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小1ですでに輝くバスケセンス…富樫勇樹の父は小4で確信「将来、日本を背負う。こんな感性の子がいるんだ」

スポーツ報知 / 2024年7月18日 6時0分

父・英樹さん(右)と笑顔でツーショット(テレビ朝日「バスケ☆FIVE」提供)

 48年ぶりに自力での五輪出場権を獲得したバスケットボール男子日本代表は、史上初の8強入りを目指す。過去最多3勝を挙げ、歴史を変えた23年W杯から主将を務め、チームをけん引する富樫勇樹(30)=千葉J=へ、全国制覇もなし遂げた新潟の強豪・開志国際高監督で、中学時代の恩師でもある父・英樹さん(62)が活躍の願いを込め、エールを送った。

 小学1年でバスケを始めた富樫は、試合でいきなりの衝撃を与えた。コートに入ると、真ん中でぽつんと停止。小さな少年は1Qの6分間、全く動かなかった。「それくらいシャイで照れ屋だった。当時は『試合に出ろ』と言うと逃げ回っていた」。父は意外な幼少期を明かす。

 だが、練習で見せるセンスはひときわ光るものがあった。父ではなく、指導者目線でも「最初からうまかった。他の子とドリブルやシュートも全然違った」。小学4年の頃、それは「確信」に変わる。「『バカじゃねえか』と言われるけど、勇樹は将来、日本を背負うと思った」

 中学では父が監督の新潟・本丸中に入学。「勇樹は俺が左向けと言えば、右を向くようなやつ」。怒った日には、親子の険悪なムードに「周りの方が大変だったと思う」と今では笑って振り返る。そして、息子が見せる技術の高さには、指導しながらも何度も驚かされた。「自分の子だから言うんじゃない。こんな感性の子がいるんだと」。中学3年の息子と、初の日本一もなし遂げた。

 「努力型ではないな」と父。だが、一般的にアニメを見て喜ぶような幼少期も、富樫の楽しみはバスケだった。NBAから中高生の試合まで何でも見た。家に「山ほどある」というビデオテープを再生する父の手順を覚え、一人でも見た。「勇樹は映像を見て体現できる。特殊」。167センチと小柄でも、ブロックにくる相手をかわしてふわりとボールを浮かせて、高いアーチを描きながら放つ富樫の武器、フローターシュートは父の助言だ。「教えてはない。言っただけ。それだけでできる」。唯一無二の感性は、誰もマネすることはできない。

 息子は「自分よりチームが勝てばいいタイプ」。その姿勢は、今でも変わることはない。指導者として、五輪出場権を得た昨夏のW杯は「夢にも出てこない夢」。新たな歴史を作ったチームで息子は主将を担った。次は2大会連続のパリ五輪。「勇樹もそうだけど、指導者として思うことは、日本を世界にアピールできたら。『やっぱり弱いじゃん』じゃなく『もしかしたら』という姿を見せてほしい」。パリでもう一度、世界を驚かせる。(小林 玲花)

 ◆富樫 勇樹(とがし・ゆうき)1993年7月30日、新潟県出身。30歳。本丸中から米モントロス・クリスチャン高に進学。2014年にNBAマーベリックスと契約し、その後傘下のレジェンズでプレー。15年に現・千葉Jに入団。Bリーグでは19年にMVP受賞。19年6月にはBリーグ日本人初の1億円プレーヤーとなった。21年東京五輪代表。23年W杯は主将として、日本代表のパリ五輪出場権獲得に貢献。167センチ。

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