃないかとか、ご意見はいっぱいある」。麻生氏は24日の会見でこう述べた。この発言に、野党は24日午前の財務省への合同ヒアリングで、「二次被害だ」などと一斉に反発。麻生氏が発言を撤回し謝罪することを求めた。”

●(時時刻刻)財務省、混迷底なし 「大蔵汚職以上」消費増税に影(朝日新聞、2018年4月25日)

 これらの記事では、なぜ野党が「反発」するのか、その根拠があわせて紹介されている。「はめられた可能性」を言いつのった麻生大臣の言動もひどかったし、匿名の記者に名乗り出るように求める財務省の対応もひどかった。そのひどさが広く認知されている状況の中では、たとえ一つ一つの記事に「反発」する根拠となる論理が示されていなくても、「反発」する野党の行動の正当性は伝わっただろう。

◆「野党は反対ばかり」という印象操作

 しかし、より認知度が低い問題や、より身近に感じにくい問題に関して、野党が、あるいはある人物が、「反発」した、という報道だけに接した場合、その「反発」がどういう理由によるものか、読者にはわからないだろう。伝わるのは、ただ野党が、あるいはその人物が、強く憤って、あるいは怒って、反対しているということ、あるいは受け入れられないという気持ちでいることだけだ。

 だからこそ報道には、なぜ野党が、あるいはその人物が、「反発」しているのかを伝える努力をしてほしい。そしてその際に、考えていただきたいことがある。野党を貶める印象操作がこの間、繰り返し執拗におこなわれてきたという問題だ。

 ツイッター上には「野党は反対ばかり」「野党はモリカケばかり」「いつまで桜ばかりやってんだ」「野党はだらしない」のような投稿があふれている。現在の通常国会でも、野党はコロナ対応もそっちのけで、政権の不祥事を執拗に追及することばかりにやっきになっているかのように非難されている。国会の質疑も、野党の指摘は単に「ギャーギャー」としか表現されないことがある。

 そのように野党の質疑の意味を貶める動きは、SNS上に限らない。安倍首相自身が、そのような印象操作に国会答弁の場でもいそしんでいた。「悪夢のような民主党政権」という言い方を繰り返したのもそうだ。それだけでなく、相手の指摘が、まったく不当に自分たちを誹謗中傷するものや無意味なものであるかのような物言いを、安倍前首相は続けてきた。

●首相ヤジ問題、予算委流会 「意味のない質問」17日に釈明(朝日新聞2020年2月14日)

 上記の記事には、安倍前首相のヤジとして、「早く質問しろよ」(2015年5月)、「くだらない質問で終わっちゃたね/いいかげんなことばっかり言うんじゃないよ」(2017年6月)、「意味のない質問だよ」(2020年2月)の言葉が、また、国会答弁として「ウソと同じ/人間としてどうか」(2020年2月)という野党批判の言葉が紹介されている。

 こういう安倍前首相の国会での振る舞いは、時々こうやって記事になるものの、そのたびごとに強く批判され、大きな問題になることはなかった。今回、森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の評議員会における女性蔑視・女性差別発言が海外ニュースでも大きく取り上げられ、「謝罪・撤回」会見をおこなったものの批判が収まらず、辞任に追い込まれたのとは対照的だ。

 安倍前首相の国会での相手を貶める言動が大きく問題にならない中で、「野党は反対ばかり」という印象操作も、それに呼応するように、SNS上で繰り返しおこなわれてきた。それだけではない。自民党もみずから、印象操作に加担していた。2019年夏の参院選前に自民党本部が各国会議員に配布した冊子はその代表例だ。

●自民党本部が国会議員に配った冊子に物議「まるでネトウヨ」 首相を礼賛、他党やメディア徹底非難(毎日新聞デジタル、2019年6月29日)

「フェイク情報が蝕(むしば)むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識」と名付けられたこの冊子には、よだれを垂らし、まともな判断力を失った様子の立憲民主党・枝野幸男代表や、悪事をたくらむ表情で笑う国民民主党・玉木雄一郎代表、怒り狂った犬のような表情の共産党の志位和夫委員長のイラストが描かれ、他方で安倍晋三首相については進むべき道を指し示す立派な政治家のようなイラストで描かれている。野党各党の党首を貶める意図が明白だ。

