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【阪神】「奇跡のバックホーム」横田慎太郎さん死去から1年 元専属トレーナー「忘れることは一生ない」

スポーツ報知 / 2024年7月19日 5時0分

横田さんと食事を楽しむ土屋明洋氏(本人提供)

 元阪神の横田慎太郎さんが脳腫瘍のため28歳で亡くなってから、18日で1年となった。最初に病が発覚した2017年から、専属トレーナーとして復帰を目指す過程を支えたのが土屋明洋氏(47)。現在は兵庫・芦屋市でトレーニングジム「COUGS(クーグス)を営む土屋氏が一周忌にあたり、天国にいる「ヨコ」への思いを寄せた。(中野 雄太)

 在りし日の姿を思い浮かべると、今も胸に熱いものが込み上げてくる。横田さんが28歳の若さでこの世を去ってから1年。土屋氏は「早いもんだね。ヨコが亡くなった日が自分の誕生日の次の日。忘れることは一生ない」と空を見上げた。

 脳腫瘍が判明して手術が行われた17年。横田さんの復帰を後押しするため球団トレーナー陣が話し合い、当時2軍の担当だった土屋氏が専属トレーナーを任された。当初は病名が公表されておらず、一部の関係者しか知らない状況。「最初はチームにも内緒で週に2回、病院に行って理学療法士さんと一緒にリハビリをやってたな…」と振り返る。

 横田さんは同年9月に兵庫・鳴尾浜の選手寮「虎風荘」に帰寮。まず歩行から始め、キャッチボールにはゴムボールを使用した。日々のメニューから復帰プログラムまで全てを土屋氏が作成し、二人三脚で再起を目指した。「本人の努力、やる気により、身体的には半年くらいで病気をする前の状態に戻った」。後遺症の視力低下を補う特殊レンズのサングラスを作るなど、ありとあらゆる手を尽くした。1軍復帰はかなわかったが、引退試合として臨んだ19年9月のウエスタン・ソフトバンク戦では、中堅から本塁へのノーバウンド送球で走者を刺し、「奇跡のバックホーム」と語り継がれるようになった。

 横田さんは19年限りで現役引退。土屋氏はその前年に退団して独立開業したが、その背景の一つには、横田さんを支えた日々の経験があった。「ヨコのリハビリで病院に通っている時に、他の患者さんもたくさんいてね。そういう人たちを何かサポートできないか…と思った。若い子の体づくりというより、本当に困っている人の力になりたいと」。開業したジムでは「100歳まで動けるカラダづくり」をテーマに、高齢者などの指導にあたる。

 土屋氏は自身の退団後も、横田さんと連絡を取り続けた。亡くなる直前にも会いに行った。「もうちょっと何かやってあげられたんじゃないか。今でも思うよ」と、無念が消えたわけではないが、新たな人生のきっかけを与えてくれた横田さんに伝えたいのは、感謝の一言だ。「ヨコと出会えたから、今があるのかな」。心の中には今も、明るい笑顔の横田さんが生き続けている。

 ◆土屋 明洋(つちや・あきひろ)1977年7月17日、名古屋市生まれ。47歳。米ワシントン州立大学でNATA公認アスレティックトレーナーの資格を取得し、12年から阪神の1軍トレーナーとしてチームに帯同。16年から2軍を担当した。18年限りで退団し、19年2月にCOUGSを設立。阪神・岩崎らプロ野球選手のオフ期間の自主トレのサポートも行っている。

 ◆横田さんの闘病経過 17年2月の春季キャンプ中に脳腫瘍が判明。半年間の入院治療で「寛解」と診断されて退院し、同年9月の帰寮時に病名が公表された。翌18年からは育成契約で復帰を目指したが、19年シーズン限りで引退。同年9月26日、2軍戦で引退試合が行われた。引退後も講演会などで前向きに生きる姿を発信。20年9月からは脊髄の腫瘍を患い、半年間の入院生活で回復したことを21年4月に公表していたが、昨年7月18日、28歳で死去した。

 ○…梅野が同期入団の横田さんの命日に決意を新たにした。「初心を忘れず。全力疾走とか、そういうスタイルを横田が持っていた。ちょうど1年ですが、自分を律することを思い出させてくれる強い存在」と胸に刻んだ。球団の生え抜きでは初となる捕手での1000試合出場にも王手。19日の広島戦(甲子園)での到達が濃厚だが「今まで達成されなかったことを達成できるのはうれしいけど、やっぱり1試合目が忘れられない」と原点に帰った。

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