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【高校野球】札幌英藍が南北海道大会初出場に王手…超ラッキーボーイ・中村太耀が決勝打

スポーツ報知 / 2024年6月28日 6時35分

9回2死二、三塁、勝ち越し打を放ち塁上でガッツポーズする札幌英藍・中村(カメラ・島山 知房)

◆第106回全国高校野球選手権南北海道大会札幌地区予選 ▽Fブロック2回戦 札幌厚別1―3札幌英藍(27日・札幌麻生)

 名寄地区が開幕し7地区で18試合が行われた。札幌地区Fブロック2回戦で札幌英藍は札幌厚別との接戦を3―1で制し、夏は現校名で初の代表決定戦進出を決め、南北海道大会初出場に王手をかけた。同点の9回に8番・中村太耀(たいよう)左翼手(3年)が“不敗神話”継続となる値千金の決勝打。父が選手、監督として甲子園に出場している船尾一斗遊撃手(3年)も5回に先制打を放って勝利に貢献した。春の全道王者・北海は、センバツ出場時のエース・松田収司(2年)が復活登板し、初戦を突破した。

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 札幌英藍の「たいよう」が輝いた。同点の9回2死二、三塁。中村は、スイング直後に思わず頭を抱えた。「フライが上がってしまって、捕られるかなと」。二塁手後方への飛球となり、諦めかけた。しかし、全校応援の大声援にも後押しされた打球は右翼手との間にポトリ。走者2人が生還すると、塁上で両手を突き上げ「頭は真っ白でした」と破顔した。

 “持ってる男”が、また初戦で大仕事をやってのけた。この日の安打が公式戦2本目。初安打は春の札幌地区1回戦・札幌啓成戦で、当時も同点の場面での決勝打だった。試合や試験の前日に家の近くの南線神社に必勝祈願に行くのが恒例で、今回も26日に足を運び、さい銭箱に5円玉を納めて夏初戦へ。運も味方に付け、春に続くポテンヒットで試合を決めた。

 野球を始めたのは中学1年時。16年に日本ハムが日本一を達成した姿に影響を受けバットとボールを握った。小学校から競技を続けてきた選手に追いつくことは容易ではなかったが、花田幹監督(50)が「真面目に真面目に一生懸命やる子」と評価するように、地道な努力で差を埋めてきた。昨秋の地区1回戦では簡単な飛球を落球。「自分がいたら勝てない」と退部の二文字が脳裏をよぎることもあったが、「やり切ろう」と心を入れ替え、最後の夏に自らのバットで学校の歴史を塗り替えてみせた。

 05年南大会出場の札幌篠路と札幌拓北が統合して13年に誕生した同校。現校名での同大会出場はない。次の相手は今春の全道大会に出場している札幌大谷。両親から「太陽のように明るく輝かしい人生を送ってほしい」という思いを込めて名付けられた名前の通り、代表決定戦でもチームに“勝利の光”をもたらす。

(島山 知房)

 〇…札幌英藍の船尾が父譲りの野球センスを披露し、攻守で躍動した。5回2死から左越えの先制適時二塁打。遊撃手としても無失策で3度の守備機会をこなした。父・隆広さんは函館有斗(現・函館大有斗)の選手として2回(87年夏、88年春)、札幌大谷の監督で2回(19年春、22年夏)、計4度の甲子園に出場。毎日のように家で指導を受けてきた。父が今年3月まで監督を務めた札幌大谷戦に向け「最後に当たりたいなと(父と)ずっと話していた。勝機はある」。待ちに待った一戦に臨む。

 〇…北海は松田が97日ぶりに公式戦で登板し、1回1/3を2失点(自責0)。「制球をもっとよくしないといけない」と課題を口にした。3月のセンバツ・大阪桐蔭戦で右肘じん帯を損傷。春季大会はベンチから外れ、治療に専念してきた。5月に再度右肘を痛めて復帰が遅れたが、回復して夏は背番号20でベンチ入り。「状態は7割くらい。また全部投げられるようになってチームに貢献したい」と力を込めた。

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