太田りゆ 苦悩の「シンデレラガール」を支えた「ネバーギブアップ」の声がけ 「苦しくてもあきらめなかった」
スポーツ報知 / 2024年7月9日 4時0分
パリ五輪に向けたウェブ連載企画「Messages for Paris」の第18回は、自転車トラック種目の女子短距離の太田りゆ(日本競輪選手会)に焦点を当てる。中高時代は陸上競技で五輪を夢見たが、全国レベルで結果を出せず、大学時代に助言をきっかけに自転車競技に転向。「また夢を持てた」と苦難を乗り越えてきた。2021年東京五輪の補欠選出を経て、初めてつかんだ悲願の五輪切符。29歳のスプリンターは競技人生の「集大成」と位置づけて臨むパリ五輪へ「今までで一番いい走りを見せたい」を固く決意を語った。(取材・宮下京香)
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パワフルな走りで魅了するスプリンターが、悲願の五輪切符をつかんだ。6月に静岡県の日本競輪選手養成所で行われた五輪代表発表会見で、太田はパリ行きのチケットを手にすると、夢舞台への思いがあふれた。「競技人生の集大成という気持ちで、全力で向かっていきたい。楽しんで、パワフルな走りができるときが、私は強い。パリオリンピックでは、自分史上最高の状態で臨めるように、しっかりやっていきます」と言葉に力を込めた。
幼少時から体を動かすのが大好きなスポーツ少女だった。小学生時代はバスケットボールに励むかたわら、マラソン大会にも出場。中高時代は本格的に陸上競技に打ち込み、800メートルを専門とした。埼玉県の伊奈学園総合高時代には全国大会で活躍できる選手になれず、「厳しいかな」と挫折も味わったが、五輪には「スポーツしている誰もが目指したい、4年に一度の最高峰の舞台」と憧れを抱いてきた。
東京女子体育大に入学後、競輪に詳しい大学の先生から勧められたのが自転車だった。「ちょっとパワーマックスに乗ってみろ」と言われ、トレーニングルームで自転車をこいでみると「当時の日本代表と同じぐらいの数値が出た」という。体を動かすのが好きだったので、太田自身は転向を前向きに捉えている中、周囲からも「生かした方がいい」と背中を押され、大学在学中に日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)を受験。21歳だった16年に自転車の世界に飛び込んだ。
自転車に乗り始めてすぐに芽が出た。競輪学校に在学中から日本代表のブノワ・ベトゥ短距離ヘッドコーチ(現・テクニカルディレクター)の目に留まり、競技開始から約半年でナショナルチーム入り。卒業後の17年にガールズケイリンでデビューを飾り、日本代表で活動しながら、ガールズケイリン選手としても活躍し、すぐに注目を集める存在になった。
メディアから「シンデレラガール」と紹介され、明るいキャラクターで存在感を放った。テレビにも出演。露出に合わせて増えていったファンの応援はうれしかった。だが、目まぐるしく変わる環境に心がついていかなくなり「今まで普通にやっていたのに、急に注目を浴びて、いろんなことについて行けなくて」。重圧やストレスから円形脱毛症になり、精神的に追い込まれた時期も過ごした。
スランプを乗り越え、競技人生の転機となったのが東京五輪だ。初めて選考レースも経験。自国開催で日本の選手たちは特別な思い胸に必死にこいだが、女子の短距離はスプリントの枠が取れず、得られたのはケイリンでの1枠のみ。最後は一騎打ちで先輩の小林優香に敗れ、夢舞台に手が届かなかった。新型コロナウイルスの影響で1年延期された五輪は補欠として同行。首都圏の1都3県で行われた競技は、無観客試合だったが、静岡の伊豆ベロドロームでの自転車トラック種目は、上限を設けて観客が入った。
太田も客席から生で五輪レースを観戦。「先輩たちの姿、観客の表情、いろんなものを見て経験できた。やっぱり五輪に出たいなと思った」。一時は重圧にもストレスにも感じた勝負の世界。国を背負ってバンクで繰り広げられる競争に、観客が一喜一憂する姿を目の当たりにした。夢舞台への思いは強まった。
東京五輪が1年延期されたことで、パリ大会までは3年しかない。「一日も無駄にできない」。22年7月から選考レースは始まり、昨年6月のアジア選手権ではスプリントで連覇を達成。格付けが高い同年8月の世界選手権の女子ケイリンで日本勢トップの11位となり五輪出場へアピールした。選考レース終盤は、思うような結果を残せていなかったが、今年3月のネーションズカップ香港大会は9位と上位に食い込み「やりきった」と言った。日本がスプリントの枠も確保しての2枠の代表争い。結果でアピールし、日本自転車競技連盟による選考で初の五輪への道がひらけた。
パリへ五輪を目指す過程でも、世界選手権後は重圧に負けそうになり、苦しい時期もあった。そんなときは恩師のブノワ氏の言葉が、太田を支えた。「Never give up」。非常にシンプルなワードだが、どんな時もかけ続けてくれたことで心のお守りのようになった。
「泣きながら、うんうんと聞く時もあれば、(結果が出れば)誇らしげにだから、できたんだよねと。とにかく諦めないで歩み続けた。ブノアも言っていたが、“継続”という言葉が私にも当てはまっていて苦しくても(競技を)諦めなかった」。20歳を過ぎて出合った自転車への感謝の思いもこみ上げ「競技を変えてもまた夢を持てた。20代をささげて来られた」と言った。
パリ大会では、日本時間8月9日未明に決勝が行われる女子ケイリン、同11日のスプリントの2種目に出場予定。五輪閉幕後の同17日には節目の30歳を迎える。「パリは集大成の舞台。五輪が決まったら、五輪に出ることがうれしすぎて、それ以上のことを考えられなくなったら怖いなと思った。でもやっぱりここまで連れてきてくれたみんな、自分が歩んできた道のためにも、五輪でいい結果を残したい思いが強い。今までで一番いい走りを目指したい」と太田。応援してくれた家族や友達、ファンのために、夢舞台を駆け抜ける。
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