 また、NHKは2019年3月1日に根本匠厚生労働大臣の不信任決議案の趣旨弁明演説をおこなった小川淳也議員(当時、立憲民主党・無所属フォーラム)の様子を、いたずらに水を飲み、へらへらと笑って時間を食いつぶす無礼な議員のように描き、他方で反対討論に立った自民党の丹羽秀樹議員については「このたび野党諸君が提出した決議案は、まったくもって理不尽な、反対のための反対。ただの審議引き延ばしのパフォーマンスであります」との発言を紹介して、野党が出した不信任決議案も小川淳也議員の演説も全く無駄なものであったと視聴者に受けとめさせるような編集を施していた(下記の記事を参照)。

●上西充子「小川淳也議員による根本大臣不信任決議案趣旨弁明を悪意ある切り取り編集で貶めたNHK」(ハーバー・ビジネス・オンライン、2019年3月6日)

 つまり、野党はこの間、不当にアウェイな場で闘わなければならない状況に置かれてきたのだ。「くだらない質問」だと国会で野次を飛ばされる。根拠のない誹謗中傷をおこなったかのように答弁で非難される。質疑は閣僚席や与党議員らからの嘲笑的な笑いにさらされる。さらに質疑後には、意図的な切り貼り編集で野党を貶める映像が、SNS上に流される。NHKまでもが、悪意ある切り張り編集を施したニュース映像を流す。まだある。そのような「嘲笑する政治」を問題にした記事において、朝日新聞の政治部長までもが、「笑われる野党にも責任がある」と論じたこともあった(下記の記事を参照)。

●上西充子「嘲笑される側に責任はあるのか――朝日新聞は筋を通した報道を」(ハーバー・ビジネス・オンライン、2019年7月9日)

 そういう状況の中で、見出しに「野党は反発」と書くことが、政治報道に触れ始めた読者にどのような形で受け取られるかを、記者の方々には考えていただきたいのだ。

◆国民を政治に近づける報道か、遠ざける報道か

 「野党は反対ばかり」「野党は感情的ですぐ怒る」「失点ねらいでどうでもいい追及に時間を費やし、大事な問題を取り上げない」――そういった印象操作が、この間、繰り返されてきた。そのことは、政治にうんざりする人を増やしただろう。政治報道や国会報道を見てもイライラするだけだから、見たくない、という人を増やしただろう。

 それは、政府与党にとっては好都合な状況なのだ。実際に野党が何を指摘し、何を主張し、野党と政府与党、どちらの主張がもっともであるかをみずから判断する人が増えるならば、野党に投票する人も増えるだろう。それは、政府与党にとっては望ましい事態ではない。国民には、政治にうんざりして、目をそむけていてくれた方がよいのだ。

 今回、組織委員会の会長の座を降りることを余儀なくされた森喜朗氏は、首相であった2000年夏に、衆議院選挙の投票日5日前に講演でこういう発言をおこなっていた。

「まだ決めていない人が40%ぐらいある。そのまま(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかない」

 今でも自民党の方々の有権者に対する見方は、似たようなものだろう。

 国会の実情が見えないように、政治の実情が見えないように、政府与党やその支持者によって、厚く煙幕が張られている。その現状を認識した上で、その煙幕の向こうにある政治の実情、国会の実情に国民の目が向くためには、どういう言葉遣いが必要であるかを、政治報道に携わる記者の方々には考えていただきたいのだ。

◆「野党は反発」の見出しは控えて

 具体的に提案しよう。見出しに「野党は反発」という表現は控えてほしい。見出しの「野党は反発」は、「野党は反対ばかり」という印象を強化することにつながる。ツイッターにその見出しが流れてきても、クリックして中身を読んでみようとは思わず、「何やってんだ、野党は」といううんざり感を高めるだけにしかならない可能性が高い。

 「野党は反発」ではなく、見出しには、野党がなぜ政府に反対しているのか、何を主張しているのか、その論理を、少しでも見せてほしい。

 例えば下記の毎日新聞の見出しは、野党と政府の双方の主張が併記されている。

●衆院予算委 危機管理巡り、新旧首相舌戦 菅氏「官邸まで歩いて10分」/野田氏「公邸住まず意識欠如」(毎日新聞、2021年2月16日)

 下記の朝日新聞の見出しは、「反発」ではなく「紛糾」という言葉を用い、「紛糾」した原因は答弁側にあることが示唆されている。

●接待疑惑で委員会が紛糾 「調査中」盾に解明引き延ばし(朝日新聞、2021年2月15日)

 他方で、産経新聞の下記の記事の見出しは、野党はただ攻撃材料を探しているかのような印象を与える。

●野田元首相が予算委に 野党、五輪混乱や菅首相長男問題で攻撃(産経新聞、2021年2月15日)

 本文にも、「首相は17日から始まる新型コロナウイルスのワクチン接種を契機に、低迷する内閣支持率の回復に結び付けたい考えだが、野党は出はなをくじこうと躍起になった」とあり、まるで国会は支持率争いの場でしかないかのような書きぶりだ。

 また下記の時事通信の記事は、首相側の「反論」だけが記されており、菅首相が公邸に入居していないことをなぜ野党が批判しているのか、その論理が見えない。

●菅首相、緊急事態「しっかり対応」 公邸未入居、批判に反論

 記事を紙面ではなくデジタル記事で読む人が増えている現在、見出しに何を書くかは、読者がその問題をどう受け止めるかに、以前より強い影響を与えるようになっている。そのことも勘案し、限られた字数だからと「野党は反発」と安易にまとめることは控えていただきたい。

 また、本文に「野党は反発」と記す場合には、その「反発」の背後にどのような論理があるのかも、あわせて紹介していただきたい。そして、そこでは「反発」という表現がもっともふさわしいのか、別の表現の方がふわさしくはないか、この記事で取り上げてきた問題と照らし合わせて、考えていただきたいと願う。

◆辻元清美『国対委員長』の「はじめに」より

 最後に、辻元清美『国対委員長』(集英社新書、2020年)の「はじめに」から、この一節を引用しておきたい(太字は筆者)。

“脅迫を受けるたびに、心が痛み怒りが湧いてきます。しかしある意味、私にとって脅迫より辛い一言があります。

「野党がだらしないからなあ」と言われることです。

 そして「自分たちが声をあげても、どうせ変わらないでしょ」と無気力になって政治に絶望し、諦めてしまう人たちの姿を見ることが一番苦しいのです。そのたびに、今の政治に対するシニカルな風潮をつくっている責任が私にもある、とこの言葉を噛みしめています。

 テレビのワイドショーやネットニュースなどでは、センセーショナルな場面だけが繰り返し報道され、「また野党は審議拒否をしている」「大事なことがあるのにケンカしている場合か」などと、どっちもどっちのうんざり感が増幅される傾向があります。大半の人たちは、切り取られたワンシーンだけを報道で知るというのが現状です。インターネットのフェイクニュースで、真実が捻じ曲げられて伝えられることすらあります。

 なぜ、野党は審議拒否をするのか?

 そこには相応の理由が、それも政治の局面を変えていくための大きく深い理由があるのです。“

 私が、かつて自分でも用いていた「反発」という表現を用いることをやめ、「野党は反発」という言葉に違和感を抱くようになったのは、ここで辻元清美議員が語っている内容がよくわかるようになったからだ。一人一人の野党議員の質疑により目を向けるようになり、それらの議員が、何を背負って国会に臨んでいるか、何を訴えているかが見えるようになり、個々の議員の姿が、くっきりと人間として立ち上がってきたからだ。

 「野党は反発」と記者が書くとき、その記者にとって、その野党議員たちが安倍政権のもとでどのような状況におかれてきたか、見えているだろうか。ぜひ、見ようとしていただきたい。

<文/上西充子>

【上西充子】

Twitter ID:@mu0283

うえにしみつこ●法政大学キャリアデザイン学部教授。共著に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。働き方改革関連法案について活発な発言を行い、「国会パブリックビューイング」代表として、国会審議を可視化する活動を行っている。また、『日本を壊した安倍政権』に共著として参加、『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』の解説、脚注を執筆している(ともに扶桑社)。単著『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)、『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ)ともに好評発売中。本サイト連載をまとめた新書『政治と報道 報道不信の根源』(小社刊)も近日発売。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング