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園まりさん死去、中尾ミエ、伊東ゆかりと「3人娘」で国民的人気 10月「歌謡祭」で復帰目指すも叶わず

スポーツ報知 / 2024年8月2日 5時30分

ステージ復帰を目指していたという園まりさん

 ヒット曲「逢いたくて逢いたくて」などで知られる歌手の園まり(その・まり、本名・薗部毬子=そのべ・まりこ)さんが7月26日午前5時43分、急性心不全のため都内の病院で死去した。80歳だった。1日、日本歌手協会が発表した。同協会などによると、園さんは春ごろから入退院を繰り返していた。通夜、告別式は園さんの意向で近親者のみで執り行った。

 ささやくようにしっとりと歌う独特の“園まり節”で親しまれた園さんが、静かに息を引き取った。

 所属事務所によると、園さんは体調不良のため、昨年10月の「日本歌手協会第50回歌謡祭」の出演を取りやめ入院。今年春ごろから入退院を繰り返し、7月1日に転院した。病床では「歌謡祭のステージに立って、『逢いたくて逢いたくて』を歌うんだ」と意欲をみせ、今年10月の歌謡祭での復帰を目指していたという。亡くなる前日の25日も親族と元気に会話していたが、翌26日未明に容体が急変した。

 生前、周囲に「亡くなった時の顔を見られるのは悲しい」と語っており、密葬で執り行った。園さんは生涯独身。亡くなった弟の妻が喪主を務めた。

 31日の告別式では「3人娘」の中尾ミエ(78)、伊東ゆかり(77)らが弔辞を読んだ。2人は7月21日に見舞いに訪問。3人で衣装、アクセサリーの整理について話し合った。棺(ひつぎ)には花と写真、コンサートのパンフレットが納められ、出棺の際には「逢いたくて―」、最後のシングル「もう一度逢いたくて」が流れた。

 園さんは1956年、11歳の時に本名の薗部毬子名義で童謡歌手としてデビュー。62年に渡辺プロダクションに入社し、「鍛冶屋のルンバ」で本格デビューした。同じ事務所の中尾、伊東と共にスパーク3人娘を結成し、テレビ番組「スパークショー」でブレイク。ドラマ「レッツ・ゴー三人娘」が放送されるなど、国民的人気となった。

 ソロでは64年に「何も云わないで」が大ヒット。「逢いたくて―」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」などミリオンセールスを連発。93年には匿名で歌ったハウス食品「六甲のおいしい水」のCM曲が話題になった。

 2008年に乳がんを発症し手術を受けたが、19年に再発。闘病生活を続けながら、「3人娘」のコンサートやテレビ、ラジオに出演した。

 日本歌手協会は8月21日にBSテレ東「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」(水曜・後5時56分)で、園さんの歌唱シーンを含めた特別番組を放送する。

 ◆園 まり(その・まり)本名・薗部毬子(そのべ・まりこ)。1944年4月12日、横浜市出身。幼少期から少年少女合唱団で活動。NHK紅白歌合戦に63、64年に3人娘、65~68年にソロで6年連続出場。マルベル堂のブロマイド・女性歌手売り上げで2年連続1位。日活黄金時代のスクリーンでも活躍。94年に休業。2003年に音楽活動再開。19年日本レコード大賞功労賞。

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