1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

高校時代の約束が実現した五輪レスリング「2人で金メダル」誓ったグレコ&フリーの両エース

スポーツ報知 / 2024年7月21日 7時0分

所属先の「ミキハウス」のロゴが入ったトレーナーを着て笑顔の文田(右)と樋口(カメラ・小林 泰斗)

 レスリング男子でグレコローマンスタイル60キロ級の文田健一郎(28)、フリースタイル57キロ級の樋口黎(28)=ともにミキハウス=は、高校時代に2人で五輪の舞台に立つことを約束していた。樋口は16年リオデジャネイロ、文田は21年東京大会に出場して銀メダル。すれ違ってきた五輪で、念願の“初競演”が実現する今夏、両スタイルのエースが雪辱の金メダルを誓った。

 青春時代に語った夢が現実になった。13年9月7日。高校3年生だった文田(山梨・韮崎工)と樋口(茨城・霞ケ浦高)は翌日の日体大のAO入試に備えて、同じホテルに宿泊していた。その夜、2人でカラオケに繰り出した。20年夏季五輪の開催都市が選定される直前。話題は自然と自国開催の可能性に向いた。文田が言った。

 「東京五輪が決まるかもしれない。(年齢も)24歳でちょうどいい。2人で出られたら最高だな」

 数時間後、東京開催が決定した。

 ともに日体大で鍛え、先に五輪を経験したのは樋口だった。20歳で16年リオ五輪に出場し、銀メダルを獲得。誰もが東京での活躍を思い描いた。日本で応援していた文田も振り返る。

 「『東京は自分も』という気持ちになった。2人で出るんだろうなと思っていた」

 だが、約束のマットに並び立つことはかなわなかった。樋口はアジア予選でわずか50グラム超過で計量失格するなど減量に苦しみ、東京五輪代表を逃した。一方、文田は17、19年の世界選手権を制覇。優勝候補として初五輪に臨んだが、決勝で敗れ、悔し涙を流した。自宅のテレビで見守った樋口は唇をかんだ。

 「優勝するだろうなと思っていた。どれだけ金メダルに近い選手でも100%はないんだと感じた」

 東京五輪では誓いを果たせなかったが、パリ五輪の切符は2人でつかんだ。フリーとグレコでスタイルは違うが、共通項も多い。同じミキハウスに所属し、卒業後も日体大を拠点に高め合ってきた。ともに東京五輪後に結婚し、第1子も生まれた。

 文田「妻と娘を五輪に連れていってあげたいという思いは、東京までにはなかったもの。それはすごく自分を伸ばした部分」

 樋口「競技に対する姿勢は変わらないけど、楽しく生活が送れている。ものすごくプラス」

 ともに初五輪は銀メダルだった。

 樋口「僕がリオに出て、彼は東京に出て、今度は一緒にパリに行く。2人で金メダルを取って帰ってくるのがベスト」

 文田「ここで2人で金メダルを取るのが一番きれいな形。そこまで取っておいたのかな、と思っている」

 今度こそ友情の金メダルを首にかけ、花の都で喜びを分かち合う。(林 直史)

 ◆文田 健一郎(ふみた・けんいちろう)1995年12月18日、山梨県出身。28歳。ミキハウス所属。出場種目はレスリング・グレコローマンスタイル60キロ級。韮崎工、日体大卒。五輪は21年東京銀メダル。17、19年世界選手権金メダル。そり投げが得意で愛称は「猫レスラー」。168センチ。

 ◆樋口 黎(ひぐち・れい)1996年1月28日、大阪府出身。28歳。ミキハウス所属。出場種目はレスリング男子フリースタイル57キロ級。茨城・霞ケ浦高、日体大卒。五輪は16年リオ銀メダル。23年世界選手権銀。愛称は好物が由来の「マカロン王子」。164センチ。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください