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負傷で無念の五輪落選 それでも走り続ける32歳・山縣亮太 「持っている可能性を限界まで引き出すことをしないと納得感がない」

スポーツ報知 / 2024年7月2日 4時0分

山縣亮太

 パリ五輪に向けたウェブ連載「Messages for Paris」の第17回は、五輪代表を逃した陸上男子100メートル日本記録保持者の山縣亮太(セイコー)に焦点を当てる。21年に右足を手術してから今大会を目標にリハビリや練習に励んできたが、右足違和感などを理由とし、5月16日に断念を発表した。現役続行に強い意志を持つ日本男子短距離第一人者が、モチベーション維持や競技への思いを語った。

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 大きな決断を口にするようには見えなかった。5月16日のオンライン会見。その冒頭で、山縣は淡々と話した。「2024年の3月頃から右足に違和感があり、現在まで万全な状態で走ることができていない。そういった状態の中で試合に出場してベストパフォーマンスを発揮するのは難しいと判断した」。パリ五輪の参加標準記録(10秒00)を突破できず、世界陸連のランキングでターゲットナンバーに入っていない。最後の代表選考を兼ねる日本選手権(6月27~30日、新潟)の欠場を余儀なくされ、パリ五輪への道に幕を下ろした。

 簡単な決断ではなかった。12年ロンドン五輪は100メートルで準決勝進出。16年リオ五輪では100メートルで準決勝に進み、400メートルリレーでは1走で銀メダル獲得に貢献した。21年東京五輪は日本選手団全体の主将として臨み、日本の顔としてチームを引っ張った。ただ、100メートルの結果は10秒15。準決勝に進めなかった。21年秋、パリ五輪を本格的に目指す上で、20年7月頃から痛みを感じ始めていた右足を「しっかり治そう」と手術による完治を目指した。

 22年シーズンは休養し、昨シーズンは10秒12まで記録を伸ばした。冬季も練習に取り組み、今年1月の沖縄合宿のウエートトレーニングでは日本新を樹立した21年6月と同じ重量を持ち上げた。自らに課す設定タイムも速くなり「質の高い練習を継続できている」と手応えも感じていた。しかし今回、シーズンインしても、初戦の10秒34から記録は伸びなかった。4回目の五輪切符に届かなかった。「この(パリ)五輪のために、3年間頑張ってきた」とし、「今は喪失感もすごく大きいです」と続けた。

 決定的に足が動かなくなったわけではない。「10秒5くらいで走れる状態ではありますが、個人的に、そういう世界でやっているわけではない。10秒00のその先にいかないと日本代表にはなれません。5月から6月末に10秒00まで持って行くトレーニングのイメージが全くできませんでした」。手術を受けてからは体の土台から作り上げ「長い時間をかけてベースアップした」と最大のパフォーマンスを引き出す準備を、確実に進めていた。

 同じ状態でも、日本選手権に最後の望みをかけて出場する選手がいてもおかしくない。五輪に3大会出場したベテランは、自身の状態と、五輪選考ラインをよく分かっていた。ベストパフォーマンスを求めてきたからこその、決断だった。

 現状、けがの原因や治療方法が分からず「非常にモチベーションを保つことは難しい」と言ったが、この段階で「引退」という言葉を口にしなかった。逆に、走り続ける理由は「自分に与えられた可能性を追求すること」「やり切りたい」と明瞭に明かした。

 陸上選手の引退理由として「けが」「モチベーション低下」という言葉をよく聞く。どちらにも当てはまるが、山縣はまだ記録が伸ばせる感覚がある。21年6月に追い風2・0メートルで9秒95を記録し、日本記録保持者になった。しかし「自分の持っている力を出し切れた一本ではなかった」と振り返る。実はこれまでの競技人生で一番感触が良かったのは、18年9月、無風で10秒01をマークした時。「その時の自分を超えられてない。これから続ける以上は超えていかなければ意味がないというか、自分の中で成長を実感できない。まだできると思っているから、競技を続ける気持ちがあります」。

 自己ベストを更新していく過程には、いつもけががあった。「そのたびに(自分の)体にちょっとずつ詳しくなっていって、トレーニング方法を変えていったりとかする中で着実に成長してきました」。体を理解していくことで、自己ベストや9秒8が視野に入ってくる感覚もあった。「自分の体の持っている可能性を限界まで引き出すことをしないと、この体に生んでくれた両親のこともあるし、自分の中で納得感がない」。アクシデントさえもバネに変えて、まだまだ速く走れると信じて走り続ける。

 山縣はいつも、素直な気持ちを口にする。五輪に過去3大会出場してきたからこそ「思いは回を重ねるごとに大きくなっていった。30歳超えて、出場できるかもしれない五輪。絶対出たい、ここは逃せないという思いが強かった」と胸中を明かす。「時間かかるかもしれないですが、少しずつ前を向けたらいいなと思ってます」と続けた。

 根本には「走ること自体はもちろん好き」という感情がある。「自分の体はまだまだ動く。力も出せてるしパワーもついたなという部分もあるし、そういう意味でも体の衰えは感じてない」。目指すのは来年、東京で開催される世界選手権。「2025年に、全てを出し切って終わりたい」。日本短距離界の第一人者。可能性を信じた先にある再起を、多くの人が心待ちにしている。

◇山縣 亮太(やまがた・りょうた)1992年6月10日、広島市生まれ。32歳。鈴が峰小4年から陸上を始め、修道高(広島)時代の09年世界ユース選手権100メートル4位。11年慶大に進学。15年セイコー入り。五輪は12年ロンドン、16年リオ、21年東京の3大会連続出場。18年アジア大会100メートル銅メダル、400メートルリレー金メダル。21年6月の布勢スプリントで日本勢4人目の9秒台となる9秒95の日本新記録を樹立した。

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