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パリ五輪バドミントン女子ダブルス代表・志田千陽…住職の父・憲昭さんが語る強さの秘密…東北からエール パリへ届け

スポーツ報知 / 2024年7月21日 9時37分

五輪出場時にもらった「秋田発パリ行き」の特大チケットを手にする志田憲昭さん(カメラ・岩崎敦)

 パリ五輪バドミントン女子ダブルス代表の志田千陽(27)は、松山奈未(26)=ともに再春館製薬所=とのコンビで初のメダルを狙う。秋田・八郎潟町の清源寺で住職を務める父・憲昭さん(58)が強さの秘密を明かした。

  志田は小学生になる直前の冬からバドミントンを始めた。運動神経は抜群で、長距離走も短距離走も速かった。憲昭さんは「最初はシャトルに当たらない子がほとんどだけど、千陽はすぐに打てた。あの年齢にしてはセンスがあったと思いますね」と振り返った。

 小1の最初の試合でバドミントン経験者に負けたが、それ以降は県内で無敗だった。5年生で年代別代表に選ばれ、中学は親元を離れて青森山田中へ。「本人がやる気満々なので寂しくはなかったですね」とはいえ、家に帰ってくるのはお盆と正月だけ。「練習は厳しかったですね。中学生は1学年上に1人しかいなくて、他は全部高校生。そこで本格的に全国レベルを経験したんでしょう」。中学以降はダブルスに専念して世界を目指した。

 パリ五輪選考レースは永原和可那&松本麻佑組(ナガマツ)、福島由紀&広田彩花組(フクヒロ)と三つどもえの激戦。「調子が悪くてもコートに立ったらチームの代表。だらしない試合はするな」という父の教えを体現して戦った。海外転戦が続いたが食事の好き嫌いは全くなし。小さなころから故障とは無縁の強い体で五輪切符をつかんだ。

 八郎潟町は72年ミュンヘン五輪レスリング・柳田英明、88年ソウル五輪レスリング・佐藤満と2人の金メダリストを輩出。現在は町内の至る所に志田のポスターやノボリが飾られている。「私もよく声をかけられますよ。(住職として)葬式に行ったら『良かったね。頑張ってきてください』と言われました」と苦笑いするほどの注目度だ。

 五輪は妻・裕子さん(58)、姉・裕喜子さん(29)と一緒に現地で応援する。海外で試合を見るのは初めてだ。「粘り強く、最後まで食らいついていくようなバドミントンをしてほしいですね」。以前は多忙で、ほとんど家族旅行には行けなかった。親孝行の晴れ舞台が、もうすぐ始まる。

(岩崎 敦)

 ◆志田 千陽(しだ・ちはる)1997年4月29日、秋田・八郎潟町生まれ。27歳。6歳からバドミントンを始める。松山とは2014年から国際大会でペアを組み、15年世界ジュニア女子ダブルス銅メダル。青森山田高卒業後の16年に再春館製薬所入社。20年に日本A代表となり、21年ツアーファイナル準優勝。22年全英オープン優勝。家族は両親と姉、弟。162センチ。

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