鈴木忠平さん、「読者に一番近い場所に立って描いた」…「嫌われた監督」の作者が次に選んだテーマは将棋だった
スポーツ報知 / 2024年7月1日 12時0分
元中日ドラゴンズ監督・落合博満氏を描いた「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」がヒットした鈴木忠平さん(47)が次に選んだテーマは、将棋だった。「いまだ成らず 羽生善治の譜」(2310円、文芸春秋刊)では羽生善治九段(53)を中心に、盤上で戦う棋士たちの人生の物語がつづられている。(瀬戸 花音)
―どんな棋士にも一手一手にその棋士だけの個性やストーリーがあり、人々はそれを求めているのだと―
この本につづられた一文であり、この本を象徴する一文でもある。将棋を描いた本でありながら、ほとんど将棋の手を表す符号が出てこない。それなのに、棋士がその一手にかける思いが、痛いほどに伝わってくる。
鈴木さんは特別将棋に触れてきたわけではない。だからこそ、「自分は一番輪の外側、むしろ読者に一番近い場所に立って、将棋を描いた」という。スポーツライターとして活動してきた鈴木さんをひきつけた将棋の魅力は何だったか。
「将棋って野球に比べて、身体表現が少ない。だからその分、内面の動きが激しく、重たい。書き手として何かを描く上で、もっとも大事なのが人の内面の動きだと思っているので、その重さにひきつけられたのだと思います」
鈴木さんが将棋と出会ったのは幼少期だった。お酒を飲まない父が、その代わりのように、コミュニケーションツールとして将棋を指していた。小学生の時、父が見ていた将棋番組で、羽生が盤をにらんでいる姿を見た。「人間ってこんな顔するんだ」。その最初の驚きが潜在的に残っていたという。
「自分は大体一つ本を書いたら、そこで使った資料を整理するんです。要らないものは処分したり。だけど、一度、『Number』という雑誌の将棋特集をやった時に使った羽生善治全局集だけは何だか、捨てられなくって。ずっと本棚に残していた。それで今回のお話を頂いた時に、やっぱり自分の将棋への潜在的な関心に気づいたんです」
中でも、最もひきつけられるのは、投了の瞬間だという。「負けました」というセリフは同書の中で20回近く出てくる。本来なら、「重複を避ける」のが本を書く鈴木さんのセオリーだが、この言葉はあえて、残した。
「自ら勝敗を決する競技ってあまりないなと思うんです。例えば、野球だったら口に出さなくても『あの人がエラーしたから』とか『監督が采配ミスしたから』と思って自分を次にまた向かわせることもできると思うんですが。将棋の敗北の重さってちょっと他にないなと。監督もコーチもキャディーさんもいない。誰のせいにもできず、自ら『負けました』っていうのってすごく重いと思うんです」
今の将棋界は藤井聡太七冠=竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖=を中心に回っているといっても過言ではない。それでも、鈴木さんはこの本の主人公を羽生にすると決めた。それも、羽生が順位戦でA級から陥落した2022年2月4日からストーリーは始まっている。
「自分はスポーツの世界に長く携わってたんで、やっぱり若くて輝いている時ってみんなあるんですよ。だけど、一番本当に崇高に光り輝くのは、限界が見えた時にそれでも青年性を失わない姿だと思うんです。だから、50歳になった羽生さんがそれでもタイトルを目指して戦っている姿を書こうと」
鈴木さんは、学生時代、サッカーW杯の取材に憧れ、記者を目指した。スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当を務めた後、独立した。鈴木さんの書く本はノンフィクションでありながら、どこか小説のようだ。人の心に響くような書き味を感じるからこそ、ノンフィクションというのが「制限」に感じることはないのかと尋ねた。
「制約と感じることはあります。やっぱり、こうであったらいいのにみたいな考えは浮かぶんですよ。でも、現実ってそうじゃない。取材対象が自分が知りたいことを教えてくれないことも、覚えてないこともありますし。だけど、だからこそいいっていうか。自分の思いどおりにできたら多分、どっかで見たことあるようなものになるんじゃないかな。だから、結果的に、ノンフィクションっていうのは制約であり、軸なんです」
これから、フィクションを書こうと思っている。だがそれは小説ではない。「ノンフィクションで書くということは、自分が書いたイメージによってその人を縛りつけてしまう場合もあるんです。だから、パブリックイメージが定着していない舞台裏の人を書く場合は、フィクションとして仮名で描く方が、よりリアルになると考えています」
これからも人間の物語を描く。「血のたぎるような体験をしていきたい。自分が生きていく中で、ぶつかる体験を伝える。それを取材というのかもしれません」。今回は、将棋にたぎった。次は何だろうか。
◆鈴木 忠平(すずき・ただひら)1977年、千葉県生まれ。47歳。名古屋外大卒。日刊スポーツ新聞社で中日、阪神などプロ野球担当記者を16年経験し、2016年に退社。19年までNumber編集部に所属し、フリーに転向。21年に刊行した「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」でミズノスポーツライター賞最優秀賞、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社本田靖春ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。
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