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村尾三四郎「銀では終われない」5歳からの決意胸に母の母国で再び目指す金メダル…パリ五輪

スポーツ報知 / 2024年8月1日 22時55分

金メダルを逃し、涙を流す村尾(カメラ・小林 泰斗)

◆パリ五輪 第6日 ▽柔道(31日、シャンドマルス・アリーナ)

 31日の男子90キロ級で、初出場の村尾三四郎(23)=JESグループ=が銀メダルを獲得した。初戦から3試合を一本勝ちしたが、決勝は東京五輪覇者のラシャ・ベカウリ(ジョージア)に惜敗。5歳から懸けてきた五輪制覇への思いを柔道担当の林直史記者が「見た」。女子70キロ級で世界女王の新添左季(28)=自衛隊=は準々決勝と敗者復活戦に敗れ、この階級での日本勢3連覇を逃した。

 村尾は銀メダルを手に声を震わせていた。「柔道を5歳で始めてから、五輪で優勝すると夢を掲げてずっとやってきた。手の届くところでつかめなかった。本当に悔しい」。五輪覇者のベカウリとの決勝。先に技ありを奪ったが、激しい技の応酬の末、終了間際に逆転を許した。日本勢が苦戦してきた90キロ級での銀メダルは胸を張れる結果だが、悔しそうな表情がとても印象的だった。

 幼少期から五輪を夢見た。そうした選手は数多いが、村尾の場合は5歳の時から憧れではなく、明確にその舞台を意識してきた。父が日本人、母が米国人で「生粋の日本人に育てるために」との願いから三四郎と名づけられたという。名前に導かれるように、92年バルセロナ大会86キロ級銅メダルの岡田弘隆氏(57)が指導する「つくばユナイテッド」で柔道を始めた。練習場は筑波大。目の前で、日本代表として活躍する選手たちが練習する姿を見て「自分の夢につながっていった」と振り返る。

 幼稚園で「五輪で優勝する」と自ら口にするようになった。道場でも意識の高さは群を抜いていた。小学校に上がると、倒立で道場の端から端まで往復し、早朝にグラウンドで走った。父の考えで相撲や水泳、ラグビー、器械体操などさまざまな習い事を高いレベルで両立。全ては柔道につなげるためだった。岡田氏も「いろんな習い事の動きと体力を生かした、万能型のアスリートとして成長していった」と明かしてくれた。

 中学は自ら全国の強豪校を見て回って決めた。「ここの練習が一番きついから」と兵庫・灘中に柔道留学。柔道ノートには「俺は最強だ」と記した。五輪の頂点だけを見てきた競技人生。「僕は金メダルを取らないといけない。銀メダルでは終われない。4年後、この借りを返す」。既に28年ロサンゼルス五輪へ視線を向けた。母の母国の米国で夢をかなえることを願う。

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