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飯田覚士 ボクシング界のたけし軍団は「考える力」でアイドルボクサーから本格派へ…後編

スポーツ報知 / 2024年6月25日 7時0分

ライバルの松島二郎に勝利した飯田覚士を報じた1994年3月14日付けのスポーツ報知9面

 飯田覚士をひと言で表現するならば、バラエティー番組から誕生した世界チャンピオンだ。飯田自身もそれを認めている。

「自分は『元気が出るテレビ』がなかったらプロボクサーにはなっていなかった。元々プロになろうなんて思っていませんでしたから。それを思うと本当に感謝しかないです」

 大学2年の時、日曜夜に見た日テレ系バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のエンディングで「ボクシング予備校」のスタートを知った。プロボクサーを目指す人材を集め指導してプロテストに合格させる企画。元WBA、WBC世界スーパーフライ級王者・渡辺二郎、元WBA世界ライトフライ級王者・渡嘉敷勝男がコーチを務め「世界チャンピオンに教えてもらえるのなら」と応募すると、出演が決定。そして一夜にして人生が一変する。

 「番組は日曜の夜で、1回目の放送が終わり翌日の朝に大学に行くため駅に行ったんです。放送の次の日だから、誰か気付く人がいるかなと、軽い気持ちでいたんですが、駅に着いたら何か変なんです。駅にいる人たちがみんな自分を見てこそこそ話している。『あれ、昨日出ていた人だよな』と。電車に乗っていると、学生たちがひと目見ようと同じ車両に移動して来るんです。月曜はパニックになりながら学校に行き、火曜になると駅のホームで自分が来るのを待っている人たちがいました。『もうダメだ』と仕方なく3日目からは乗る電車と時間を毎日変えたんです」

 すらりとした体軀に端正なマスクの飯田は番組のスタートから「ボクシング予備校」のスターになった。言わば番組が作り出したアイドルだ。放送回を重ねるごとに人気も上がり、まだプロにもなっていないのに知名度は世界チャンピオン級、人気はアイドル並みという存在になっていた。番組では飯田のライバルを作ろうと、指名され登場したのが元日本バンタム級王者の松島二郎(53)だ。2人はなんの因縁か節目、節目で対戦することになる。始めは番組内の江ノ島での公開スパーリング。スパーリングとはいえ、勝敗を決める内容にファン8000人が集まる。飯田は判定負けしても「たかがスパー」と意に返さなかったが、世間の反応は真逆だった。「すれ違う人、すれ違い人が自分を哀れんでるんです。『気を落とさないで』『次、頑張って』と声をかけられました」という。さらに番組内のトップの地位も松島に入れ替わった。

 2度目の対戦は2人がプロになった後の92年2月の全日本新人王決定戦。それぞれ新人王戦を勝ち上がり西軍代表となった飯田と東軍代表の松島が激突。「新人王がスタートした時は、東日本で松島くんがエントリーしたのは知っていましたが、当たるとしても2人とも勝ち上がって代表になることが条件。まさか本当に当たるとは思わなかった」そうだが、過去の番組内での関係性も加わり大盛り上がりをみせる。会場は世界戦でも使用する大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)が用意され、またしても8000人のファンが集まる。全日本新人王の試合順は体重の軽い階級からスタートして最後がミドル級というのがルールだが、飯田VS松島のゴールデンカードに2人が戦うスーパーフライ級をメインに抜てきする特例措置がとられた。飯田はリベンジを果たし、ラストとなる3度目の対戦は日本タイトルの王座決定戦。飯田が返り討ちにしスーパーフライ級のチャンピオンに輝くが、いずれにしてもこの松島の存在が飯田のボクサー人生において最も影響力を与えたライバルであり、友人でもある。

 飯田は番組放送中にプロテストを受験し合格した。それでも「プロボクサーになる気はまったくなかったんです。ライセンスを取ってそこで終わろうと思っていましたが、自分を取り巻く環境がそれを許さなかった。外に出ればサインだ、握手だ。かけられる言葉は『プロでも頑張ってね』という声を毎日、毎日、聞いているうちに引くに引けなくなってしまったんです。仕方ない、2年で芽が出なければ社会人として出直そう」。そう心に決め大学4年でプロの世界に飛び込んだ。

 他の選手とは大きく立場が異なるデビューとなった。通常ならば新人ボクサーは無名だが、飯田の知名度は既に世界チャンピオンクラスであり、明らかに人気先行型。「やっぱりこれは嫌でした」と言い、リングサイドからは「いよっ、たけし軍団」というヤジまで飛んだ。苦笑いを浮かべる時も多かったが、そんな時は必ず勝利という結果で声の主を納得させた。そして今となっては「たけし軍団は誇りです」と笑う。

 傑出した何かを持っていた存在ではなかった。他のボクサーより秀でていたものを何かひとつ挙げるとすれば、それは「考える力」だ。他の世界チャンピオンたちと比べ、ボクシングをスタートしたのも大学時代と極端に遅い。「体でボクシングを覚えるには時間が足りないことは分かっていました。だから使えるものはすべて使った」と、頭で足りない部分を補った。栄養学の本を読みあさり、テレビでいい情報が流れればすぐにメモした。練習日誌にはトレーナーに言われた言葉を一字一句漏らさずに書き残し、読み返す。そして「考える力」があったからこそ、たけしの言葉を最大のヒントにすることができたのだろう。

 飯田は現在、東京・中野に「飯田覚士ボクシング塾 ボックスファイ」というジムを主宰し、子供から大人まで楽しく体を動かし鍛えることを指導している。その中でキッズには「ビジョントレーニング」を柱に見る力を高め、考えながら体を動かすことを教えている。成功体験から生まれた飯田ならではの教室だ。(近藤 英一)=敬称略、おわり=

 ◆飯田 覚士(いいだ・さとし)1969年8月11日、愛知・名古屋市出身。大学からボクシングを始め、同4年の91年3月にプロデビュー。全日本新人王、日本チャンピオンを得て97年12月にヨックタイ・シスオー(タイ)を判定で下しWBA世界フライ級王座を獲得。2度の防衛に成功。99年2月に現役引退を発表。プロ戦績は25勝(11KO)2敗1分け。現在は東京・中野に「飯田覚士ボクシング塾 ボックスファイ」を主宰し子供から大人まで楽しい体作りを指導。ジム最寄り駅は東京メトロ・丸ノ内線方南町駅。

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