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スポ根番組で作った国民的ムーブメント…ミュンヘン五輪男子バレー金メダルの奇跡<3>

スポーツ報知 / 2024年7月28日 12時0分

1972年9月11日 ミュンヘン五輪男子バレーで優勝して胴上げされる松平康隆監督

 パリ五輪で世界ランク2位の男子バレー日本代表は石川祐希、高橋藍ら充実戦力を有して金メダル獲得に挑む。日本が五輪の頂点に立てば1972年ミュンヘン五輪以来52年ぶりとなる。松平康隆監督が率いた半世紀以上前の日本代表の“秘話”を、スポーツ報知が「あの時」と題して2016年に掲載した連載を再録する。(全5回の第3回)

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 TBSテレビ系列で「ミュンヘンへの道」が始まったのは72年4月23日だった。実写とアニメを組み合わせたドキュメンタリーで、血だらけでレシーブを克服した南ら、選手のエピソードを交えたストーリーだった。松平監督は、ミュンヘンで金メダルを獲得するためには、国民的なムーブメントが必要だと考えていて、その総仕上げだったのだ。

 その前には、少女雑誌に売り込みをかけ、選手たちの特集で、女性ファンが急増。さらに、当時NO1の発行部数を誇った「少年マガジン」の表紙を飾り、10代の人気を拡大していた。

 「―の道」は春から放送し、終了する頃に優勝するという今考えると、とんでもない企画だったが「私の言動から負けたら袋叩きに遭うのは目に見えていた。金メダルを取れなかったら日本には帰らないつもりだった」と、松平は退路を断つ決意だった。その企画のためには、自らスポンサーを探さなければならなかった。訪ねたのは菓子メーカーの不二家。同社が以前、「サインはV」という女子バレーの人気スポ根ドラマのスポンサーだったからだ。

 だが同社は当初、難色を示した。「社長が男子バレーはあまり好きじゃないと言われたので、じゃあ、試合を見に来てください。15歳から20歳くらいまでの女性で超満員になるからと」。松平は、五輪前年に東京体育館での日ソ対抗に、不二家の社長を招待。同社がチョコレート等の購買層とピタリと合うファンの歓声に、松平の思惑通りとなった。

 視聴者は「―の道」に引き込まれていった。例えば、大古の回では、松平がコートの長さと同じ9メートルを倒立で歩くことを選手全員に課す。できなければ、メキシコ五輪(68年)メンバーから外すという中、大古だけができず、期限の日を迎える。練習後、1人だけのチャレンジとなった。最初は「早く終わって遊びに行きたい」と冷ややかに見ていた他の選手が、何度も失敗しながら繰り返す大古の姿に「頑張れ」と声を上げるようになり、1時間半後に成功。体育館が拍手で包まれるなど、選手の金メダルに懸ける情熱が、お茶の間に浸透していった。

 森田は「当時、スポーツ選手がこういう形でテレビに出るということは考えられなかった」と話した。視聴率は徐々に上がり、7月には14・8%(ビデオリサーチ調べ)をマークした。松平が国民的な盛り上がりを築き上げていく中で、選手たちは金メダルへのウルトラCを完成させていた。(久浦 真一)=敬称略=

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