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「ツキもあったんだね」巨人“塀際の魔術師”高田繁さん 3割超での2軍降格も2日で1軍復帰した理由

スポーツ報知 / 2024年7月19日 5時5分

1968年、阪急との日本シリーズ第4戦後の宿舎で、夕食を楽しむ(手前から)金田、高田、長嶋

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第7回は高田繁さん(78)の登場だ。俊足巧打に加え、卓越した左翼の守りは“塀際の魔術師”と称され、V9の大きな推進力となった。三塁への常識破りのコンバートも成功させた名バイプレーヤーの、「喜怒哀楽」の記憶をたどった。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 オレは短気だからね。怒ったり腹が立ったりするのはしょっちゅうある。だいたいはすぐ忘れちゃうんだけど、ひとつだけ覚えていることがある。

 あれは1年目の6月中ごろだった。広島遠征が終わっていきなりマネジャーに言われたのは「多摩川に行け」。つまり2軍落ちだ。それまでの打率は・321。ルーキーとしては合格点だよね。最初はナイターの前に多摩川で練習しろ、って意味かと思って、2軍なんて全く頭になかった。川上監督はマスコミには「基本から狂ってしまっている」なんて言っていたけど、直接には理由なんて説明してくれない。何でオレが落ちるの?って全然納得できなかった。モヤモヤした気持ちを抱えて、言われるままに多摩川で練習していた。

 理不尽にも見えた2軍生活の意図が分かったのは、ずいぶん後になってからだった。オレのスタートが順調すぎたから、監督や、牧野茂守備・作戦コーチが、一度鍛え直すチャンスを狙っていたらしい。戦力的にも当時の巨人は余裕があったから、将来を考えて、しっかり2軍で仕込む時間をつくろう、ということだね。牧野コーチは陰で2軍のコーチに「高田はふてくされてないか」なんて聞いていたらしい。

 それが、2軍に落ちて2日後、ライトの国松彰さんがデッドボールで足をけがしちゃってね。1軍に呼び戻されることになって、そこからは不動のレギュラーになれた。

 10日も1か月も2軍にいたら、短気なオレのことだから冗談じゃねえ、もうええわってなってね、正直、その後の野球人生もどうなってたか分からない。国松さんには申し訳ないけど、ツキもあったんだね。

 ◆高田 繁(たかだ・しげる)1945年7月24日、鹿児島県生まれ。78歳。浪商高(現・大体大浪商)から明大に進み、67年ドラフト1位で巨人入団。68年に新人王。69年から4年連続ベストナイン。80年引退。85年から4年間、日本ハム監督。巨人の1軍コーチ、2軍監督、日本ハムGMを歴任し、08年から10年途中までヤクルト監督。11年12月にDeNAの初代GMに就任し、18年まで務めた。現DeNA本社フェロー。現役時代の背番号「8」から「エイトマン」の異名も。右投右打。

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